重なる月

志生帆 海

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13章

花明かりのように 8

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 久しぶりに「兄さま」と口に出すと、当時の甘酸っぱく懐かしい思い出が、ふわりと脳裏に広がった。

 両親亡き後、親代わりになって僕を育ててくれた優しい兄さま。

 本当に一時期はとんでもない苦労を掛けてしまったな。

 あれは心臓病が悪化して、ろくに学校に行けなくなってしまった少年時代のことだ。僕は一日中部屋に閉じこもり、ただただ二階の自室から、兄さまが仕事に行き帰ってくるのをじっと見守る日々だった。

 あの……さっき向かいの家から飛び出してきた美しい青年。その俯き加減と思い詰めた表情が、あの頃の柊一兄さまと重なった。

 去っていく背中が、とても寂し気だった。

 それにあの青年の顔はどこかで……

 記憶の糸を辿れば、向かいのお屋敷の女主人、白江さんの双子の娘さんによく似ていた。男性なのに驚くほど似ていて、すぐに悟ってしまった。

 彼はきっと白江さんのお孫さんだ。

 白江さんには、大変美しい双子の娘がいた。そして僕の兄さまは白江さんと同い年で彼女とは幼馴染の間柄だった。お互い旧家に生まれ裕福な幼少時代を過ごした者同士だった。

 僕は兄さまと歳が十歳も離れていたし家にいることも多かったので、白江さんには可愛がってもらった。そして双子の娘さんの子守りや遊び相手をしたことも、よく覚えている。

 朝さんと夕さん……二人は本当に天使のように可愛らしいお嬢さんだった。

 だがその後の人生は、紆余曲折だった。

 大人しく内気だった夕さんが突如、家庭教師の男性と駆け落ちしてしまい、勘当された。

 残された朝さんは遅くに婿養子を迎えて結婚し、お相手の都合で渡米してしまった。家の援助は朝さんの方が今でもしているようだが、夕さんの姿は18歳の頃を最後に、二度とその美しい姿を見ることはなかった。

 彼はあの夕さんの息子なのか。もしそうだとしたら……感慨深いことだ。

 白江さんが素直になれない気持ちも分かるが、それでは彼が気の毒だ。

 今頃になってやってくるなんて、余程の覚悟がいったはずだ。彼の胸の内を想うと切なくなってしまうな。

「春馬……きっとその青年は何かを伝えに来たんだと思うよ。もし再び訪ねて来て、また白江さんが追い返してしまうことがあったら、我が家に連れて来てくれないか。僕は……会ってみたい」
「ありがとうございます! 父さんなら、きっとそう言ってくれると思いました」

 僕に似ず、産まれた時から健康的で逞しい春馬は、嬉しそうに白い歯を見せた。その横で春馬《しゅんま》の息子の小さな秋《あき》も可愛らしく笑っていた。
 
 春馬の明るい笑顔の向こうに、ふと兄さまが生涯を共にした海里先生の姿を思い出してしまった。

 兄さまは幸せだった。生涯に渡りあんなに愛し合える人に出逢えるなんて、僕にとって二人はずっと憧れの存在だった。

 あの青年は、今、何処に住んで、どんな暮らしをしているのだろうか。

 そして今日……母親と一緒に来られなかった理由を知りたい。



****

 夕食の片づけも終わり丈が風呂に入っている間、俺はデスクで作業をしていた。

「ふぅ、流さんのお陰でいいものが出来た」



 もう一つ作らせてもらったシーグラスのフォトフレームに、母が大事に持っていた写真を入れてみた。実家のクローゼットの奥から見つけた幼い俺と母さんが並んでいる写真だ。

 義父が……母さんが亡くなった時に、悲しいからと母さんの写っている写真を全部どこかにやってしまったんだ。最後に再婚してからの物は返してもらったが、再婚前の物は行方不明だった。だからとても……とても貴重な写真なんだ。これは……。

 この頃の母は、まだ二十代なのか。

 綺麗で儚げな母だと、子供ながらにいつも思っていた。

 きっと祖母の記憶の中の母と少しは合致するのではと、また甘い期待を抱いてしまう。

 次は……母が既に亡くなっている事実を、どうしても俺の口から伝えないといけない。

 もう逃げないで、真実を伝えよう。

 そうしないと俺も祖母も、一歩も進めないと思うから。

 海の荒波に揉まれて、俺の元に辿り着いたこのシーグラスに、勇気を分けてもらいたい。










補足

****

雪也のお兄さんの柊一の物語は『まるでおとぎ話』で語っています。
雪也視点で『まるでおとぎ話』の世界を見つめたものが、『おとぎ話を聞かせてよ』です。 


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