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小学生編

誓いの言葉 1

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「大樹さん、澄子さん、なっくん、おはようございます。今から市内まで行ってきます」

 東京から大沼に戻った俺は、翌日、咲子さんと会う予定になっていた。

 出掛ける前に車を走らせ、北の大地に眠る三人に、花を手向け手を合わせた。

 まさか今年、俺に明るい春がやってくるとは夢にも思わなかった。

 みーくんと再会してから……頭上をずっと覆っていた曇天が去り、太陽が差し込んでいるようだ。

「うぉー」

 大地を踏みしめ、空に向かって手を振りかざし、雄叫びを上げた。

 今の俺はまるで、冬眠から覚めたばかりの熊のようだ。

 俺にも遅い春がやってきた。

 春はクマが冬眠から目覚め餌を探すのと、繁殖期のオスの活動が活発になるため、行動範囲が広がり……人と遭遇しやすくなる。

 まさにその状況だ。

 俺はもういい年だ。だから繁殖期なんて無縁で、恋だの愛だの……関係ないはずだったのに、人生とは分からないものだな。みーくんが呼び水のように、俺を生き返らせてくれたのか。

「じゃ、行ってきます」

(熊田、自分に自信を持てよ! お前、カッコイイよ)

 大樹さんからのエールをキャッチして、歩き出した。

 一歩一歩……

 これは……俺の意志で幸せに向かう一歩だ。

 ****

「それじゃ行ってきます」
「母さん、ファイト!」
「ちょっとやめてよ。恥ずかしい」

 亡くなった主人によく似た容貌の広樹が、満面の笑みで送り出してくれる。

 すると……罪悪感は失せて、一気に足取りが軽くなった。

 ところが少し歩くと、広樹に呼び止められたの。

「母さん、待ってくれ」
「なあに?」
「あ、あのさ……めちゃくちゃ綺麗だよ!」

 びっくりした……口下手な広樹がそんなこと言ってくれるなんて。

  風が吹けば、桜の花びらが舞い降りてくる。

 北国の桜ね、私はまさに……

 本土より少し遅れて届く春を、手を伸ばして享受しよう。

 熊田さんとは、五稜郭タワーの隣にある『五稜郭公園』の入り口で待ち合わせをしているのよ。 熊田さんが葉山の家に寄ってくれた後、すぐに連絡をもらって、何度か食事をしたの。大きな身体に髭と髪がボサボサな人だったけれど、瞳が優しげな熊田さん。

 出逢った瞬間から……惹かれずにはいられなかったのは、何故かしら。

 共に哀しみを乗り越えて、生きていきたい。

 そんな共通の目的があるからなの?

『五稜郭公園』は、五稜郭タワーから綺麗に見える公園で、公園自体がのどかで自然豊かなので、ぶらりと散歩するのに良いスポットよ。ここなら写真を撮る熊田さんをじっくり見られそう。私のことも撮りたいって言っていたし……

 そっと鞄に忍ばせた手鏡で、自分を見つめた。

  咲子……あなたは今、恋しているのね。

 もう二度としないと思った恋を。

 熊田さんを、心で熱く強く想っているのね。

 ふと視線を感じて顔をあげると、知らない男性が私を食い入るように見つめていた。

 誰かしら? きゃ……近づいてくる。どうしよう!?

 待って、あの瞳にはよく見覚えがあるわ。それに胸元に黒い一眼レフを提げている。

「あの、さっちゃん……ですよね」
「え……まさか……」
「えぇ、俺です、熊田です」

 昨日の広樹ではないけれど、ポカンとしてしまった。熊田さんのボサボサな髭と伸びた髪はどこに? 目の前にいるのはかなりのイケオジ……だわ。

「くまさん!? うそっ、全然違うわ」
「あぁ……すみません。やっぱり変ですか。東京で美容院に行ってきたのですが……また伸ばします」
「ううん! すごくカッコイイわ!」
「そ、そうですか。さっちゃんこそ見違えました」
「あ……これはその、年甲斐もなくイメチェン? ってやつです」
「すごく、すごく……キレイです」

 くまさんの顔は、真っ赤。もちろん私の顔も真っ赤よ。

 そのまま無言で公園を二周もしてしまったわ。

 私達、まだまだ臆病だわ。
 
「あの……さっちゃんを撮ってもいいですか」
「喜んで」
「じゃあ、あの桜の木の下で」

 私だけをファインダー越しに見つめてくれる瞳に、また恋をした。

 もう今は「母さん」ではなく、一人の女性になっている。

「あの……」
「はい」
「さっちゃんと、この後、行きたい場所があるのですが」
「どこですか」
「八幡坂です」
「あそこはいいですよね」

 八幡坂は上から見下ろすと真っすぐに函館湾へと伸びる一本道で、下から見ると正面に函館山が見える絶景スポットよ。

 私達は公園から移動して、坂の上に立った。

 晴天だったので、港には大きな船がハッキリ見え、振り返れば函館山がくっきり見えた。
 
「人生の岐路に立つなら、ここがいいと、ずっと思っていたんです。いつかそんな日が来ると夢見ていました。人生は真っ直ぐな一本道ではありません。ですが……俺が咲子さんを想う気持ちは、筋の通った一本道でありたいのです」

  くまさんがありったけの情熱をぶつけてくれるのが嬉しくて、感激したわ。

 子育てを終え、後はひとり寂しく生きていくと思っていたのに、こんなことが起こるなんて。
 
「さっちゃん……咲子さん」
「は……はい」
「俺たちは、まだ出逢って間もないですが、俺は咲子さんを心から愛しています。どうか俺と結婚してくれませんか。あなたと暮らしていきたいのです」

 飾らない言葉、この道のようにストレートに届く言葉に、激しく胸を打たれる。

「くまさん……くまさん……私は……もういい年です」
「俺も同じです」
「くまさん……くまさん……私でも恋をしていいのですか」
「俺も同じ気持ちなんです」
「くまさん……私達、もう一度幸せになっても?」
「俺もそれを願っています。お互い辛い過去があります。それでも今を懸命に生きています。だから……もう一度幸せになりたいと願っても許されるのでは? 咲子さん、俺と残りの人生を一緒に生きて下さい。一緒に過ごして下さい。一緒に笑って下さい……」
「くまさん……はい……私でよければ、あなたと一緒に歩ませて下さい」

 心のままに、答えていた。

 私の心は、私のもの。

 熊田さんと生きていきたい。

 それが私の答えだった。

 亡くなったあなた……

 続いて、頼もしい長男、広樹。優しい次男、瑞樹。やんちゃで可愛い三男、潤。私がこの手で育てた三人の息子の笑顔が白い雲のように浮かんで来た。

「やった! やりましたよ! 大樹さん、澄子さん! 俺……新しい一歩を踏み出せます」

 熊田さんは天に向かって拳を振り上げていた。

 函館の春は、今が花盛り。

 私の二度目の恋が……今、成就した。



 

 
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