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13章
夏休み番外編『Let's go to the beach』10
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「さぁどうぞ」
「すみません。僕……さっきから……涙が制御出来なくなって……こんなこと初めてで、変なんです」
瑞樹という名の青年自身が、自分の涙に戸惑っているようだった。
「……大丈夫ですよ。きっと今まで堰き止めていた涙が、零れているだけなのだから。きっと何か大きな悲しみをずっと我慢してきたのですね」
その青年の気持ちに寄り添うように話しかけると、縋るような表情を浮かべた。
「あの……僕は北鎌倉で僧侶をしています。そしてこっちは弟で、外科医をしています。身近な人に話せない内容でも、僕たちに話して楽になれるのなら、どうぞ。苦しみは、時に吐き出すのも大事ですよ。だから、ここに置いていっても構いません」
「あの、兄さん、先に背中の治療をしてもいいですか」
「あぁ丈、ごめん。そうしてあげて」
青年は恐縮していた。謙虚な人柄のようだ。
「何から何まで……すみません」
「いや、この背中のローションを塗ったのは私のパートナーです。だからしっかり治療させて欲しい」
「……パートナー?」
「えぇ」
「あぁ……そうか、そうだったのですね」
珍しく丈が自ら、見ず知らずの人に洋くんとの関係を告げた意図は何だろう。でもその言葉に、青年の緊張が少し緩んだ気がした。
「あの……さっきの彼に非はありません。だからどうか怒らないであげてください。塗り方がムラになってしまっていたのは、ちゃんと彼から事前に教えてもらっていたのに、僕が海に夢中になって、怠ったせいですから」
やはり優しい……気遣いが出来る青年だ。
「優しい言葉をありがとう。夏の紫外線は危険で、特に海は浜辺も水面も日光の照り返しが陸上よりも強いんだよ。あぁ……背中、結構赤くなっているので、まずは冷やそう」
「あっハイ……すいません」
「君はもともと色白だから焼けると赤くなってしまうようだな。背中……正直辛いだろう。激痛が走っているはずなのに、随分と我慢強い……」
「この位……痛っ」
顔をしかめるが、グッと耐えていた。
「とにかく冷やすのが肝心だ。日焼けは火傷と同じ症状だからね。強い紫外線の影響で肌が炎症を起こしている状態だ。だからすぐに正確なケアをしないと肌を痛めてしまう。さぁここに俯せになって」
丈は持ってきたクーラーボックスから、大きなアイスバッグを取り出し、彼の赤く火照った背中に乗せた。
「んっ冷たい……でも気持ちいいです」
「暫くこのままじっとしていて。きっと今日はお風呂や浴衣が沁みるな。このボディソープは日焼けした肌用で低刺激だから使うといい。あと化粧水とクリームで肌に水分補給を忘れないで。こちらもどうぞ、今晩使うといい」
驚いた。化粧水とクリームまで持ってきていたのか。
おそらく洋くんのために用意したものだろう。それを惜しげもなく青年に渡す姿に、嬉しさが込み上げてきた。
僕の弟たちは……人のために率先して何かを出来る人間のようだ。
弟たちの行動に感動してしまった。
さぁここからは僕の出番だ。
流が持たせてくれた冷茶を彼に飲ませ、自家製の梅干しも食べさせた。
「君自身も水分と塩分補給をしよう」
「ふぅ美味しいです。僕……人工的な甘いものが苦手なので、助かります」
背中を冷やしていく過程で、涙も収まった。
そろそろ話を聞いても良さそうだと判断した。
「丈、ありがとう。彼は落ち着いてきたと洋くん達に伝えてやるといい。きっと心配しているから」
「分かりました。翠兄さん、後はよろしくお願いします」
丈を外に出し、テントのように大きなサンシェードに僕と背年の二人きりになった。その方がいいと思った。青年の苦しみは多くの人に知らせるものでない気がしたから。
「すみません。僕のために皆さんにご迷惑を……せっかくのレジャーを台無しに……」
周りへの配慮に長けた好青年だが、それは時に気の毒な程彼を追い詰めることにもなりかねない。
「あぁそれは気にしなくてもいいよ。可愛いゲストも加わって外でスイカ割りをしているようだし」
「え? あっ……本当ですね。芽生くんの笑い声がする。あぁよかった」
耳を澄ませば、賑やかな声が聞こえてきた。
