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17章
月光の岬、光の矢 12
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洋の奴、あんなに息を切らして……
意気揚々と離れに戻って行く洋の後ろ姿に、思わず笑みが漏れた。
明るくなったよ、お前は――
電話をかけられる相手がいるのなら、何度でもしたらいい。
大切な人が、この世に生きているのは、奇跡なのだから。
俺なんて……
遠い昔、流水さんは兄であった湖翠さんに何か遺せたのだろうか。
もう二度と会えない覚悟で、愛しい人を置いて家を出るのは、どのような心地だったろう。
地上で一番愛しい人との縁を、自ら断ち切るなんて。
……
惨い運命だ。
惨すぎる……
まさか丈夫だけが取り柄だった俺が、死の病に蝕まれていたなんて。
湖翠の前で、命果てることだけは避けたい。
そんな惨い映像は絶対に見せたくない。
ならば……姿を消すしかない。
どこかで生きているように希望を抱かせて消えるしかない。
うっ……また胸が締め付けられる。
小さな発作はやがて大きな発作へ。
もう、ここにはいられない。
明日、出奔せねば、
この寺に、俺が生きた証を残そうと思い立ったが、叶わぬようだ。
本当は龍神の石像を、俺の化身として置いていきたかった。
だが、俺には……作る体力も時間もない。
残った体力と気力で、湖翠の中に今宵希望を灯せるかどうかの瀬戸際だ。
幻の龍神よ。
俺を連れて行ってくれ。
再び兄と巡り逢える次の世まで――
その時は、お前を形にしてこの寺に置いてやる。
……
「流、どうした?」
「翠……」
いつの間にか、翠がすぐ傍に立っていた。
俺としたことが、翠の気配に気づかぬ程、暗い過去に足を突っ込んでいたのか。
翠は美しい顔を曇らせて、心配そうに不安そうに俺の顔を覗き込んできた。
気まずくて、顔を背けてしまった。
こんな不安げな情けない顔は、見せたくない!
「流、どこか具合が悪いのか」
「いや、大丈夫だ」
「だが顔色が悪いよ」
翠には余計な心配をかけたくないし、隠し事もしたくない。
「……実は、過去を思い出していた」
「それは僕たちの前世か」
「あぁ」
「そうだったのか」
翠が表情を緩め、空を仰ぐ。
「空気が湿っているね。こんな日にはまた龍神さまが現れそうだ」
「え? 今……なんと?」
「龍神さまだよ」
「またって……翠は見たことがあるのか」
「いや、ないよ。でも遠い昔に見たと思う」
そうだったのか。
月影寺に残された湖翠さんの前に、龍神が現れたのだろう。
流水さんの無念を乗せて――
「きっとやってきたのだろう。流水さんの心を乗せて」
「今、ふと蘇った記憶だが……龍神様、この手水の前にやってきたよ。だから湖翠さんは庭の紫陽花を手折って、お供えしたようだ」
また一つ、洋の言葉をきっかけに、遠い昔の悲しい記憶が蘇り、俺たちが今すべきことが明確になった。
「翠、実は洋と約束したばかりなんだ。この手水の石に沿わせるように、石を掘って龍神を生み出すと」
「流……その言葉を僕はずっと待っていたような気がするよ。遠い昔……湖翠さんが来る日も来る日も手水の前で項垂れて、流水を呼んでいた。涙がはらはらと手水に落ちて……この手水は湖翠さんの寂しさで満ちているようだ。だから龍神様を作って慰めてあげよう」
****
部屋に戻り、もう一度電話をかけた。
今度はすぐに繋がる。
「もしもし?」
「おばあ様、俺です。洋です」
「まぁ、洋ちゃんなの? おばあちゃま、さっき、あなたにお電話したのよ」
「え? 俺もさっきしました」
「まぁ、じゃあ……話し中だったのは?」
「あ……俺たち同じタイミングでかけあっていたのですね」
「くすっ、そうみたい。うふふ、なんだかうれしいわ。気が合う証拠ね」
若々しいおばあ様の弾んだ声に、嬉しくなった。
まるで母と話しているような、不思議な気持ちになっていく。
高揚していく。
「俺はおばあ様の孫なんですね……本当に」
「当たり前よ。あなたは私の可愛い洋ちゃんよ」
「おばあ様……会いに行ってもいいですか。会いたいです」
