重なる月

志生帆 海

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16章

翠雨の後 5

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 部屋に戻って、窓を全開にした。

 春風を招き入れたくて、新風を浴びたくて。

 すると風に乗って、父さんの読経の声が聞こえてきた。

 オレはイヤホンをはめるのはやめて耳を傾けた。

 昔はこの声が大っ嫌いだった。呪文みたいだし、何を言っているか理解不可能でシャットアウトしたく、お経が聞こえてくると耳を塞ぎたくなった。

 だからイヤホンやヘッドホンで、大音量で洋楽を聴いて紛らわせた。

 今も正直、お経の内容は理解不可能だけど、優しい父さんの声だと思うと親近感が持てる。

 オレ……本当に変わったな。

 自分で自分の変化に驚いている。

 押し入れをあけて、昨日届いたばかりの制服を取りだした。

 まだ白い箱に入ったままだ。

 中学までは学ランだったが、今度の高校はブレザーだ。

 海まで徒歩1分の由比ヶ浜高校は、流さんの母校。

 グレーのスラックスに白いシャツ、 濃紺のブルーの斜めストライプのネクタイ、そして濃紺のジャケットか。

 カッコいいな!

 少しだけ大人になった気分だ。

 さっき父さんに宣言した通り、試着してみよう!

「ん? あれれ?」

 ところが、ネクタイのやり方が分からない。

 ネクタイなんて、小学校の入学式以来だ。

 いや、あれはワンタッチ式だったか。

「うーん、困ったな」

 父さんは檀家さんの法要で読経中だし、流さんはさっき買い出しに出掛けてしまった。この時間だと、丈さんは出勤してしまっただろうし……

 今、この寺で頼れるのは、小森くんか洋さんだけだな。

 微妙な選択肢だと苦笑した。

 小森くんはジャージ姿か小坊主姿しかしたことないから、ネクタイを結ぶのなんて無理だろう。

 じゃあ、残るは洋さんか。
 
 意を決して、洋さんたちの離れに向かった。

 すると洋さんはテラスで、飼い猫と戯れていた。

「洋さん、翻訳の仕事、今日はないの?」
「薙くん! いや、あるけど、少し気晴らしをね」
「ふーん、あのさ、ネクタイの締め方教えてくれる?」
「ん?」

 自分の襟元を見せると、洋さんが明るく笑った。

「薙くん、それ高校の制服?」
「うん、今度はブレザーなんだ」
「いいね、俺も高校はブレザーだったよ」

 そのまま洋さんは押し黙ってしまった。

 また何か地雷を踏んでしまったのか、心配になる。

「あの、ネクタイ、直してくれない? どうしても長さが揃わないんだ」
「俺でいいの?」
「こーいうのって、兄貴を頼るんじゃないかなって」
「アニキ?」
「そう! 洋さんと俺って結構な年の差だけど、なんかもっと近く感じるんだ。だからアニキポジションさ」
「薙くん……それって……」

 あ、嫌だったかな?

 心配になって様子を窺うと……

「嫌だったら、ごめん」
「とんでもないよ。とても新鮮だよ! 嬉しいよ!」

 洋さんは見たこともない程、明るい笑顔を浮かべてくれた。

「へぇ、洋さんって笑顔が可愛いんだな」
「な、薙くん」
 
 洋さんが真っ赤になる。

 ビシッー

 やべー なんか背後から殺気を感じるぞ。

「薙……まさか……洋を口説いてるのか」
「ひ、ひぇー」

 丈さんが不敵な笑みで現れた。

「ま、まだいたの?」
「今日は学会で、今から出掛ける所だ。しかし油断も隙もないな。その顔でその台詞。高校生活がさぞかし楽しみだな」
「と、父さんと叔父さんの血、ミックスだから」
「それでいい。頼もしいぞ。だが洋を口説くな」
「口説いてなんていないよー」
「ふっ。ネクタイひん曲がってるな」

 結局丈さんに直された。

「洋のネクタイもいつもこんなだ」
「えー!」
「薙は洋にも似たらしい」
「えー!」

 賑やかな日常が戻ってきた。

 こうでなくちゃ。

 人が集う場所には、笑顔が溢れるのが一番いい!

「丈、嬉しい言葉だ」
「だろう。なっ、薙」
「あぁ、なんだか楽しくなってきたよ。そうかオレのこの不器用さは洋さんに似たのか。納得したよ」

 さぁ、駆け抜けよう。

 今までの鬱蒼とした気持ちを、どんどん跳ね飛ばして!
 



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