重なる月

志生帆 海

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第3部 15章

花を咲かせる風 3

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「それ、大変だったね」

 歩きながら、薙くんの学ランを指差した。
 
「あっこれ? 女子に勝手に持って行かれたんだ」
「へぇ、どんな子だった?」
「わかんない」

 ちゅっと口を尖らせる様子が、年相応で可愛いかった。
 
「凄い争奪戦だったんだね」
「そうなんだ。女子って怖いよな。でも一つは父さんのポケットの中にあるんだよ」

 薙くんの表情がキラキラと輝いた。

「洋さんは知ってた? 第4ボタンには『家族』の意味があるんだって」
「……家族」
 
 なるほど、だから翠さんにボタンを渡したのか。

 翠さんと薙くんの親子関係は、最近更に良くなった。それはとても嬉しいことなのに、少しだけ仲の良い親子を羨ましく思ってしまった。

 俺って駄目だな、こんな晴れの日に。

 こんな日は、俺も肉親に甘えてみたくなる。だからなのか、ふと白金のおばあさまの姿を思い出した。俺に流れる母の血が呼んでいるのか、求めているのか。




 母屋に向かって歩き出すと、突然背後から声をかけられた。

「ようちゃん! 来ちゃった!」
 
 俺をこう呼ぶのは……

「お、おばあさま? と、突然、どうしたんすか」

 まさに今、心の中で思い浮かべた人の突然の来訪に驚いてしまった。

「あのね、お彼岸のお墓参りで近くを通ったら、急にあなたの顔を見たくなったの」

 俺の顔を見たくなった? 

 そんな風に言ってもらえるなんて、まだ信じられない。

「どうも、こんにちは、白江さん」

 翠さんがたおやかに会釈する。

「こんにちは、翠さん。今日は一段と麗しいですわね。あの、少し洋をお借りしたくて……ようちゃん、いいかしら?」
「あ……はい、もちろん」

 高齢の祖母がわざわざ立ち寄ってくれたのだ。

 翠さんも流さんも顔を見合わせて、納得してくれたようだ。

「洋くん、気をつけて行くんだよ」
「あの、すみません。猫にご飯を食べさせてくれますか」
「いいぜ、洋くん、楽しんでおいで。その代わり夕食は一緒に食べような」

 流さんに肩をポンポンと叩かれた。
 本当に、いつも温かい人だ。

「えぇ、ぜひ! 夕食までには戻ります」

 俺は猫を流さんに預け身支度を手早く整えて、おばあさまの元に駆け寄った。

 車にはお抱えの運転手さんが待機していたので、会釈して乗り込んだ。

「ようちゃん急に来てしまって驚いたでしょう。冬郷家の皆さんは最近忙しくて退屈だったの。だからおばあちゃまの相手を少しだけしてね」
「はい! あの、どこに行きたいですか。どこでも付き合います」
「……そうね……じゃあ、あなたが夕と暮らしていた家を、私に見せてもらえないかしら」
「えっ」

 激しく動揺してしまった。

 あの家で義父と二人きりで暮らした日々を、祖母に見られるのは辛い。

 だが、すぐに目の前が明るく開けた。

 そうだ。もうあの家は大丈夫なんだ。丈が義父との思い出が残るものを、全部壊して消し去ってくれたから。

 あの日、改装したばかりの部屋で丈に抱かれた。病室のように真っ白な壁紙は淡い水色に染まり、ベッドもリネンも新しいものになっていた。全部俺が好きな海の色で揃えられ、爽やかな空間になっていた。

『太平洋の洋……そんなイメージで改装したよ。ここで洋を抱きたい。怖い記憶は、私達で塗り潰していこう』

 あの日際限なく抱かれた熱を思い出して、ぶわっと顔が火照ってしまった。

「あら、ようちゃんのお顔、赤いわよね。お熱かしら?」
 
 祖母の手が、そっと俺の額に触れてくれた。

 血の繋がりを感じる指先、その温もりに安堵した。

「俺……本当は……今日は人恋しかったんです。だからおばあさまに会えて嬉しいです」

 ちゃんと言えた。俺が寂しかったことも、会いたかったことも。

「まぁ嬉しいわ。ようちゃんは可愛い子ね」
「おばあさまを家に案内します」
「ありがとう。どうしても……夕が過ごした家を元気なうちに見ておきたくて……こんな我が儘を言ってごめんなさいね」
「いえ、俺も久しぶりに母の部屋に行きたくなりました」

 母の部屋は、今も当時のまま残してある。

 まるで今日という日を待っていたかのように。 

 女性らしい雰囲気の白いベッドに華奢な白木の鏡台、淡い橙色のリネン類。

 母の面影を感じるあの部屋に、今から祖母を案内しよう。

 これは俺の意志で選んだ道だ。

 もう俺は自由だから、出来ることだ。










あとがき(今日の更新分に対する補足です。不要な方は飛ばして下さい)




****

今日は少し難しい展開でした。
私も納得行かず、何度か書き直してしまいました。
今日の洋は『家族』のボタンの話から、翠と薙の親子関係を少し羨ましく思ってしまいました。洋が気を抜くとまだ暗い考えになってしまうのは、彼の寂しい生い立ちが影響しています。でも私はそんな洋が人間らしくて好きです。
今までだったら押し殺していた感情でした。寂しいとか会いたいとか……そんなこと望めない境遇にいたので、まだ少ししこりで残っているのです。

洋がもっと人間らしく心から笑えるようになるためのステップを、書いていこうと思います。








 

 
 

 
 
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