深海 shinkai(改訂版)

志生帆 海

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その後の章

その後の二人 『向日葵に誓って 3』

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 今……僕は商店の軒先で雨宿りをしている。

 ハルさんの車椅子を押しながらお孫さんへのお土産を購入し、仁寺洞通りの餅カフェでお茶をし、店を出た途端……突然の雷雨に見舞われてしまった。

「ハルさんもう一度お店に戻りましょうか。濡れてしまいますから」
「ねぇ優也さん。少しここで雨を眺めていてもいい?」
「でもひどい雷雨ですよ。早く止まないかな。渋滞で送迎車も遅くなるようで……段取りが悪くてすいません」

 僕はハルさんに詫びた。頭の中で予定描いていたコースから脱線していくのが忍びなく、空から降り続ける雨を睨んだ。

「優也さんったら、これも一興よ」
「一興って?」
「車椅子生活になってから、雨の日は家族にお出かけさせてもらえなくなったし、途中で雨が降ってきたら、てるてる坊主みたいなケープを頭からすっぽりかけられて、息苦しかったわ」

 あぁそうなのか。だからこんな雷雨すらも、こんなにも愛おしい目で見つめているのか。

 かつて……あんなに自由にソウルの街を闊歩したハルさんの車椅子姿は、少し寂しいと思ったが、ハルさん自身が何よりその辛さやジレンマと戦っているのだ。

「そうですね。見方を変えれば、空に走る稲光すらも自然の花火みたいで激しい雨もシャワーのようだ」
「ふふっそうよ。優也さんその調子。どうか一方通行にならないで」
「はい。本当にすみません」
「あら、あんなところにお花屋さんがあるのね」
「……花も濡れてしまっていますね」

 あれじゃ売り物にならなくなると心の中で思った。

 ところがハルさんの考えは違う。

「いいえ、お花も気持ち良さそうよ!特にあの黄色い向日葵の花を見て」

 ハルさんの目線を辿れば、花屋の軒先で黄色い向日葵が空を見上げていた。シャワーを浴びるように、天からの恵みの雨を享受していた。

「懐かしいわ。昔ね……亡くなった主人と出会ったのは向日葵の花が縁だったの」
「そうなんですか。どういうご縁で?」

 初めて聞く話……ハルさんの青春時代だ。

「駅から家へ帰る道すがら広大な向日葵畑があったのよ。夏の間、そこにはいつも一人の背が高い青年がいてね、私が通るたびに挨拶をしてくれていて……私も素敵な男性だなって頬を赤らめて挨拶を返していたの。なんでも大学生の息子さんで夏休みの間だけ帰省していたそうなの。あれは下校途中急な雷雨で、今日みたいなお天気だったわ。傘を持たずに走っている私のことを、彼が向日葵の下へ招き入れてくれたのよ。『向日葵で雨をしのげるか分からないけれども、僕が育てた向日葵はあなたの傘になりますって言ってくれて……』なんだかそれからお付き合いが始まってね。ふふふ。懐かしい良き思い出よ。向日葵は……」

「素敵な思い出ですね。そういえば僕の実家は長野にあって、荒廃した桑畑を有効利用するために地元の有志の方々によって作られた、手作りの向日葵畑があったのを思い出します。面積1ヘクタールに咲き誇る向日葵畑に佇むと元気をもらえました。あぁまた見たいな」

 ふと故郷が懐かしくなった。

「そうだわ。優也さん、あなたにあの向日葵を買ってあげるわ」
「え? そんな……」
「何だかあなたにどうしても贈りたくなったの。故郷の香りを思い出させてあげたいし、私が体験した向日葵の下での恋のエッセンスも撒いてあげるわ。あなたはまだ若いのだから、幸せにならないと」
「……ハルさん」

 雨が小降りになったタイミングで、花屋まで車椅子を押した。

「優也さん『この向日葵を全部下さい』って伝えて。ラッピングもお願いしてね」
「ええ」

「해바라기를 전부 주세요.포장도 부탁합니다.(ひまわりを全部ください、ラッピングもお願いできますか)」
「프로포즈야?」

 花屋の店主からの質問にドキッとした。

「優也さん、何て言われたの?」
「あっあの……プロポーズなのかって聞かれて」

 なんだか気恥ずかしかった。

「まぁそうよ。そうだったわ!外国ではプロポーズの時に、向日葵を贈るところもあるそうよ。向日葵の花言葉にね『あなただけを見つめている、あなたとの未来を見つめている』という意味があるのよ」

 花屋の店主がにやりと笑って囁いた。本番ではこう言うんだよと。

「당신은 나에게 태양 같은 존재입니다.(タンシヌン ナエゲ テヤン ガトゥン チョンジェイムニダ)」

 (あなたは私にとって太陽のような存在です!)

 大きく花開き、じっと何かを見つめているような向日葵の花。

 遠く明るい未来を見つめているような、幸せの花だ。

 僕がこの花を見て思い出すのは、太陽のような笑顔のKaiだ。

 この花を、君に贈りたいよ。

「優也さん、幸せになりなさい。その花を持って今すぐ好きな人の所へ行きなさい。もう私はソウルには来ることが出来ないの。これが最後の旅行だったの。だから私からのギフトよ。あなたから踏み出してごらんなさい。いつも待っているだけではダメ。いつ幸せが逃げちゃうか分からないわ。早く捕まえにいきなさい」
「ハルさん……」
「あなたは息子みたいに可愛いの。幸せになって、あなたなりの幸せを掴んでくれればいいから」
「僕なりの幸せ?」
「そうよ。幸せの尺度はひとそれぞれ。あなたが幸せだと感じる人を信じて……」

 まるで……男同士……Kaiと歩む人生を許してもらえたような言葉だった。

「ありがとうございます。ハルさん……僕……」

「あなたは素直で優しい人よ。だから幸せになって欲しいの。優也さん長い間私専属のガイドをありがとう。あなたがいるから、ここに来るのが楽しかったわ。沢山の思い出と優しさをもらったの。あなたが私に注いでくれた優しさは、あなたに戻ってくるものよ。ちゃんと受け取ってね」

 空港でハルさんを見送った。

 抱えきれないほどの大きな向日葵の花を抱えて。

 小さくなっていく飛行機を、いつまでもいつまでも見送った。

 向日葵は僕に勇気を……僕に元気を与えてくれた。

 Kaiに会いたい。

 次の瞬間、僕は走り出していた。

 Kaiに会うために。




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