重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
1,605 / 1,657
17章

月光の岬、光の矢 19

しおりを挟む
 祖母は当然のように、俺たちを白金の屋敷に宿泊させてくれた。

 初めて訪れた時は追い返され、何度も何度も足を運んだことを思い出した。

 辛い日々だったが、今、ここまで距離を縮められたことに感謝する。

「ここが洋ちゃんの部屋よ」
「えっ?」
「あのね、この前は夕の部屋に泊まってくれてありがとう。でも、これからはあなたの部屋に泊まって欲しくて……おばあちゃま勝手に用意しちゃったの」
「俺の部屋?」

 扉を開くと、濃紺の壁紙と天井のシックな部屋になっていた。
 
 母の部屋は白が基調で、繊細なレースとピンクの薔薇の模様のカーテンで、白い家具が並び、いかにも少女が好みそうなロマンチックな部屋だったので、あまりに真逆で驚いた。

「洋ちゃんは男の子だし、あなたは夜空が似合うから……どうかしら? 気に入ってもらえた? そうそう、仕掛けがあるのよ」

 祖母が電気を消すと、天井に満天の星が浮かび上がった。

「由比ヶ浜の夜空を表現してもらったの。前にも話したかしら? 私はあの別荘で朝と夕を授かったのよ。月が美しい夜だったわ、なんとも言えない程……」

 目を閉じれば、その日の光景が浮かび上がってくる。

 俺が知る由もない景色なのに、まるで手を伸ばせば届くようだ。

「あなたには月影寺にお家があるのは知っているけれども、ここも洋ちゃんの場所なのよ。そう思って欲しくて」
「ありがとうございます。本当に俺の部屋なんですね」
「そうよ、あなたのお部屋よ。さぁ、お休みなさい。丈さんと良い夢を見てね」
「おばあ様、ありがとうございます」

 俺は手を伸ばし手を広げ、おばあ様を抱きしめた。

「私に残された時間は、そう長くはないわ。でも最後の瞬間まであなたのことを思っているわ」
「そんなこと言わないで下さい。まだ早いです。ようやく巡り逢えた俺のおばあ様……母さんと同じ香りがする、大切なおばあ様……」

 心を開けば、素直な言葉が下りてくる。

 こうやって人は古来から愛を紡いできたのか。
 
 俺も偽りのない愛、真実の愛を貫く者でありたいと切に願う。

 おばあ様を見送ってから、壁にもたれて、悠然と構える丈に歩み寄った。

「丈、ずっと見守ってくれていたのか」
「あぁ、洋が祖母からの愛を浴びて満ちていく様子が美しくて、目が離せなかった」
「……ありがとう」
「洋……」
「丈……」

 そっと唇を重ねた。

 寡黙で冷静な丈は、多くは語らない。
 
 だがすべて伝わってくる。

 お前に抱かれると、身体の中が満ち足りてくる。

 時代を超えて紡がれてきた俺たちの愛の熱を――

「灯りを消そう」
「そうだな、私の月が昇る時間だ」
「ふっ、俺にとっては丈こそが月だ」

 俺たちは重なる月――

 俺たちが夜毎に繋がるのは、夜空の月と同じだ。

 とても自然なこと、とても素直なこと。

 心のままに愛し合える世の中を生きているから、出来ること。

 遠い昔、片割れを失った俺たちは、誰も抱けず、誰にも抱かれず……

 亡き人を想った。

 想い続けた。





****

 洋ちゃんと丈さんをお部屋に届けてから、私はカフェ月湖のいつもの席に座った。

 預かった看護師の服に、夢中で刺繍を施していると、声を掛けられた。

「白江さん、もう店じまいですよ」
「あら、雪也さん、もうそんな時間なの?」

 時計を見るともう閉店時間だった。

「春子が心配していますよ。そんなに根を詰めて目が疲れないのかと」
「まぁ、春子ちゃんこそ、いつも分厚い本を抱えているわ」
「ふっ、似た者同士ですね」

 ここは、晩年の私の憩いの場になっている。
 
 主人を亡くし、娘も亡くした私にとって、雪也さんたちがいなかったら、とても寂しい人生だった。

「その糸、美しい色ですね」
「瑠衣のお土産よ。英国製だけど……そうねぇ……和名で言うなら金青《こんじょう》がしっくりくるわ。紫色を帯びた暗い上品な青色だから。上品な青が洋ちゃんには似合うわ」
「そうですね。あ……そうか、youと……刺繍されたのですね」
「えぇ、夕にもよくしてあげたのを思い出すわ。あの子は私の刺繍が大好きで、ハンカチにも靴下にも、何故か『YU』ではなく『you』がいいと」
「覚えていますよ。夕ちゃんの可愛らしいお強請りを」
「ありがとう。同じ思い出を持ってくれて」

 雪也さんは、柊一さんによく似た微笑みを浮かべていた。

「こちらこそ、兄さまと海里先生の思い出を一緒に紡いでもらっています」
「これからは、洋ちゃんとの思い出も追加してね」
「えぇ、もちろん」

 静かな夜だわ。

 心を掻き乱されることのない静寂。

 私の心は凪いでいる。

 今は……どこまでも、静かに……

 今なら素直にもう一人の娘にも会えそうね。

 会いたいわ。

 
しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

泣くなといい聞かせて

mahiro
BL
付き合っている人と今日別れようと思っている。 それがきっとお前のためだと信じて。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。

今日くらい泣けばいい。

亜衣藍
BL
ファッション部からBL編集部に転属された尾上は、因縁の男の担当編集になってしまう!お仕事がテーマのBLです☆('ω')☆

別に、好きじゃなかった。

15
BL
好きな人が出来た。 そう先程まで恋人だった男に告げられる。 でも、でもさ。 notハピエン 短い話です。 ※pixiv様から転載してます。

帰宅

papiko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

処理中です...