上 下
1,533 / 1,701
小学生編

秋色日和 25

しおりを挟む
「そういえば、いっくんは今まであまり転ばなかったのに、今日は派手に転んだので、ママ、びっくりしちゃった」
「ママぁ、あのね、しってる? ころぶとね、だっこしてもらえるんだよ。よしよしって、とってもやさしくね。いっくんもしょうだったよ」

 いっくんがすみれを見上げて、あどけない表情で小首を傾げてニコッと笑う。

 すみれはその言葉にハッとし、くしゃっと泣きそうになった。

「……そっか……そうだね」
「いっくんね、きょうはゆっくりゆっくりじゃなくて、おもいっきりはしれたの、びゅーんってね」
「……そうね、おもいっきりするのは大事なことよ。いっくん、えらかったね」

 すみれといっくんの会話に、ほろりとした。

 もしかして―― 

 いっくんはママと二人の時は転ばないように、意識してゆっくり歩いていたのか。

 さっき保育園の先生も、似たようなことを言っていた。

……
「いっくんはですね、実は園内でほとんど走らなかったんです。私達は、もしかしたら発育に問題があるのではと心配したことも……だから今日のかけっこで思いっきり走る姿を見て驚きましたが、心からほっとしたんですよ」
……

 俺と出会ってからのいっくんは、嬉しそうに走り回っては転んで、オレが駆け寄って抱っこしての繰り返しだったので、意外な話だった。

 だが先生といっくんとすみれの話を合わせれば、その理由が見えてきた。

 転ぶと、仕事で疲れて家事で忙しいママを困らせてしまう。泣くと余計な手間をかけてしまう。

 運動会で転んでも、いっくんを抱き上げて慰めてくれる人は……誰もいない。

 だから転ばないように、ゆっくりゆっくり慎重に……だったのか。

 そういうことなのか!

 いっくんはまだあどけないので、無意識のうちに本能のままに、そうしていたのかもしれない。

 いずれにせよ、そうだとしたら本当に切ないよ!

 いっくんは、君は……まだたった4歳だ。

 なのに、これまでどれだけの悲しみと寂しさを背負って生きてきたのか。

 そしてすみれも、そこまで追い詰められていたのか。

 生活にも心にもゆとりがない日々は辛い。

 生きているのも辛いと思ったことが何度もあったのでは?

 あぁ、オレは本当にこの二人と巡り会えて良かった。

 急に涙が込み上げてきたので、慌てて上を向いた。

 オレが泣いてどうする?
 
 青空の向こうにいる、いっくんのお空のお父さん! 

 もしかして、あなたが巡り合わせてくれたのですか。
 
 あまりに二人が心配で見ていられなくて、でも何も出来なくてもどかしく、口惜しかったから。

 オレに託してくれたのですか。

 聞いて下さい! オレの父もそこにいるんです。もしかして会ったのですか。オレの生き方を心配して引き合わせてくれたのですか。

 きっとそうだ! そうだと思う。

 何故なら、オレたちはあまりに足りない部分を補い合える存在だから。

 すみれさんと出会う直前のオレは、兄さんにしでかしたことの重大さから、懺悔の日々を送ってた。もしも、もう一度人生をやり直せるのなら、大切な人の役に立てる人間になりたい。もしもオレを必要としてくれる人がいたら、その時は全力で守りたい。

 そう誓いを立てていた。

 兄さんは宗吾さんに守られ愛され、芽生坊に慕われ、どんどん幸せになっていた。広樹兄も結婚して落ち着いて、宙ぶらりんなのはオレだけで……居場所がなく寂しかった。

 オレの寂しさを埋めてくれる存在が欲しい。

 もしもそんな人と出会えたら、オレは生涯かけてその人を愛す。

 そう願った矢先に、オレの生きてきた人生が無駄にならない人と出会った。

 すみれといっくんと巡り逢った。

 感謝――

 今もこの先も、この気持ちで一杯だ。



 
 結局いっくんは午前中は園児席には戻らず、ずっとすみれにくっついていた。

 誰も咎めるものはいなかった。

 しかも今日の槙は奇跡的に2時間以上ぐっすり眠っている。母さんが腕が疲れたからと父さんに委託しても起きなかった。

 おかげで、いっくんはママをずっと独占できた。

 久しぶりのふたりの時間だった。

 生まれて初めてパパとママのいる運動会。0歳児から保育園生活をしてきたいっくんにとって、こんな嬉しいことはない。

 今日はスペシャルご褒美だな。

 オレもすみれも、幸せそうに微笑むいっくんを見るのが大好きだ。

 だから誰もが幸せな気持ちでポカポカしていた。

「いっくん、そろそろ弁当にしようか」
「うん! あ、あのね、おじーちゃんはここ、おばーちゃんはおとなり。パパぁはいっくんのおとなりだよ。ママもおとなり。まきくん、まだねんね?」