あんなに小さな子供と接するのは僕自身も久しぶりだ。薙が小さい頃、海に連れて来てあげたら、喜んだだろうな。あの頃の僕には……どこまでも父親らしい気配りが欠けていたと反省してしまう。
「さぁだから安心して話して欲しい。さっきの君の涙がどこからやってきたのかを……」
「……あの、本当に話しても? 」
「もちろんだよ。誰に言わないから安心して。僕に……少し荷を下ろしていくといい。ここで出会ったのも、何かの縁だよ」
彼は暫く迷っていたが、重たい口をようやく開く決心をしたようだった。
「実は……さっき芽生くんが迷子になってしまった時に、咄嗟に僕の弟のことを思い出してしまったんです」
「そう……もしかして弟さんは、さっきのお子さんと同じ歳位の時……仏さまになってしまった? 」
「何でそれを? 」
「感じるよ。その時の喪失感が連動して、蘇ってしまったんだね」
彼は、はっとした表情を浮かべた。
「はいその通りです。まだ僕が十歳の時でした。両親と弟を一気に亡くした絶望感と喪失感が大きくて、外に出るのも人に会うのも嫌で、毎日泣いていました。僕だけを置いて逝ってしまった家族の後を追いたいと思うことも……」
「そうか、幼いのに辛い体験をしたんだね。でも死は永遠の別れではないよ。また天上の世界……つまり浄土で会える。亡くなられたご両親も弟さんも今は浄土から君を見守っているんだよ。君が喜べば、ご両親も弟さんも連動して嬉しい気持ちになっているよ」
「……」
「花が咲いたり風が吹いたりするように……自然に身を任せて生きて行けばいい。結局この世で人は、皆もっと大きな命に抱かれているのだから」
「花が咲いたり……?」
「そうだよ。小川が自然に流れていくように生きて行けばいい」
「あの……夏樹といいました。僕の可愛い弟の名前は……」
「夏樹くんか……可愛い名前だね」
「うっ……もう誰も呼んでくれない名前だと思っていたから……嬉しいです。夏樹、僕の夏樹……」
また雨が降る。彼を濡らす雨がしとしとと……
でもその雨は、さっきのように土砂降りではない。
「夏樹くんもお兄さんが大好きだったんだね。分かるよ……君の幸せを強く願っている。もっと周りの人に話して、頼って生きていいよって言っている……」
感じたままを伝えた。
彼と同行している男性と子供との関係は分からないが、今の彼には、彼らがついていると思ったから。
****
本日更新分は『幸せな存在』Let's go to the beach 10
と呼応しています♡
「すみません。僕……さっきから……涙が制御出来なくなって……こんなこと初めてで、変なんです」
瑞樹という名の青年自身が、自分の涙に戸惑っているようだった。
「……大丈夫ですよ。きっと今まで堰き止めていた涙が、零れているだけなのだから。きっと何か大きな悲しみをずっと我慢してきたのですね」
その青年の気持ちに寄り添うように話しかけると、縋るような表情を浮かべた。
「あの……僕は北鎌倉で僧侶をしています。そしてこっちは弟で、外科医をしています。身近な人に話せない内容でも、僕たちに話して楽になれるのなら、どうぞ。苦しみは、時に吐き出すのも大事ですよ。だから、ここに置いていっても構いません」
「あの、兄さん、先に背中の治療をしてもいいですか」
「あぁ丈、ごめん。そうしてあげて」
青年は恐縮していた。謙虚な人柄のようだ。
「何から何まで……すみません」
「いや、この背中のローションを塗ったのは私のパートナーです。だからしっかり治療させて欲しい」
「……パートナー?」
「えぇ」
「あぁ……そうか、そうだったのですね」
珍しく丈が自ら、見ず知らずの人に洋くんとの関係を告げた意図は何だろう。でもその言葉に、青年の緊張が少し緩んだ気がした。
「あの……さっきの彼に非はありません。だからどうか怒らないであげてください。塗り方がムラになってしまっていたのは、ちゃんと彼から事前に教えてもらっていたのに、僕が海に夢中になって、怠ったせいですから」
やはり優しい……気遣いが出来る青年だ。
「優しい言葉をありがとう。夏の紫外線は危険で、特に海は浜辺も水面も日光の照り返しが陸上よりも強いんだよ。あぁ……背中、結構赤くなっているので、まずは冷やそう」
「あっハイ……すいません」
「君はもともと色白だから焼けると赤くなってしまうようだな。背中……正直辛いだろう。激痛が走っているはずなのに、随分と我慢強い……」
「この位……痛っ」
顔をしかめるが、グッと耐えていた。