ようやく素直になれた。
「もちろんよ。いらっしゃい! ずっと待っていたわ」
意気揚々と離れに戻って行く洋の後ろ姿に、思わず笑みが漏れた。
明るくなったよ、お前は――
電話をかけられる相手がいるのなら、何度でもしたらいい。
大切な人が、この世に生きているのは、奇跡なのだから。
俺なんて……
遠い昔、流水さんは兄であった湖翠さんに何か遺せたのだろうか。
もう二度と会えない覚悟で、愛しい人を置いて家を出るのは、どのような心地だったろう。
地上で一番愛しい人との縁を、自ら断ち切るなんて。
……
惨い運命だ。
惨すぎる……
まさか丈夫だけが取り柄だった俺が、死の病に蝕まれていたなんて。
湖翠の前で、命果てることだけは避けたい。
そんな惨い映像は絶対に見せたくない。
ならば……姿を消すしかない。
どこかで生きているように希望を抱かせて消えるしかない。
うっ……また胸が締め付けられる。
小さな発作はやがて大きな発作へ。
もう、ここにはいられない。
明日、出奔せねば、
この寺に、俺が生きた証を残そうと思い立ったが、叶わぬようだ。
本当は龍神の石像を、俺の化身として置いていきたかった。
だが、俺には……作る体力も時間もない。
残った体力と気力で、湖翠の中に今宵希望を灯せるかどうかの瀬戸際だ。
幻の龍神よ。
俺を連れて行ってくれ。
再び兄と巡り逢える次の世まで――
その時は、お前を形にしてこの寺に置いてやる。
……
「流、どうした?」
「翠……」
いつの間にか、翠がすぐ傍に立っていた。
俺としたことが、翠の気配に気づかぬ程、暗い過去に足を突っ込んでいたのか。
翠は美しい顔を曇らせて、心配そうに不安そうに俺の顔を覗き込んできた。
気まずくて、顔を背けてしまった。
こんな不安げな情けない顔は、見せたくない!
「流、どこか具合が悪いのか」
「いや、大丈夫だ」
「だが顔色が悪いよ」
翠には余計な心配をかけたくないし、隠し事もしたくない。
「……実は、過去を思い出していた」
「それは僕たちの前世か」
「あぁ」
「そうだったのか」
翠が表情を緩め、空を仰ぐ。
「空気が湿っているね。こんな日にはまた龍神さまが現れそうだ」
「え? 今……なんと?」
「龍神さまだよ」
「またって……翠は見たことがあるのか」
「いや、ないよ。でも遠い昔に見たと思う」
そうだったのか。
月影寺に残された湖翠さんの前に、龍神が現れたのだろう。
流水さんの無念を乗せて――
「きっとやってきたのだろう。流水さんの心を乗せて」
「今、ふと蘇った記憶だが……龍神様、この手水の前にやってきたよ。だから湖翠さんは庭の紫陽花を手折って、お供えしたようだ」
また一つ、洋の言葉をきっかけに、遠い昔の悲しい記憶が蘇り、俺たちが今すべきことが明確になった。
「翠、実は洋と約束したばかりなんだ。この手水の石に沿わせるように、石を掘って龍神を生み出すと」
「流……その言葉を僕はずっと待っていたような気がするよ。遠い昔……湖翠さんが来る日も来る日も手水の前で項垂れて、流水を呼んでいた。涙がはらはらと手水に落ちて……この手水は湖翠さんの寂しさで満ちているようだ。だから龍神様を作って慰めてあげよう」
****
部屋に戻り、もう一度電話をかけた。
今度はすぐに繋がる。
「もしもし?」
「おばあ様、俺です。洋です」
「まぁ、洋ちゃんなの? おばあちゃま、さっき、あなたにお電話したのよ」
「え? 俺もさっきしました」
「まぁ、じゃあ……話し中だったのは?」
「あ……俺たち同じタイミングでかけあっていたのですね」
「くすっ、そうみたい。うふふ、なんだかうれしいわ。気が合う証拠ね」
若々しいおばあ様の弾んだ声に、嬉しくなった。
まるで母と話しているような、不思議な気持ちになっていく。
高揚していく。
「俺はおばあ様の孫なんですね……本当に」
「当たり前よ。あなたは私の可愛い洋ちゃんよ」
「おばあ様……会いに行ってもいいですか。会いたいです」
ようやく素直になれた。
「もちろんよ。いらっしゃい! ずっと待っていたわ」
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