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発展編

北の大地で 11

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「おばーちゃんおはよう。わぁ朝から何を作ってるの? まな板の上が葉っぱだらけだね」
「おはよう芽生。これは七草というのよ。『松の内』最後の日にあたる1月7日は、春の七草を食べる日なのよ」
「な……なくさ?」

 幼稚園の制服を着た芽生が、台所に立つ私の所にやってきて目を輝かしていた。

「いい? ここから順番にせり・ なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろと言うのよ」
「えー聞いた事ない名前ばかりで覚えられないよ。なんだか、おまじないみたいだね。でもどうして今日これを食べるの?」
「それはね、昔の日本では雪の間から芽を出した若菜を摘む「若菜摘み」という風習があったのよ。そして1月7日は人を大切にする意味のある『人日(じんじつ)の節句』だったので、それが混じったのかしらね」
「うーん、おばあちゃんのいう事は難しいな」
「ふふっ、つまり簡単にまとめると、大切にしたい人の健康を願って、七草粥を食べさせてあげるのよ」
「ふーん」
「おばあちゃまの大事な芽生にも、このお粥を食べてもらいたいわ」
「うん!」

 小さな芽生には難しかったかしら。でも古来から伝わる風習はきちんと伝えていきたいの。

 人を思いやる優しい風習ばかりなのよ。

 簡略化してシンプルにするのも今の世の中ではお洒落でもてはやされるけれども……やはり要はしっかりしておきたいというのが私の考えよ。こんなの古臭いのかしらね。

「せりなずな・ごぎょうはこべら・ほとけのざ・すずなすずしろ~♪」

 ふふっ芽生はどうやら替え歌にして、春の七草を全部覚えてしまったよう。

 芽生は本当に愛くるしい子ね。芽生の父親の宗吾やその兄の啓吾(けいご)とは全く違うやわらかな気質を持っているわ。そんな芽生と暮らす日々は輝いているわ。昨日からまた宗吾は長期の海外出張で寂しい想いをしているでしょうに明るさを失わない。

「ほら出来たわよ」
「わーお粥に緑の草が浮いてる」
「ねぇ白に緑って綺麗よね。生気に満ちて新鮮で美しいわ。本当に瑞々しいわね」
「みずみずしい……かぁ。あっそれって、お兄ちゃんみたいだね」
「そうね。瑞樹くん……函館で元気に暮らしているかしら」
「ねぇおばあちゃん、ハコダテに電話してくれない? 少し話したいな」
「いいわよね」

 時計を見ると朝の8時半。こんな早くから大丈夫かしら。でも花屋さんなので朝は早いはずよね。

 ****
 
 朝食後、開店準備をしていると電話が鳴った。

「兄さん、僕が出るよ」
「大丈夫か」
「うん」

 兄さんは心配症だな。電話くらいで……

「はい、葉山生花店です」
「あっもしかして瑞樹くん?」

 落ち着いた声の主が誰かは、すぐに分かった。

「宗吾さんのお母さんですか」
「そうよ。その後具合はどうかしら」
「そうですね。残念ながら……まだ治ってはいません。もう『日日薬』で治すしかないようです。なので今、出来ることに徹しています」
「そう……月日の経過が薬代わりなのね。いい心がけだわ。あっ芽生が話したいみたいなの。いい?」
「もちろんです」
「芽生、おにいちゃんよ」

 昨日から宗吾さんが海外出張に行ってしまったので、芽生くんを預かってもらっていると聞いていたが、こんなに朝早くどうしたんだろう?

「もしもし芽生くん、どうした? 」
「あっお兄ちゃん、あのね『せりなずな・ごぎょうはこべら・ほとけのざ・すずなすずしろ~♪』」
「え? それって春の七草だよね。よく覚えられたね」

 芽生くんは春の七草を童謡に合わせて電話の向こうで歌ってくれた。可憐な歌声に癒される。

「うんとね、これはおまじないだよ。おにいちゃんが元気になるようにって心をこめたんだよ」
「わっそうなのか。嬉しいな」

 そうか、今日は1月7日『七草の日』だ。花屋を手伝うようになり朝はいつもバタバタなのですっかり抜け落ちていた。こんなに小さい子供が僕の健康を願ってくれている。その心が嬉しくて胸の奥がじんとした。

「お兄ちゃんに早く会いたいよ」
「芽生くん、僕もだ。春になったら戻るよ」
「でも治らないとどうなっちゃうの。もっともっと会えない?」
「いや、治っていなくても戻るから、待っていてくれるかな」

 たとえ指先の麻痺が完治しなくても4月からは職場に復帰するつもりだ。そう決心したことは、宗吾さんにも伝えてある。

「うん! でもその前にそっちにも遊びにいきたいな」
「そうだね。パパが戻って来たら相談してみよう。雪が沢山あるから芽生くんも楽しめるかも。でもすごく寒いよ」
「うん!」
「そろそろ幼稚園に行く時間だね。今日も楽しんでおいで」
「ありがとう! いってきます」

 無邪気な芽生くんとの触れあいで、僕の心も朝からポカポカになっていた。

 そして芽生くんのおまじないが効いたのか、僕もそろそろ自分から動き出したい。そんな陽のエネルギーが満ちて来た。

 そのまま店の裏方でアレンジメント作りを手伝っていると、あっという間に昼食の時間になっていた。

「瑞樹、昼食、今のうちに食べてしまって」
「あっはい」
「どうぞ」
「あ……七草粥だ」

 いつの間に用意したのか、お母さんが出してくれたのは七草粥だった。

「そうよ。今日は七日でしょう。瑞樹の健康を祈って作ったわ」
「お母さん……ありがとう。お母さんこそ元気でいて欲しい」
「まぁこの子ったら」

 そうだ。あの事件以来、自分を癒すので精一杯だったけれども、母だってもういい年齢だ。僕もいつまでも傷ついた子供みたいにこの家に隠れていないで、今、ここにいるから出来ることに視野を広げていくべきだ。

 朝の芽生くんのおまじないのお陰なのか、靄っていた視界が開けていくような気がした。

 仕事は春まで休むことを決めた。

 限られた時間で……やり残しがないように。

 僕がまずしたいことは……何か。そう思うと自然と答えは見つかった。

「お母さん、僕……一度、大沼に行って来てもいいですか」
「え? どうしたの、急に」
「僕の育った家が今はペンションになっていると……そこに行ってみたいです」


 








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