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14章
身も心も 40
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「帰ろう」
その一言に尽きる。
僕が帰る場所は、月影寺だけだ。
どうしてあの時あんなに呆気なく離れることが出来たのか。あの時の僕は、進むべき道を見失っていたのかもしれない。
しかしあの道がなければ、僕は愛おしい息子、薙に出逢えなかった。
『全ての出来事には、理由がある』
先人たちの言葉に、偽りはない。
結果的に僕は子孫を残すことになった。
月影寺を後世に繋げていく架け橋をかけたのだ。
もちろん、薙が寺を継ぐかどうかは分からない。薙はまだ15歳の子供だから、自分の進むべき道を見つけていない。押しつける気もない。それでも薙という存在は大きい。
「翠、どうした?」
「うん……ちょっとね、あの日を思い出すよ」
「月影寺に戻って来た日のことか」
「もう最後の方は戻りたくて戻りたくて……魂だけでも飛ばしたくなっていた」
「馬鹿だな。そんなに帰ってきたかったのか」
あの日の僕は、視力を失い傷だらけの身体で車に揺られていた。
母が心配そうに見つめる視線を、心で感じながら。
目を閉じると、あの日の母の声が聞こえる。
『さぁ帰りましょう。北鎌倉に』
同時に……あの日の僕の姿も見えてくる。
僕はいい歳して母に心配かけて情けないやら悲しいやらで、助手席でひとり零れそうな涙を堪えた。いよいよ我慢出来なくなり、窓を開けて車中に吹き込んで来る風に身を任せていた。
涙は光となって過ぎ去っていった。
僕を通り過ぎてきた遥か彼方へ──
やがて空気が、突然変わったのを今でも覚えている。
塵が舞う都会の重く息苦しい空気は、いつの間にか新緑の香りを乗せた爽やかなものに変化していた。懐かしい肌馴染みのいい森の匂いを強く感じた。
北鎌倉の山々から一気に吹き下ろす力強い風を全身に浴びて、ようやく気持ちが落ち着いた。
間もなく流に会えると、密かに胸を高鳴らせていた。
「流、窓を開けておくれ」
「あぁ」
「薫風だね」
「翠の帰還を祝福しているようだ」
あの時は匂いだけで見えなかったが、今ははっきり見える。
目にも鮮やかな若葉の一枚一枚が、風に揺れる様子も。
「いつの間にか桜は散り、新緑の季節だね」
「翠の季節さ。今日は翠が月影寺に戻ってきた日と似ているな」
「そうだね。でもね……あの日とは違うよ」
「そうだな」
「僕は流のものになり、流は僕のものになった。それにもうここに傷もないし……それに目もちゃんと見える」
両手を伸ばして降り注ぐ光に触れたくなるような、心の煌めきを感じていた。
「もうすぐ着くぞ」
「うん!」
「ふっ、可愛い返事だな。翠は最近変わったよ」
「そう?」
「気付いていないのか。とても心が寛いでいるようだ。本来の自分を出せているようだ」
「あ……僕、何か変だったか」
「ふっ、はしゃいでいたよ」
「はしゃぐ……? 困ったな……住職には相応しくないよ」
気恥ずかしくて俯いていると、また流に声をかけられた。
「翠、顔をあげろよ」
「何?」
「翠の大切な人達が、あそこに」
「あっ」
山門を降りた国道の道に、薙と洋くんが仲良く立っていた。
手を振っている。
笑っている。
僕の帰りを待っていてくれたのか。
「歓迎してくれているな」
「うん……!」
ようやくここに辿り着いた。
僕の目指した世界に。
「翠さん、お帰りなさい」
「父さん、お帰りさない!」
血を分けた息子と、僕らの長い旅路を見守ってくれた洋くんを両手で抱きしめた。
あぁ、そんな僕を包むのは、翠色の世界だ。
爽やかな風が、僕たちを包みこんでいく。
もうすべて忘れよう、今日からが新しいスタートなんだ。
もう全部……消えたのだから。
「薙……洋くん、ただいま!」
月影寺を守る住職は、この僕だ。
そして僕を補佐し、僕と愛し合ってくれる男が流だ。
二人の男の歩む道は、どこまでも月光に照らされた一本道。
もう僕には流、お前だけだ。
身も心も、流のものだ。
