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17章
月光の岬、光の矢 27
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「洋の不安は、私に預けろ」
「そんな……」
こんな時、思わず頑なに首を横に振ってしまうのは、過去が俺を未だに戒めている証拠だ。
俺だってもういい加減、あんな悲惨な過去から逃れたい。
一刻も早く、踏みにじられ支配された記憶を抹殺したい。
どうして出ていかないんだよ!
あぁ、いつまでも弱々しい自分に嫌になる。
丈が俺を背後から抱きしめてくれた。
「いいから、私に預けろ。洋のすべてが私の診療所では必要だ」
震える身体を受け止めてくれた。
「丈は、本気でそう思っているのか」
「あぁ、理由を知りたいか」
「教えて欲しい」
「洋は痛みを知っている。患者は身体の痛みと同時に心も病んでいる。痛みに怯え、不安で泣きそうになっている。そんな時、洋が心から寄り添ってくれたら、きっと救われるだろう」
「俺に出来るだろうか」
「洋にしか出来ないことだ、洋……私の洋だから出来ることだ」
「丈……」
俺を抱きしめる腕に力がこもった。
今の俺には、背中を預けられる相手がいる。
それを再認識した。
「参ったな。丈は心の名医だ」
「私はまだまだ未熟者だ。だが心からそう思っている」
「ありがとう」
月光を浴びながら、海風に吹かれながら――
丈と話していると、こびりついたままの不安が少しずつ剥がれていくよ。
見上げれば、月が俺を見ていた。
今は静かに優しく見守っている。
過去の俺は、月をどんなにハラハラさせたか。
泣かせてしまったよな。
だが、もう大丈夫だ。
俺はひとりではない。
手を伸ばせば、助けてくれる人がいる。
振り向けば、愛しい人がいる。
月もそれを知っている。
****
「へぇ、大人っぽくて、いいムードだな」
「アーサー、しっ、静かに」
「おいおい、瑠衣だって覗き見していたくせに」
「ぼっ、僕はそんなつもりでは」
「なぁ、せっかくだから、お隣さんに挨拶に行かないか」
海辺から、バルコニーに立つ二人の様子をつい見守ってしまった。
彼があまりに切なげで……
彼があまりに頼もしくて……
二人がとても幸せそうで、愛に溢れていたから。
「そんなの、お邪魔だよ」
「いや、そろそろ話も終わったようだぞ。明かりが灯っているうちに行こう。白江さんのお孫さんに会いたくないのか。柊一が可愛がっていた夕ちゃんの子息子だぞ」
「そうだね。じゃあ……」
「そうだ、彼らにいい紅茶があるから手土産にしよう」
「うん」
「ここで待っていてくれ、取ってくるよ」
アーサーはいくつになっても好奇心旺盛で、行動力がある。
僕はそんなアーサーとずっと過ごしているから、この年齢になっても生き生きとしていられるのかもしれない。
外見は二人ともすっかり老け込んだが、心はあの頃のままだ。
目映い月光を見上げると、白薔薇の屋敷でキスをしたことを思い出す。
月の白い光に包まれた、薔薇の香りの接吻。
僕の心はあの日から、ずっと、ときめいたままだ。
「瑠衣、これでどうだ?」
暫くして、アーサーが持って来た紅茶のラベルには、彼らにぴったりの言葉が添えられていた。
『Tea for Two』
これはまさに二人のためのお茶だ。
「そんな……」
こんな時、思わず頑なに首を横に振ってしまうのは、過去が俺を未だに戒めている証拠だ。
俺だってもういい加減、あんな悲惨な過去から逃れたい。
一刻も早く、踏みにじられ支配された記憶を抹殺したい。
どうして出ていかないんだよ!
あぁ、いつまでも弱々しい自分に嫌になる。
丈が俺を背後から抱きしめてくれた。
「いいから、私に預けろ。洋のすべてが私の診療所では必要だ」
震える身体を受け止めてくれた。
「丈は、本気でそう思っているのか」
「あぁ、理由を知りたいか」
「教えて欲しい」
「洋は痛みを知っている。患者は身体の痛みと同時に心も病んでいる。痛みに怯え、不安で泣きそうになっている。そんな時、洋が心から寄り添ってくれたら、きっと救われるだろう」
「俺に出来るだろうか」
「洋にしか出来ないことだ、洋……私の洋だから出来ることだ」
「丈……」
俺を抱きしめる腕に力がこもった。
今の俺には、背中を預けられる相手がいる。
それを再認識した。
「参ったな。丈は心の名医だ」
「私はまだまだ未熟者だ。だが心からそう思っている」
「ありがとう」
月光を浴びながら、海風に吹かれながら――
丈と話していると、こびりついたままの不安が少しずつ剥がれていくよ。
見上げれば、月が俺を見ていた。
今は静かに優しく見守っている。
過去の俺は、月をどんなにハラハラさせたか。
泣かせてしまったよな。
だが、もう大丈夫だ。
俺はひとりではない。
手を伸ばせば、助けてくれる人がいる。
振り向けば、愛しい人がいる。
月もそれを知っている。
****
「へぇ、大人っぽくて、いいムードだな」
「アーサー、しっ、静かに」
「おいおい、瑠衣だって覗き見していたくせに」
「ぼっ、僕はそんなつもりでは」
「なぁ、せっかくだから、お隣さんに挨拶に行かないか」
海辺から、バルコニーに立つ二人の様子をつい見守ってしまった。
彼があまりに切なげで……
彼があまりに頼もしくて……
二人がとても幸せそうで、愛に溢れていたから。
「そんなの、お邪魔だよ」
「いや、そろそろ話も終わったようだぞ。明かりが灯っているうちに行こう。白江さんのお孫さんに会いたくないのか。柊一が可愛がっていた夕ちゃんの子息子だぞ」
「そうだね。じゃあ……」
「そうだ、彼らにいい紅茶があるから手土産にしよう」
「うん」
「ここで待っていてくれ、取ってくるよ」
アーサーはいくつになっても好奇心旺盛で、行動力がある。
僕はそんなアーサーとずっと過ごしているから、この年齢になっても生き生きとしていられるのかもしれない。
外見は二人ともすっかり老け込んだが、心はあの頃のままだ。
目映い月光を見上げると、白薔薇の屋敷でキスをしたことを思い出す。
月の白い光に包まれた、薔薇の香りの接吻。
僕の心はあの日から、ずっと、ときめいたままだ。
「瑠衣、これでどうだ?」
暫くして、アーサーが持って来た紅茶のラベルには、彼らにぴったりの言葉が添えられていた。
『Tea for Two』
これはまさに二人のためのお茶だ。
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