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小学生編

心をこめて 34

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「そろそろ帰って来る頃ね」
「おっ、今日は海老のグラタンか。美味しそうだな」
「今日も疲れて帰って来るだろうから、温かいものを食べさせてあげたくて」

 そう答えると、勇大さんが優しい眼差しで見つめてくれた。

「さっちゃんは優しいな」
「えっ、いやだわ。私は優しいタイプじゃないわよ」
「いや、気持ちが優しいよ」

 勇大さんがそう思ってくれるのが嬉しい。

 この歳になって、こんなに誰かに包まれるように愛されるなんて想像もしていなかった。

 でもこれが人生なのよね。

 人生は……山あり谷あり。
 
 人生で起こることは、私を成長させてくれる。


 

 深い森のように穏やかな勇大さんと過ごしていると、出来なかったことに挑戦してみたくなるの。

 今まで料理に時間をかける余裕がなかった反動かしら? 缶詰を使うのは当たり前だったホワイトソースを手作りするなんて。

 丁寧に作ってみたら優しい味わいのグラタンが出来たわ。

 手間暇をかける時間って、無駄じゃないのね。

 美味しさになっていくのね。

 勇大さんが、森のくまさんみたいに木のスプーンでぺろりと味見をしてくれた。

「絶品だ。これは二人とも喜ぶよ。今日は芽生くんどうだったかな?」
「少しでも良くなっているといいわね」

 グラタンをいつでも温められる状態に仕上げて帰りを待っていると、二人の息子が白い息を吐きながら帰ってきた。

「お帰りなさい!」
「お母さん、ただいま」

 あら? 瑞樹特有のはにかむような笑顔に、花が咲いているわ。

 これは良い兆しね。

「瑞樹、良かったわね」
「えっ、どうして分かるの?」

 瑞樹が目を丸くしている。

「それは、あなたのお母さんだからよ」
「あ、あのね、芽生くんの熱がすっきり下がって目の充血も治って、点滴も取れたんだ。だから僕……嬉しくて!」

 子供みたいに無邪気にはしゃいで、よほど嬉しいのね。

 最近、本当のあなたに頻繁に会えるようになって嬉しいわ。

 幼いあなたから消えてしまった笑顔が、戻ってきているのね。 

「やったな! 宗吾くんも瑞樹も良かったな!」

 勇大さんは息子たちとハイタッチ。

 パチンと響く音が、小気味良いわ!

「さぁ、ご飯にしましょう。手を洗っていらっしゃい」
「はい!」
「瑞樹、腹、減ったな」
「はい、僕もペコペコです」
 
 仲良く洗面所に消える二人の背中を見つめていたら、つられて笑みが零れた。

「さっちゃん、二人とも昨日は悲痛な面持ちだったが、今日はぐっと明るいな」
「良かったわ」
「よーし、明日は俺たちの付き添いの番だ」
「勇大さんは子供と遊ぶのが上手だから頼もしいわ」
「ありがとう。みーくんとなっくんと沢山遊んだからな」
「頼りにしてるわ」

 明るい気持ちって連鎖するのね。私も上機嫌!

 


 熱々のグラタンをふぅふぅしながら食べる様子を、目を細めて見つめていると、瑞樹が突然食べるのをやめてしまった。

「どうしたの? 口に合わなかった?」

 瑞樹は慌てた様子でフルフルと首を横に振った。

「違くて……熱々でとても美味しいから、芽生くんにも食べさせてあげたくなって……病院ではこんな熱々なもの食べられないから」
「瑞樹、君は優しいな。芽生をそこまで大切に想ってくれて嬉しいよ。だが今は君が食べる番だぞ! 俺は君が美味しそうに食べるのを見たい」

 まぁ、宗吾さんったら、あなたは本当に瑞樹を持ち上げる名人だわ。

「はい、あの……退院したら作ってあげたいです」
「そうだな。芽生はグラタン大好きだから喜ぶだろうな」
「でも、ホワイトソースを、こんなに美味しく作れるか不安で」
「それなら私が教えてあげるわ。ずっと、あなたにお料理を教えてあげたかったの」

 すると、瑞樹が今度は泣きそうな顔になった。

「お母さん、本当に? 本当に……僕にも教えてくれるの?」
「そうよ」

 瞳をうるうる潤ませて。

 この子のこの表情に、私は弱いのよ。

「どうしたの? 今にも泣きそうよ」
「あの……悲しいんじゃなくて、嬉しくて……実は最近仲良くなった友人が、お母さんとお料理をしたり一緒にドライブしたりと仲良さそうだったので、憧れていたんです」
「まぁ、そうだったのね。もっと早く言えば良かったのに。遠慮しちゃ駄目よ。芽生くんが退院したら、大好きなご馳走を作ってあげたいわよね」
「あ、あとね……ピザも作ってみたいんだ」
「それなら、俺に任せてくれ」
「お父さんも教えてくれるの?」
「あぁ、俺も嬉しいよ」

 瑞樹と私たちの関係も、まだまだこれから深まっていくのね。

 生きていく楽しみを、また一つ見つけたわ!


