重なる月

志生帆 海

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13章

花明かりのように 1

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 鞄の中に、俺の母が俺の祖母にあたる人へ宛てた手紙を、そっと忍ばせた。

「洋、そろそろ行くのか」
「うん、行くよ」
「……」

 何か言いたげな丈は、口を一文字に結んだ。

 その代わりに頼もしい胸元に、ふわっと抱き寄せられた。すぐにトクトクと、規則正しい心臓の鼓動が伝わってくる。俺もその音を聞きたくて耳を澄ました。

「行ってこい。頑張ってこい。そして……何があっても、ちゃんとここに戻って来い」
「……そうするよ」

 その励ましが、今の俺には何よりだと思った。

 俺を信用し送り出してくれる気持ちが嬉しい。もしも凹むようなことがっても、ちゃんと真っすぐに戻って来るよ。

 最初から、全ての物事がうまくいくとは思っていない。

 それでも実家で見つけたこの手紙。

 母が後生大事に持つ続け、結局出せなかった手紙を、俺の手で一刻も早く届けたいと気が急いていた。

****

 北鎌倉から横浜を経由し、更に電車を乗り継ぎ白金台の駅までやってきた。昨日は丈と車で立ち寄ったので少し道に迷ったが、なんとか辿り着けそうだ。

 ふぅ……さすが白金だな。閑静な住宅街が続いているし瀟洒な洋館ばかり並んでいる。さぁいよいよ、この角を曲がったら到着だ。

「あれ? 」

 この前は気が付かなかったが、祖母の家と向いの家が対のような佇まいになっている。どちらも重たそうな鉄の門からアプローチのある豪邸だった。そして蔦と白薔薇に、白い煉瓦の壁がぎっしりと埋めつくされていた。

 もしかして同じ建築家が建てたのだろうか。大正から昭和初期の趣を色濃く残す建物でレトロな洋館だ。

 ~創作フレンチレストラン・月湖《つきこ》~

 前回訪れたレストランの看板の前で立ち止まり、そしてそのまま洋館の二階を見上げた。

 出窓にはレースのカーテンがかかり、窓辺には白い花が咲いている。

 あそこに俺の祖母が住んでいるのだろうか。
 俺の母を産んだ人が本当にいるのだろうか。
 すぐに会ってもらえるだろうか。

 俺は母がどういう経緯で家を飛び出し、どうして父と駆け落ちし、勘当されてしまったのか。詳しい経緯を俺は知らない。そして義父がどういうタイミングで絡んでいたのかも……伯母からの情報しか持っていない。

 そもそも叔母は母が亡くなったことを、祖母に伝えたのだろうか。
 伝えていないのかもしれない……何も音沙汰がなかったのだから。

 勘当したとはいえ自分の娘が亡くなったら、何かしらの反応があってもいいんじゃないか。もしかしたら……これはとても難しい、難しすぎる、複雑な話なのかもしれない。

 だが、誰かが、その垣根を超えないといけない。

 歩み寄りたい人がいるのなら勇気を出して一歩踏み出さないと、何も始まらない。

 でも……もう少しの勇気が欲しい。

 手紙の他にもう一つ持ってきたハンカチを、鞄の中から取り出した。
 
 『You』と刺繍されたハンカチの文字を指先でなぞる。

 『洋《ヨウ》』でもあり、『夕《ユー》』とも読める繊細な刺繍を辿れば、心に火が灯るようだ。

 深呼吸して母を想う。
 
 母の最期の言葉は聞けなかったが、今は心に届くようだ。

(洋、頑張って……お願いよ……私が伝えられなかった心を……母に届けて欲しいの)

 天から降ってくるメッセージに後押ししてもらい、重たいレストランの扉を開くと、すぐに昨日もいたウェイターさんが応対してくれた。

 黒いエプロンに白いシャツ姿、優し気な顔立ちで爽やかで品の良い青年だ。

 俺と同じ歳くらいなのかな。

「いらっしゃいませ。あれ? あなたは昨日もいらした方では?」

 どうやら、向こうも俺のことを覚えていてくれたらしい。

「あの……空いていますか」
「はい。今日はお一人様ですか」
「はい……あの、その……実は……ここの大奥様にお逢いしたくて」
「え? あなたはどなたですか」
「それは……」



 単刀直入に申し出よう。

 今は、回り道は必要ない。

 隠さずに……素直になろう。

 これは会いたい人に会うための、俺が決めた行動なのだから。

 
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