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別れの章
傷心旅行 3
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それからの数日は最悪だった。
翔と結婚相手の女性と毎日嫌でも顔を合わせなくてはいけないのが、耐えられなかった。時折胃がムカムカして吐き気が込み上げ、何度かトイレに駆け込んだが、涙しか出てこなかった。
あれから翔は時折僕のことをじっと見つめていたが、結局何も言ってこなかった。僕から翔に近づくのも怖かったので、もう仕事以外ではずっと口を聞いていない。
そんな一週間を過ごした後、部署の忘年会があった。本当は行きたくなかったけれども、流石に年に一度のものを欠席するわけにもいかなくて、嫌々ながらも参加することにした。いつものように段取りの悪い僕は、仕事がスムーズに終わらなくて…少し遅れて居酒屋に向かう羽目になってしまった。
一時間遅れでようやく到着すると、もう皆すっかり出来上がっていた。
「おっ松本さん、やっと来たな。ほら、こっちこっち、仲良しの東谷くんの隣が空いているぞ」
「えっ僕はそこじゃなくて……」
慌てて隅っこの席へ逃げようとしたら、同僚に腕をひっぱられ、翔の横に無理矢理座らされてしまった。
「……優也、遅かったな」
少し酔った翔に声を掛けられる。翔と久しぶりに話す。それだけで酒も飲んでいないのに心拍数が上がっていくのを感じる。それに肩が触れそうなほど近い距離に息が詰まる。
「う……うん」
「優也、また仕事終わらなかったのか。大変だったな。俺が手伝ってやればよかったな」
心配そうにいつもと少しも変わらず翔が声を掛けてくれる。それはあの別れ話は夢だったと思えるほど、優しい声だった。
「翔……僕……」
思わず、声を掛けてしまった。翔にちょっとだけでも触れたい。その温もり……少しだけでも僕に分けてくれないか。そう思って肩が触れそうな距離を、もう少しだけ詰めようと思った時、辺りが一気に騒めいた。
はっと顔をあげると、あの女性が立っていた。
ふくよかな胸のラインが目立つ淡いふわふわのピンクのセーターに黒いスカート。見るからに女性らしく可愛らしい雰囲気で、甘いマシュマロのような笑顔を浮かべていた。
酔った同僚が口笛で囃し立てている。
「ヒューヒュー、東谷の婚約者の登場だぞ!」
「おめでとう!!結婚式はいつだ?」
翔は驚いた顔で、でも照れ臭そうに受け答えしていた。
「お前ら~全くっ!なんで連れて来たんだよ」
「もうバレバレだぞ。そろそろ部署にお披露目したっていいだろう」
「参ったなぁ」
翔はポリポリと頭を掻きながら立ち上がった。その目は、もう僕のことを映していなかった。
僕を通過していく……翔の束の間の気まぐれな優しさは…僕をひどく苛んだ。
「くっ……」
僕は涙を堪えて、目の前にあるビールのジョッキを一気に飲み干した。
「結婚式は三月なんだ」
「へぇーじゃあこの冬休みはどうするんだ?」
「あぁ……彼女の家に挨拶がてら泊まりに行く」
「おお!お嬢様だろ~受付嬢は。やるなぁ」
そんな会話がどこか遠い場所から、他人事のように聞こえてくる。
そうか、そういえばもうすぐ年末年始の休暇に入るのか。その休みは、僕にとってこの三年間、翔と特に密に過ごせた時間だった。
クリスマスから大晦日お正月と、帰省もせずに二人で抱き合って、甘い甘い時間をお互い貪りあうような幸せな休みだった。
もう……あんな幸せな時間は二度と来ないんだな。
顔をあげて、恐る恐る幸せそうに並ぶ二人を見ると、目が痛くなるほど眩しかった。もうどうやっても立ち上がれない程…深い海の底まで、愛していた翔自らの手で葬られたような気分で、突然視界がぐにゃっと歪んだ。
これ以上酔ったら駄目だ。もう翔はいつものように優しく介抱してくれない。これからは全部自分一人でやっていかないといけない。
気が付いたら、誰にも何も言わず一人帰路に就いていた。
僕はもう一人きりだ。
どんなに酔っていても誰にも迷惑を掛けずに、一人で家まで辿り着かないといけない。
変な意味で気がひきしまった。
この壊れそうな脆い心を何重にも自分でガードして息を潜めていれば、これから先……翔がいなくても何とか生きていけるのだろうか。
酔った足取りは、おぼつかない。