「とにかく冷やすのが肝心だ。日焼けは火傷と同じ症状だからね。強い紫外線の影響で肌が炎症を起こしている状態だ。だからすぐに正確なケアをしないと肌を痛めてしまう。さぁここに俯せになって」
丈は持ってきたクーラーボックスから、大きなアイスバッグを取り出し、彼の赤く火照った背中に乗せた。
「んっ冷たい……でも気持ちいいです」
「暫くこのままじっとしていて。きっと今日はお風呂や浴衣が沁みるな。このボディソープは日焼けした肌用で低刺激だから使うといい。あと化粧水とクリームで肌に水分補給を忘れないで。こちらもどうぞ、今晩使うといい」
驚いた。化粧水とクリームまで持ってきていたのか。
おそらく洋くんのために用意したものだろう。それを惜しげもなく青年に渡す姿に、嬉しさが込み上げてきた。
僕の弟たちは……人のために率先して何かを出来る人間のようだ。
弟たちの行動に感動してしまった。
さぁここからは僕の出番だ。
流が持たせてくれた冷茶を彼に飲ませ、自家製の梅干しも食べさせた。
「君自身も水分と塩分補給をしよう」
「ふぅ美味しいです。僕……人工的な甘いものが苦手なので、助かります」
背中を冷やしていく過程で、涙も収まった。
そろそろ話を聞いても良さそうだと判断した。
「丈、ありがとう。彼は落ち着いてきたと洋くん達に伝えてやるといい。きっと心配しているから」
「分かりました。翠兄さん、後はよろしくお願いします」
丈を外に出し、テントのように大きなサンシェードに僕と背年の二人きりになった。その方がいいと思った。青年の苦しみは多くの人に知らせるものでない気がしたから。
「すみません。僕のために皆さんにご迷惑を……せっかくのレジャーを台無しに……」
周りへの配慮に長けた好青年だが、それは時に気の毒な程彼を追い詰めることにもなりかねない。
「あぁそれは気にしなくてもいいよ。可愛いゲストも加わって外でスイカ割りをしているようだし」
「え? あっ……本当ですね。芽生くんの笑い声がする。あぁよかった」
耳を澄ませば、賑やかな声が聞こえてきた。
あんなに小さな子供と接するのは僕自身も久しぶりだ。薙が小さい頃、海に連れて来てあげたら、喜んだだろうな。あの頃の僕には……どこまでも父親らしい気配りが欠けていたと反省してしまう。
「さぁだから安心して話して欲しい。さっきの君の涙がどこからやってきたのかを……」
「……あの、本当に話しても? 」
「もちろんだよ。誰に言わないから安心して。僕に……少し荷を下ろしていくといい。ここで出会ったのも、何かの縁だよ」
彼は暫く迷っていたが、重たい口をようやく開く決心をしたようだった。
「実は……さっき芽生くんが迷子になってしまった時に、咄嗟に僕の弟のことを思い出してしまったんです」
「そう……もしかして弟さんは、さっきのお子さんと同じ歳位の時……仏さまになってしまった? 」
「何でそれを? 」
「感じるよ。その時の喪失感が連動して、蘇ってしまったんだね」
彼は、はっとした表情を浮かべた。
「はいその通りです。まだ僕が十歳の時でした。両親と弟を一気に亡くした絶望感と喪失感が大きくて、外に出るのも人に会うのも嫌で、毎日泣いていました。僕だけを置いて逝ってしまった家族の後を追いたいと思うことも……」
「そうか、幼いのに辛い体験をしたんだね。でも死は永遠の別れではないよ。また天上の世界……つまり浄土で会える。亡くなられたご両親も弟さんも今は浄土から君を見守っているんだよ。君が喜べば、ご両親も弟さんも連動して嬉しい気持ちになっているよ」
「……」
「花が咲いたり風が吹いたりするように……自然に身を任せて生きて行けばいい。結局この世で人は、皆もっと大きな命に抱かれているのだから」
「花が咲いたり……?」
「そうだよ。小川が自然に流れていくように生きて行けばいい」
「あの……夏樹といいました。僕の可愛い弟の名前は……」
「夏樹くんか……可愛い名前だね」
「うっ……もう誰も呼んでくれない名前だと思っていたから……嬉しいです。夏樹、僕の夏樹……」
また雨が降る。彼を濡らす雨がしとしとと……
でもその雨は、さっきのように土砂降りではない。
「夏樹くんもお兄さんが大好きだったんだね。分かるよ……君の幸せを強く願っている。もっと周りの人に話して、頼って生きていいよって言っている……」
感じたままを伝えた。
彼と同行している男性と子供との関係は分からないが、今の彼には、彼らがついていると思ったから。
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