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17章
月光の岬、光の矢 19
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祖母は当然のように、俺たちを白金の屋敷に宿泊させてくれた。
初めて訪れた時は追い返され、何度も何度も足を運んだことを思い出した。
辛い日々だったが、今、ここまで距離を縮められたことに感謝する。
「ここが洋ちゃんの部屋よ」
「えっ?」
「あのね、この前は夕の部屋に泊まってくれてありがとう。でも、これからはあなたの部屋に泊まって欲しくて……おばあちゃま勝手に用意しちゃったの」
「俺の部屋?」
扉を開くと、濃紺の壁紙と天井のシックな部屋になっていた。
母の部屋は白が基調で、繊細なレースとピンクの薔薇の模様のカーテンで、白い家具が並び、いかにも少女が好みそうなロマンチックな部屋だったので、あまりに真逆で驚いた。
「洋ちゃんは男の子だし、あなたは夜空が似合うから……どうかしら? 気に入ってもらえた? そうそう、仕掛けがあるのよ」
祖母が電気を消すと、天井に満天の星が浮かび上がった。
「由比ヶ浜の夜空を表現してもらったの。前にも話したかしら? 私はあの別荘で朝と夕を授かったのよ。月が美しい夜だったわ、なんとも言えない程……」
目を閉じれば、その日の光景が浮かび上がってくる。
俺が知る由もない景色なのに、まるで手を伸ばせば届くようだ。
「あなたには月影寺にお家があるのは知っているけれども、ここも洋ちゃんの場所なのよ。そう思って欲しくて」
「ありがとうございます。本当に俺の部屋なんですね」
「そうよ、あなたのお部屋よ。さぁ、お休みなさい。丈さんと良い夢を見てね」
「おばあ様、ありがとうございます」
俺は手を伸ばし手を広げ、おばあ様を抱きしめた。
「私に残された時間は、そう長くはないわ。でも最後の瞬間まであなたのことを思っているわ」
「そんなこと言わないで下さい。まだ早いです。ようやく巡り逢えた俺のおばあ様……母さんと同じ香りがする、大切なおばあ様……」
心を開けば、素直な言葉が下りてくる。
こうやって人は古来から愛を紡いできたのか。
俺も偽りのない愛、真実の愛を貫く者でありたいと切に願う。
おばあ様を見送ってから、壁にもたれて、悠然と構える丈に歩み寄った。
「丈、ずっと見守ってくれていたのか」
「あぁ、洋が祖母からの愛を浴びて満ちていく様子が美しくて、目が離せなかった」
「……ありがとう」
「洋……」
「丈……」
そっと唇を重ねた。
寡黙で冷静な丈は、多くは語らない。
だがすべて伝わってくる。
お前に抱かれると、身体の中が満ち足りてくる。
時代を超えて紡がれてきた俺たちの愛の熱を――
「灯りを消そう」
「そうだな、私の月が昇る時間だ」
「ふっ、俺にとっては丈こそが月だ」
俺たちは重なる月――
俺たちが夜毎に繋がるのは、夜空の月と同じだ。
とても自然なこと、とても素直なこと。
心のままに愛し合える世の中を生きているから、出来ること。
遠い昔、片割れを失った俺たちは、誰も抱けず、誰にも抱かれず……
亡き人を想った。
想い続けた。
****
洋ちゃんと丈さんをお部屋に届けてから、私はカフェ月湖のいつもの席に座った。
預かった看護師の服に、夢中で刺繍を施していると、声を掛けられた。
「白江さん、もう店じまいですよ」
「あら、雪也さん、もうそんな時間なの?」
時計を見るともう閉店時間だった。
「春子が心配していますよ。そんなに根を詰めて目が疲れないのかと」
「まぁ、春子ちゃんこそ、いつも分厚い本を抱えているわ」
「ふっ、似た者同士ですね」
ここは、晩年の私の憩いの場になっている。
主人を亡くし、娘も亡くした私にとって、雪也さんたちがいなかったら、とても寂しい人生だった。
「その糸、美しい色ですね」
「瑠衣のお土産よ。英国製だけど……そうねぇ……和名で言うなら金青《こんじょう》がしっくりくるわ。紫色を帯びた暗い上品な青色だから。上品な青が洋ちゃんには似合うわ」
「そうですね。あ……そうか、youと……刺繍されたのですね」
「えぇ、夕にもよくしてあげたのを思い出すわ。あの子は私の刺繍が大好きで、ハンカチにも靴下にも、何故か『YU』ではなく『you』がいいと」
「覚えていますよ。夕ちゃんの可愛らしいお強請りを」
「ありがとう。同じ思い出を持ってくれて」
雪也さんは、柊一さんによく似た微笑みを浮かべていた。
「こちらこそ、兄さまと海里先生の思い出を一緒に紡いでもらっています」
「これからは、洋ちゃんとの思い出も追加してね」
「えぇ、もちろん」
静かな夜だわ。
心を掻き乱されることのない静寂。