進むべき道が見えないから、真っすぐに歩けない。
暗闇の中をふわふわと闇雲に歩いている気分だ。
翔と結婚相手の女性と毎日嫌でも顔を合わせなくてはいけないのが、耐えられなかった。時折胃がムカムカして吐き気が込み上げ、何度かトイレに駆け込んだが、涙しか出てこなかった。
あれから翔は時折僕のことをじっと見つめていたが、結局何も言ってこなかった。僕から翔に近づくのも怖かったので、もう仕事以外ではずっと口を聞いていない。
そんな一週間を過ごした後、部署の忘年会があった。本当は行きたくなかったけれども、流石に年に一度のものを欠席するわけにもいかなくて、嫌々ながらも参加することにした。いつものように段取りの悪い僕は、仕事がスムーズに終わらなくて…少し遅れて居酒屋に向かう羽目になってしまった。
一時間遅れでようやく到着すると、もう皆すっかり出来上がっていた。
「おっ松本さん、やっと来たな。ほら、こっちこっち、仲良しの東谷くんの隣が空いているぞ」
「えっ僕はそこじゃなくて……」
慌てて隅っこの席へ逃げようとしたら、同僚に腕をひっぱられ、翔の横に無理矢理座らされてしまった。
「……優也、遅かったな」
少し酔った翔に声を掛けられる。翔と久しぶりに話す。それだけで酒も飲んでいないのに心拍数が上がっていくのを感じる。それに肩が触れそうなほど近い距離に息が詰まる。
「う……うん」
「優也、また仕事終わらなかったのか。大変だったな。俺が手伝ってやればよかったな」
心配そうにいつもと少しも変わらず翔が声を掛けてくれる。それはあの別れ話は夢だったと思えるほど、優しい声だった。
「翔……僕……」
思わず、声を掛けてしまった。翔にちょっとだけでも触れたい。その温もり……少しだけでも僕に分けてくれないか。そう思って肩が触れそうな距離を、もう少しだけ詰めようと思った時、辺りが一気に騒めいた。
はっと顔をあげると、あの女性が立っていた。
ふくよかな胸のラインが目立つ淡いふわふわのピンクのセーターに黒いスカート。見るからに女性らしく可愛らしい雰囲気で、甘いマシュマロのような笑顔を浮かべていた。
酔った同僚が口笛で囃し立てている。
「ヒューヒュー、東谷の婚約者の登場だぞ!」
「おめでとう!!結婚式はいつだ?」
翔は驚いた顔で、でも照れ臭そうに受け答えしていた。
「お前ら~全くっ!なんで連れて来たんだよ」
「もうバレバレだぞ。そろそろ部署にお披露目したっていいだろう」
「参ったなぁ」
翔はポリポリと頭を掻きながら立ち上がった。その目は、もう僕のことを映していなかった。
僕を通過していく……翔の束の間の気まぐれな優しさは…僕をひどく苛んだ。
「くっ……」
僕は涙を堪えて、目の前にあるビールのジョッキを一気に飲み干した。
「結婚式は三月なんだ」
「へぇーじゃあこの冬休みはどうするんだ?」
「あぁ……彼女の家に挨拶がてら泊まりに行く」
「おお!お嬢様だろ~受付嬢は。やるなぁ」
そんな会話がどこか遠い場所から、他人事のように聞こえてくる。
そうか、そういえばもうすぐ年末年始の休暇に入るのか。その休みは、僕にとってこの三年間、翔と特に密に過ごせた時間だった。
クリスマスから大晦日お正月と、帰省もせずに二人で抱き合って、甘い甘い時間をお互い貪りあうような幸せな休みだった。
もう……あんな幸せな時間は二度と来ないんだな。
顔をあげて、恐る恐る幸せそうに並ぶ二人を見ると、目が痛くなるほど眩しかった。もうどうやっても立ち上がれない程…深い海の底まで、愛していた翔自らの手で葬られたような気分で、突然視界がぐにゃっと歪んだ。
これ以上酔ったら駄目だ。もう翔はいつものように優しく介抱してくれない。これからは全部自分一人でやっていかないといけない。
気が付いたら、誰にも何も言わず一人帰路に就いていた。
僕はもう一人きりだ。
どんなに酔っていても誰にも迷惑を掛けずに、一人で家まで辿り着かないといけない。
変な意味で気がひきしまった。
この壊れそうな脆い心を何重にも自分でガードして息を潜めていれば、これから先……翔がいなくても何とか生きていけるのだろうか。
酔った足取りは、おぼつかない。
進むべき道が見えないから、真っすぐに歩けない。
暗闇の中をふわふわと闇雲に歩いている気分だ。
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