上 下
921 / 1,727
小学生編

降り積もるのは愛 19

しおりを挟む
「そろそろ水族館に移動しようか」
「おー!」
「くすっ」

  僕たちはカフェを出て、また歩き出した。

「あれ? 芽生くん。ちょっと待ってね」
「んん?」
「お口のここに、ココアがついているから」
「あ~」
「ちょっとペロッとなめてごらん」
「ペロペロ~」
「ふふっ」
 
 まだ落ちきれなかったので、僕はしゃがんで、芽生くんの口元をハンドタオルで拭いてあげた。
 
「あ……っ」
「どうしたの?」
 
 芽生くんが困った顔を浮かべている。

「お兄ちゃんの真っ白なタオル、きたなくなってしまうよぅ」
「あぁ、いんだよ。洗えばちゃんと落ちるから」
「そうなの? じゃあ……ありがとう!」
「どういたしまして」

 汚れたって、大丈夫だよ。

 気持ち次第でちゃんと落とせるんだよ。

 ふと……あの日の出来事を思い出した。

 あの日、あの場所は……こんな寒い日だった。

 大切に守ってきたものを根こそぎ奪われてしまった軽井沢。

 だが……あの時の汚れは、もう綺麗に落ちたんだ。

 汚れてしまったと泣いた日は、もう過去だ。

 どうしてだろう?

 最近ふと瞬間にあの事件を思い出す。

 それはきっと僕が今、とても幸せな時間を過ごしているからなのかな。

 そして、もうすぐ潤と函館に行くからだ、きっと――

 この前行った時は、あの建設会社の看板の前を、無事に通り過ぎることが出来た。

 だから今度も……もう大丈夫なはずだ。

「瑞樹? 大丈夫か。次は君の好きな水族館だぞ」
「あ、はい!」
 
  気持ちを切り替えないと……

 そうだ、僕は海が好きだ。

 北国育ちだが、函館の街には近くに海があったから、馴染みが深い。

 いつも学校帰りに目を細めて、海を見た。

 海の広さに感動し、海の深さに癒やされ、海で心を休ませていた。

 だからなのか水槽の前に立つと、騒めいていた心がすっと落ち着いた。

 そっとガラスに擦れるとひんやりと冷たくて、スッと穏やかな心地になれた。

「お兄ちゃん、お魚さんいっぱいだねぇ」
「うん。そうだね」
「あ! あれ!」
「ん?」

 イカが浮遊しているのを指さして、芽生くんが目をらんらんと輝かせていた。

「どうしたの?」
「あれって、さっき食べたのだよね~ おいしそう! じゅるるー」
「ぷっ! おーい芽生、いいムードが台無しじゃないか」
「くすっ、宗吾さん、叱らないで下さい。僕の弟もよくそんなこと言っていましたよ」
「お! それは、潤だな」
「あ、そうです。潤の方です」
「いかにもアイツが言いそうだ」
「ですよね、潤は食いしん坊でした」
「分かる」

 宗吾さんが腕組みしてフンフンと頷いている。

「函館に行ったら、アイツにたんまり食わしてやろう」
「それは喜びますよ」
「いや、やっぱりやめた」
「え?」
「アイツには、ひもじい思いをさせよう」
「え?」
「小さな頃、好物は君の分まで食べたりしただろう」
「あ……」

 何でそれを知っているのか。

「瑞樹、君はいい人過ぎるぞ。食べ物の怨みが怖いことを俺が教えてやろう。なっ」
「くくっ」

 宗吾さんと話して言ると、過去の暗い思い出も、なんだか楽しくなってくる。

 宗吾さんは本当にムードメーカーだな。

「はい、じゃあ、そうしましょう」
「あー、パパたち、それは『わるだくみ』っていうんだよぉ」
「ギョギョ! 芽生は難しい言葉を知っているんだな」
「えへへ、おばあちゃんのうりうりだよん」

 うりうりって? 

 くすっ、もしかして……受け売りのことかな?

 芽生くんがお尻をぷりぷりさせるのがとても可愛かったので、突っ込むのはやめておいた。

 宗吾さんも同じ気持ちらしく、僕と顔を見合わせてニコニコしている。

「瑞樹、芽生、あっちも見ようぜ」
「はい」

 今度は、南太平洋の魚の群れだ。
 ロマンチックでカラフルな、南国の魚の洪水。

 キュッ……

「瑞樹、俺たちの息子は可愛いなぁ」
「あ……」

 俺たちの息子と……?

 そんな風に僕のことを位置づけてくれる宗吾さんが、やっぱり大好きだ。

 そのまま、僕は宗吾さんに近づいた。

 そっとダウンコートの袖を近づけて、手を握りあった。

 モコモコのコートはいいな。

 こんなこと出来るなんて。

「便利なコートを手に入れたな」
「あ……はい」
「函館旅行でも大活躍だな」
「はい」
「みーずき、函館は怖くない。もう怖くないんだよ」

 僕を励ましてくれる優しい言葉には、思いやりという愛が籠もっている。

「そうですね。宗吾さんと芽生くんが一緒なので、楽しみです。僕の故郷でも、新しい思い出を沢山作りましょう」

 そう微笑みかけると、宗吾さんは暗闇でも分かるほど赤面していた。

「うう、幸せ過ぎる……」
「パパ、どうしたの? 落ち着いて」

 僕らの進む道はとても明るい。

 僕は優しさに包まれ、愛を注がれて生きているから。

 寒い冬にしんしんと降り積もるのは、愛だ。

   

                      『降り積もりのは愛』 了
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

処理中です...