私の心は凪いでいる。
今は……どこまでも、静かに……
今なら素直にもう一人の娘にも会えそうね。
会いたいわ。
初めて訪れた時は追い返され、何度も何度も足を運んだことを思い出した。
辛い日々だったが、今、ここまで距離を縮められたことに感謝する。
「ここが洋ちゃんの部屋よ」
「えっ?」
「あのね、この前は夕の部屋に泊まってくれてありがとう。でも、これからはあなたの部屋に泊まって欲しくて……おばあちゃま勝手に用意しちゃったの」
「俺の部屋?」
扉を開くと、濃紺の壁紙と天井のシックな部屋になっていた。
母の部屋は白が基調で、繊細なレースとピンクの薔薇の模様のカーテンで、白い家具が並び、いかにも少女が好みそうなロマンチックな部屋だったので、あまりに真逆で驚いた。
「洋ちゃんは男の子だし、あなたは夜空が似合うから……どうかしら? 気に入ってもらえた? そうそう、仕掛けがあるのよ」
祖母が電気を消すと、天井に満天の星が浮かび上がった。
「由比ヶ浜の夜空を表現してもらったの。前にも話したかしら? 私はあの別荘で朝と夕を授かったのよ。月が美しい夜だったわ、なんとも言えない程……」
目を閉じれば、その日の光景が浮かび上がってくる。
俺が知る由もない景色なのに、まるで手を伸ばせば届くようだ。
「あなたには月影寺にお家があるのは知っているけれども、ここも洋ちゃんの場所なのよ。そう思って欲しくて」
「ありがとうございます。本当に俺の部屋なんですね」
「そうよ、あなたのお部屋よ。さぁ、お休みなさい。丈さんと良い夢を見てね」
「おばあ様、ありがとうございます」
俺は手を伸ばし手を広げ、おばあ様を抱きしめた。
「私に残された時間は、そう長くはないわ。でも最後の瞬間まであなたのことを思っているわ」
「そんなこと言わないで下さい。まだ早いです。ようやく巡り逢えた俺のおばあ様……母さんと同じ香りがする、大切なおばあ様……」
心を開けば、素直な言葉が下りてくる。
こうやって人は古来から愛を紡いできたのか。
俺も偽りのない愛、真実の愛を貫く者でありたいと切に願う。
おばあ様を見送ってから、壁にもたれて、悠然と構える丈に歩み寄った。
「丈、ずっと見守ってくれていたのか」
「あぁ、洋が祖母からの愛を浴びて満ちていく様子が美しくて、目が離せなかった」
「……ありがとう」
「洋……」
「丈……」
そっと唇を重ねた。
寡黙で冷静な丈は、多くは語らない。
だがすべて伝わってくる。
お前に抱かれると、身体の中が満ち足りてくる。
時代を超えて紡がれてきた俺たちの愛の熱を――
「灯りを消そう」
「そうだな、私の月が昇る時間だ」
「ふっ、俺にとっては丈こそが月だ」
俺たちは重なる月――
俺たちが夜毎に繋がるのは、夜空の月と同じだ。
とても自然なこと、とても素直なこと。
心のままに愛し合える世の中を生きているから、出来ること。
遠い昔、片割れを失った俺たちは、誰も抱けず、誰にも抱かれず……
亡き人を想った。
想い続けた。
****
洋ちゃんと丈さんをお部屋に届けてから、私はカフェ月湖のいつもの席に座った。
預かった看護師の服に、夢中で刺繍を施していると、声を掛けられた。
「白江さん、もう店じまいですよ」
「あら、雪也さん、もうそんな時間なの?」
時計を見るともう閉店時間だった。
「春子が心配していますよ。そんなに根を詰めて目が疲れないのかと」
「まぁ、春子ちゃんこそ、いつも分厚い本を抱えているわ」
「ふっ、似た者同士ですね」
ここは、晩年の私の憩いの場になっている。
主人を亡くし、娘も亡くした私にとって、雪也さんたちがいなかったら、とても寂しい人生だった。
「その糸、美しい色ですね」
「瑠衣のお土産よ。英国製だけど……そうねぇ……和名で言うなら金青《こんじょう》がしっくりくるわ。紫色を帯びた暗い上品な青色だから。上品な青が洋ちゃんには似合うわ」
「そうですね。あ……そうか、youと……刺繍されたのですね」
「えぇ、夕にもよくしてあげたのを思い出すわ。あの子は私の刺繍が大好きで、ハンカチにも靴下にも、何故か『YU』ではなく『you』がいいと」
「覚えていますよ。夕ちゃんの可愛らしいお強請りを」
「ありがとう。同じ思い出を持ってくれて」
雪也さんは、柊一さんによく似た微笑みを浮かべていた。
「こちらこそ、兄さまと海里先生の思い出を一緒に紡いでもらっています」
「これからは、洋ちゃんとの思い出も追加してね」
「えぇ、もちろん」
静かな夜だわ。
心を掻き乱されることのない静寂。
私の心は凪いでいる。
今は……どこまでも、静かに……
今なら素直にもう一人の娘にも会えそうね。
会いたいわ。
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