深海 shinkai(改訂版)

志生帆 海

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その後の章

その後の二人  『春のたより』5

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 季節はあっという間に巡り、もう三月の終わりになっていた。

 今年は冬が寒く厳しかった分、桜の開花が例年よりもずっと早く、四月を待たずにして散っていく桜は、どこか物寂しいものだった。

 Kaiくんとした次の休みに会おうという約束は未だに叶っていない。チャンスを二回台無しにしたのは、僕の方だ。

 最初は直前にインフルエンザにかかって寝込んでしまった。強行軍で駆けつけようとしてくれたKaiくんにうつすわけにいかなかったので来日を断った。もう一度は先週だ。どうしても断れなかった見合いの席の日取りと重なってしまった。

 僕って最低だ。Kaiくんの予定をキャンセルしてまで、そんな気もない相手と見合いしたなんて。

 突如決まった母の退院に合わせて企画された見合いだった。それに一度だけでいいから会って欲しいと、父と姉からも頼まれては選ぶ道は一つしかなかった。

 Kaiくんとのこと、父も姉も理解はしていても、やはり母の健康や心の安泰を願うのは無理もない。だからといって、Kaiくんがせっかく来てくれるというのに、それを断るなんて。夜だったら会えたのに、やましい気持ちがそれを制してしまった。

 何をしているのだか……もう自分が嫌になってくる。
 僕はkaiくんに相応しくないとまで思ってしまう。

 会いたい時に会えない距離は、僕から愛し愛される自信を奪い取っていくようだ。

****

 松本観光のビルの屋上。

 ここは雑多な事務所から離れて一人になれるし、周りに高い建物がないので空をぐるっと見渡せるから、好きな場所だ。

 この抜けるような青空が、Kaiくんが見上げるソウルの空と繋がっているのが嬉しい。

「Kaiくん元気かな。そろそろ電話してみようか。それとも年度末で忙しいかな」

 そんな独り言を呟く僕の頬を掠めるように、春の優しい風が吹き抜けていく。その風に紛れて、儚く散ったはずの桜の花びらが舞いあがって来た。

 花弁は僕の周りを舞い、唇に触れてひらひらと舞い降りていく。

 足元に目をやれば、無数の花びらが絨毯のように広がり、無機質なビルのアスファルトを、淡く優しい色に染め上げていた。

「綺麗だな」

 見合いの席に一度顔を出すことで、母は納得したようだ。相手の年若い女の子には実は彼氏がいて、見合いのあと二人きりになった時にそっと断られらたので、ほっとした。

 今回はそれでよかったが、次はそうとも限らない。
 次の見合いの前に、母には本当のことを告げよう。そう誓っていた。

 年度末から新年度にかけて退職や入社に部署移動など、僕の周りでもいくつかの別れや出会いが短期間で繰り返される時期だ。

 そんなどこかもの悲しい季節だからなのか、情緒不安定になってしまうよ。

 でも今日は違う。久しぶりに空を見上げ、美しいものを美しいと素直に思えたような気がした。

 清々しい吹っ切れた気持ちで一杯だ。

 自然と優しい微笑みを僕は浮かべていたことだろう。

 僕を訪ね地上から舞い上がってきてくれた足元の花びらを摘まもうとしゃがみ込むと、前方に大きな影が揺れた。

「え…」

 シルエットだけでも、僕にはすぐに分かった。

「優也さんっ俺、来たよ!」

 弾けるような声と共に春の穏やかな日差しを背に、僕の大事な人が立っていた。

「な……なんで…」



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