 いっくんが指定してくれた場所に座ると、まあるい円となっていた。

「そうね、もう少し眠っているみたい。さぁお弁当を広げてみて」
「いっくんのおべんとうばこ、たからものだよ」

 いっくんはお弁当箱に頬をすりすりした。

 いっくんなりの愛情表現なのだのか。よく大好きな物や大事な物にこの仕草をする。オレの胸元で顔をすりよせスリスリしてくれるのが最高に可愛いだよな。

「いただきまーしゅ。わぁぁ、おいちー ママぁ、これしゅごくおいちいよぅ」

 ペンギンのソーセージも卵焼きも唐揚げも、全部丁寧に作られていて本当に美味しかった。すみれがずっとしたかったことがギュッと詰まった愛情一杯の弁当だった。
  
「みんなでたべるとおいしいねぇ」
「いっくん、かけっこかっこ良かったな」
「おじーちゃん、ありがとう」
「おばあちゃんね、いっくんがあまりに可愛いおまごちゃんだから、おやつこんなにもってきちゃった」
「わぁわぁ、これいっくんのおやつなの?」
「そうよ。何が好きか分からなくて、いっぱい」
「しゅごい。いっくんのおやつだ」

 いっくんの目がキラキラ輝く。
 
 いい顔してるな。
 
 最高の笑顔だ。

「いっくん、げんきになったよぅ」
「そうか、よかったよ」
「ママぁ、ありがとう。いっくんがんばってくるから、まきちゃんにもおひるごはんあげてね」

 いっくんがそう言った途端、槙がパチっと目覚めて大泣きだった。

「えへへ、まきくーん、おにいちゃんをみててね。がんばってくるよ」

 いっくんが明るい笑顔を振りまいて走り出す。
 
 園児席に向かって元気に――


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生皇太子は、虐待され生命力を奪われた聖女を救い溺愛する。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

【完結】身売りした妖精姫は氷血公爵に溺愛される

鈴木かなえ
恋愛
第17回恋愛小説大賞にエントリーしています。 レティシア・マークスは、『妖精姫』と呼ばれる社交界随一の美少女だが、実際は亡くなった前妻の子として家族からは虐げられていて、過去に起きたある出来事により男嫌いになってしまっていた。 社交界デビューしたレティシアは、家族から逃げるために条件にあう男を必死で探していた。 そんな時に目についたのが、女嫌いで有名な『氷血公爵』ことテオドール・エデルマン公爵だった。 レティシアは、自分自身と生まれた時から一緒にいるメイドと護衛を救うため、テオドールに決死の覚悟で取引をもちかける。 R18シーンがある場合、サブタイトルに※がつけてあります。 ムーンライトで公開してあるものを、少しずつ改稿しながら投稿していきます。

【R18】ショタが無表情オートマタに結婚強要逆レイプされてお婿さんになっちゃう話

みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。 ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで

婚約者を追いかけるのはやめました

カレイ
恋愛
 公爵令嬢クレアは婚約者に振り向いて欲しかった。だから頑張って可愛くなれるように努力した。  しかし、きつい縦巻きロール、ゴリゴリに巻いた髪、匂いの強い香水、婚約者に愛されたいがためにやったことは、全て侍女たちが嘘をついてクロアにやらせていることだった。  でも前世の記憶を取り戻した今は違う。髪もメイクもそのままで十分。今さら手のひら返しをしてきた婚約者にももう興味ありません。

王子が何かにつけて絡んできますが、目立ちたく無いので私には構わないでください

Rila
恋愛
■ストーリー■ 幼い頃の記憶が一切なく、自分の名前すら憶えていなかった。 傷だらけで倒れている所を助けてくれたのは平民出身の優しい夫婦だった。 そして名前が無いので『シンリー』と名付けられ、本当の娘の様に育ててくれた。 それから10年後。 魔力を持っていることから魔法学園に通う事になる。魔法学園を無事卒業出来れば良い就職先に就くことが出来るからだ。今まで本当の娘の様に育ててくれた両親に恩返しがしたかった。 そして魔法学園で、どこかで会ったような懐かしい雰囲気を持つルカルドと出会う。 ***補足説明*** R18です。ご注意ください。(R18部分には※/今回は後半までありません) 基本的に前戯~本番に※(軽いスキンシップ・キスには入れてません) 後半の最後にざまぁ要素が少しあります。 主人公が記憶喪失の話です。 主人公の素性は後に明らかになっていきます。

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

いらないと言ったのはあなたの方なのに

水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。 セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。 エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。 ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。 しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。 ◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬 ◇いいね、エールありがとうございます!

【完結】俺が一目惚れをした人は、血の繋がった父親でした。

モカ
BL
俺の倍はある背丈。 陽に照らされて艶めく漆黒の髪。 そして、漆黒の奥で煌めく黄金の瞳。 一目惚れだった。 初めて感じる恋の胸の高鳴りに浮ついた気持ちになったのは一瞬。 「初めまして、テオン。私は、テオドール・インフェアディア。君の父親だ」 その人が告げた事実に、母親が死んだと聞いた時よりも衝撃を受けて、絶望した。

処理中です...