重なる月

志生帆 海

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第3部 15章

花を咲かせる風 39

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*****



  カラン、コロン――

 竹林の奥から、鈴の音がする。

 可愛い足音と一緒に、どんどん俺の方に近づいて来る。

 薙くんが作ってくれた明るい道を、真っ直ぐに駆けてくる。

 利発そうな坊やが満面の笑みで息を切らせて……

「ま……まこくん!」

 咄嗟にそう呼んでいた。

 今、俺が立っている場所が、どこだか分からなくなる。

 時空がぐにゃりと揺れるような衝撃を受けた。

「洋、抱きしめてやるといい」

 しかし……今の俺は一人ではない。
 丈がしっかり俺を支えてくれている。

「まこくん、おいで!」

 両手を思い切り広げて、しゃがんだ。
 
 夕凪なら、きっとそうすると思ったから。
 
「おかあちゃま! おかあちゃまだ!」

 俺は少年を深く強く抱きしめてやった。

 着物姿のまま高く抱き上げてやると、まこくんが本当に嬉しそうに笑ってくれた。

「おかあちゃま、おかあちゃま、もう具合はよいのですね」

 これは幻だと思うのに、湿った竹林の空気の中に日溜まりのような匂いが立ち込める。
 
「ぼくね……おかあちゃまに……ずっと、だっこしてもらいたかったんです」
「まこくん……ごめんね。俺が不甲斐なくて……そうだ……鈴を見つけたんだ。あの日……祇園白川に落としてしまったものを……」

 自然に口と身体が動く。

 まこくんのおこぼ(子供用の下駄)に、夕凪のがま口に入っていた鈴をはめてやった。
 
「あ……これ……見つかったの? ありがとう! ぼくは……ずっとずっとおかあちゃまが大好きでした」

 大好きでした……?

「あっ、まこくん」

 腕の中のまこくんが、煙のようにふっと消えてしまった。

「あ……君は……君は……どこへ」
「これで……おかあちゃまとずっといっしょです」
 
 いつの間にか、目の前に一人の紳士が立っていた。

 俺を見て、目を見開き絶句している。

「あの……」
「き、君は……」

 紳士は喪服を着ていた。
 紳士は胸元に遺影を持っていた。

 写真の中で穏やかに微笑む老人は……まさか……面影が……

「まっ、まこくんですか。その人は……」
「私の父を知っているのですか……父をその名で呼ぶなんて……」
「……‼」
「君は……まさか……夕凪さん? 父を迎えに来てくれたのですか」
「あっ……」

 なんてことだ。

 俺が京都に来てから何度も何度も夕凪とまこくんと邂逅したのは……まこくんの臨終の時だったからなのか。

 おかしい……記憶がバラバラだ。先程、電車の中で見た光景では……まこくんは、もっと早く亡くなっていると思ったのに……違ったのか。

 つい最近まで、存命だったのか。

「あ……あなたは誰ですか」

 緊張のあまり……喉が詰まって上手く声が出ない。

 でもどうしても聞かないと……

「私は信の息子です」
「息子! あ……あなたの……お名前は?」


 ****

「夕凪……具合はどうだ?」
「あっ、信二郎か……まこくんは?」
「もう眠ったよ」
「そうか……最近胸が苦しくて抱っこしてあげれなくて……辛い」

  信二郎の表情が曇る。

「そのことだが……医師の診察の結果が出た」
「……どうだった?」
「夕凪……君の心臓は想像より悪いんだ。まこを育てる体力がないほどに……」
「え?」
「……相談の上、まこは律矢さんが引き取ってくれることになった」
「そんな……」

 双眸から涙が溢れる。

「俺の……まこくんなのに……そんなの嫌だ! 嫌だ! うっ……」
「あぁ馬鹿……興奮するな。私も……私も……まこが夕凪と私の子供だと錯覚して……この七年間、浮かれ気味に過ごしてしまった。君の体調の変化にすぐに気付いてやれず、すまない」
「俺のことなんて、どうでもいい」
「馬鹿、そんなこと……二度と言うな」

 いつも冷静沈着の信二郎の目からも涙が溢れる。

「いつか……また巡り会えるよ。次の世か……そのまた次の世か分からないが、まこと夕凪はとても近い場所で出会うだろう。まこは私の血を真っ直ぐに受け継いでいるからな……もしかしたら今度は夕凪がまこの子供になっているかもな」

 信二郎なりの励ましだったのだろう。
 その言葉に、微かな希望を抱く。

「それでもいい……まこくんの近くに生まれ変われるのならば」
「夕凪……私もそれでもいい。次の世でも夕凪の傍にいられるのならば……」
「信二郎……」


 

 
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