だから流も……僕に全部……ぜんぶ……委ねておくれ。
身も心も愛してるよ。
その一言に尽きる。
僕が帰る場所は、月影寺だけだ。
どうしてあの時あんなに呆気なく離れることが出来たのか。あの時の僕は、進むべき道を見失っていたのかもしれない。
しかしあの道がなければ、僕は愛おしい息子、薙に出逢えなかった。
『全ての出来事には、理由がある』
先人たちの言葉に、偽りはない。
結果的に僕は子孫を残すことになった。
月影寺を後世に繋げていく架け橋をかけたのだ。
もちろん、薙が寺を継ぐかどうかは分からない。薙はまだ15歳の子供だから、自分の進むべき道を見つけていない。押しつける気もない。それでも薙という存在は大きい。
「翠、どうした?」
「うん……ちょっとね、あの日を思い出すよ」
「月影寺に戻って来た日のことか」
「もう最後の方は戻りたくて戻りたくて……魂だけでも飛ばしたくなっていた」
「馬鹿だな。そんなに帰ってきたかったのか」
あの日の僕は、視力を失い傷だらけの身体で車に揺られていた。
母が心配そうに見つめる視線を、心で感じながら。
目を閉じると、あの日の母の声が聞こえる。
『さぁ帰りましょう。北鎌倉に』
同時に……あの日の僕の姿も見えてくる。
僕はいい歳して母に心配かけて情けないやら悲しいやらで、助手席でひとり零れそうな涙を堪えた。いよいよ我慢出来なくなり、窓を開けて車中に吹き込んで来る風に身を任せていた。
涙は光となって過ぎ去っていった。
僕を通り過ぎてきた遥か彼方へ──
やがて空気が、突然変わったのを今でも覚えている。
塵が舞う都会の重く息苦しい空気は、いつの間にか新緑の香りを乗せた爽やかなものに変化していた。懐かしい肌馴染みのいい森の匂いを強く感じた。
北鎌倉の山々から一気に吹き下ろす力強い風を全身に浴びて、ようやく気持ちが落ち着いた。
間もなく流に会えると、密かに胸を高鳴らせていた。
「流、窓を開けておくれ」
「あぁ」
「薫風だね」
「翠の帰還を祝福しているようだ」
あの時は匂いだけで見えなかったが、今ははっきり見える。
目にも鮮やかな若葉の一枚一枚が、風に揺れる様子も。
「いつの間にか桜は散り、新緑の季節だね」
「翠の季節さ。今日は翠が月影寺に戻ってきた日と似ているな」
「そうだね。でもね……あの日とは違うよ」
「そうだな」
「僕は流のものになり、流は僕のものになった。それにもうここに傷もないし……それに目もちゃんと見える」
両手を伸ばして降り注ぐ光に触れたくなるような、心の煌めきを感じていた。
「もうすぐ着くぞ」
「うん!」
「ふっ、可愛い返事だな。翠は最近変わったよ」
「そう?」
「気付いていないのか。とても心が寛いでいるようだ。本来の自分を出せているようだ」
「あ……僕、何か変だったか」
「ふっ、はしゃいでいたよ」
「はしゃぐ……? 困ったな……住職には相応しくないよ」
気恥ずかしくて俯いていると、また流に声をかけられた。
「翠、顔をあげろよ」
「何?」
「翠の大切な人達が、あそこに」
「あっ」
山門を降りた国道の道に、薙と洋くんが仲良く立っていた。
手を振っている。
笑っている。
僕の帰りを待っていてくれたのか。
「歓迎してくれているな」
「うん……!」
ようやくここに辿り着いた。
僕の目指した世界に。
「翠さん、お帰りなさい」
「父さん、お帰りさない!」
血を分けた息子と、僕らの長い旅路を見守ってくれた洋くんを両手で抱きしめた。
あぁ、そんな僕を包むのは、翠色の世界だ。
爽やかな風が、僕たちを包みこんでいく。
もうすべて忘れよう、今日からが新しいスタートなんだ。
もう全部……消えたのだから。
「薙……洋くん、ただいま!」
月影寺を守る住職は、この僕だ。
そして僕を補佐し、僕と愛し合ってくれる男が流だ。
二人の男の歩む道は、どこまでも月光に照らされた一本道。
もう僕には流、お前だけだ。
身も心も、流のものだ。
だから流も……僕に全部……ぜんぶ……委ねておくれ。
身も心も愛してるよ。
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