****

 翌日、俺とさっちゃんで13時ぴったりに面会バッジをもらった。

「芽生くん、何をしているかしら?」
「早く会いたいな」

 病室を覗くと、芽生くんはぼんやりと窓の外を眺めていた。

「芽生くん、どうした?」
「あ、おじいちゃん、おばあちゃん、今日もきてくれたんだね」
「もちろんだよ」

 目の充血も引き、ぐっと元気になったようだが、どこか元気がないような?

「どうした?」
「あのね、もう熱もないし苦しくもないの……でもね……」

 芽生くんは、少し浮かない表情を浮かべていた。

「……じっと大人しくしているのは、大変だよな」
「そうなの! あのね、このお部屋、とっても広いのに、だれもいないから、ボク、ずーっとだまっているの……つまらないよ」
「そうだよな。ひとりはさみしいよな」

 俺は17年間も誰もいない家で、生きているのに死んだような時間を過ごしてしまった。

 あの頃、そんなさみしい世界に埋もれていられたのは、何故だろう?

 芽生くんをじっと見つめると、黒目がちな瞳がキラキラ、生き生きと輝いていた。

 そうか、あの頃の俺は未来に希望を見い出せず、後ろばかり見ていたからだ。「何をしてもつまらない」「何の希望もない」と、憂鬱な気持ちに沈んでいたからだ。

「よーし、俺と遊ぼう! そうそう広樹からいい物を預かってきたんだよ」
「ヒロくんから、いいもの?」

 子供は『いいもの』や『いいこと』が大好きだよな。

「ボードゲームだよ。これだけでいろんな種類の遊びが出来るんだ」
「わぁ、おばあちゃん~ これって昔のゲーム?」
「そうよ。広樹と瑞樹が仲良く遊んでいたわ」
「お兄ちゃんが使ったものなの?」
「そうよ。芽生くんもやってみる?」
「やる! おじいちゃん、遊んで~」

 リバーシやダイヤモンドゲームか。

 俺が子供の頃からある国際的なゲームだから、これならルールが分かるぞ。

 イマドキの電子ゲームだったら一緒に遊べなかったので、良かった。広樹がこれをもたせてくれた理由が伝わってきた。

 ただでさえ孤独な入院生活。せめて面会時間は、人と触れ合って過ごして欲しいと願ったのだろう。みーくんと広樹に、当時これを贈ったさっちゃんの気持ちも伝わってきた。

 芽生くんはルールを覚えるのが早く、すぐに夢中になってくれた。

 日が暮れるまで繰り返し遊んでいると、いつの間にか、みーくんがやってきていた。

「芽生くん、強いね」
「あっ、お兄ちゃん! これ、すごくおもしろいよ」
「僕もよく広樹兄さんと遊んだよ。懐かしいな」
「そっか、これって……ヒロくんの大切なおもちゃだったんだね。いいのかな?」
「いいんだよ。芽生くんがいっくんに大切なおもちゃを譲ったのと同じだよ。広樹兄さんの気持ちを、有り難く受け取ろうね」
「そうなんだね、うれしいなぁ。ボクのために……」




 芽生くんはこの入院を通して、沢山のことを学ぶだろう。

 人生は……幸せな時ばかりではない。

 悲しかったり苦しかったり、寂しかったりする時もある。

 だが、どんな時でも支えてくれる人がいれば、前に進めるんだな。

 みーくんとの思いやり溢れる会話を聞いていると、和やかで幸せな心地になった。 

 世の中、自分本位な人も多いので、宗吾くんとみーくん、芽生くんの世界に触れると、心が洗われるよ。

 みーくん、君は心をこめて毎日を丁寧に過ごしているんだな。

 大樹さんたちの分も、この世の時間を愛おしんで――

 そんなみーくんを見守る人でありたい。

 
 

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