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13章
解き放て 4
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「あぁ……なんだ。良くここが分かったな」
差出人には『日野暁香《ひの あきか》』と書いてあった。彼女は洋と出逢ったあの製薬会社で、私の助手をしていた女性だ。そして私と一時は身体を重ねた事もある女性だ。
彼女と最後に寝たのはいつだろう。洋がテラスハウスに来る前は、あの場所で欲望の赴くままに抱いた事もあった。自分がそんな節操ない生活をしていたなんて、遠い昔のように思える。
しかし……何故、今頃?
「丈、誰だよ? その女」
流兄さんが興味津々に聞いてくるが、詳しいことを話すのは厄介だ。
「……前の職場の同僚ですよ」
「ふぅん……前の職場って、洋くんと出逢った時のか」
「えぇ、メディカルドクターをやっていた製薬会社です」
「そうか。まぁ読んでみろ。くれぐれも洋くんに心配かけるようなことはするんじゃないぞ」
「当たり前ですよ!」
中を読もうと思った時に、台所に薙が転がり込んできた。
「あぁ、お腹空いて死にそう!」
「薙、お帰り。先に手洗いうがいして。学校でインフルエンザが流行っているんだろう」
「父さんただいま。洗ってくる! 流さん、昼、何?」
「おぉ鍋焼きうどんだ。今、エビの天ぷら揚げてやるからな」
「やったぁ!」
薙は転校先の中学に溶け込めずにいたようだが、あの事件後は吹っ切れたようで、この地域に溶け込もうと頑張っている。三学期からバスケットボール部に入ったので、今日は休日だが練習試合で出かけていたようだ。詰襟の学ランに上気した頬。本当に翠兄さんによく似た綺麗な子だ。
そんな様子を翠兄さんも流兄さんも、眩しそうに眺めていた。いい関係になってきている、そう思える瞬間だ。
****
離れに戻ると、とても冷えていた。ひとりで戻る部屋はガランとして、少し寂しい世界になっていた。洋がいてくれたら、寒くても温かいのに。
書斎の机からハサミを取り出し、手紙の封を切った。
……
丈さん、お元気かしら。暁香です。
あなたが突然消えてから、はっきり行方が掴めなくて困ったわ。だからこうやってご実家のお寺に手紙を出すこと許してね。
私たちが働いていた製薬会社のことは、覚えているわよね?
あれはもう五年以上前の話になるわ。
実は先日、私達の上司だった藤原部長が癌で亡くなったの。部長は出世され役員になっていたので、今度会社の方で『偲ぶ会』催されるの。だから是非来て欲しいと思って。
あなたは部長に、とても親身になってもらっていたでしょう? 部長も最後まであなたのことを心配していたわ。全く何もかも投げ出すして、突然やめるなんてね。
なんとなく今回は連絡がつくような気がしている……どうか間に合いますように。
日時は以下の通りよ。
……
そうか藤原部長が亡くなったのか。まだ六十歳になっていなかったのでは?
彼は同じ医大のかなり上の先輩であったが、温厚で親しみやすく気さくで尊敬できる人だった。人付き合いが下手で苦手だった私の親身になってくれ、あの製薬会社に引っ張ってくれた恩人でもある。
日本に戻って来た時、何故すぐに逢いにいかなかったのか。結局世話になった人に何も返せなかったことに今頃気付き、後悔してしまった。
暁香からの手紙によると、偲ぶ会の日程は、明日の日曜日だった。
偶然なのか……ギリギリ私は間に合うようだ。藤原さんに逢いに行かねば。
****
丈はあれこれ心配していたが横浜へ向かう電車は空いていたし、乗り換えた電車も長閑でスムーズだった。とにかく無事に羽田空港へ到着して、ほっと一息だ。
って、丈がいつも過保護に扱うから、一人でも、いちいち無事を確認するのが癖になっている。こんなことに、いちいち安堵するなんて、いい歳の男がすることじゃないよと苦笑してしまった。
飛行機会社のカウンターでチェックインをし、セキュリティチェック(保安検査)に向かった。飛行機に乗る前に危険物を所持していないか確認する場所なので、荷物はX線検査、人は金属探知機でチェックを受ける。
何気なくいつもの調子でトレーに荷物を置いて、金蔵探知機を潜ると「キンコン」っと盛大にブザーがなった。
「こちらにいいですか」
男性の係員に呼ばれ、躰を隈なくチェックされてしまう。知らない男性係員の息がかかる距離……こういうのは、相手は仕事だと分かっていても苦手だ。
「ちょっといいですか」
不躾に首元に手を伸ばされ、焦ってしまう。
「うっ……はい」
「あーこれですね」
あっそれは丈があれこれ持たせてくれた護身グッズのひとつで、ネックレスの先に少しだけ尖った棒のようなものがついていた。しまった……
「もしかして、護身用ペンダントですか?」
男なのに? と怪訝そうに見られ、恥ずかしくなった。
「あの……」
「これは持ち込めませんから、手続きをやり直してください。あと鞄の中にもいろいろ入ってますね」
「わっ、わかりました」
「まぁ……あなたみたいな顔をしていたら大変ですね。でもこれは……意識しすぎじゃあ……」
最後の言葉は余計だ。個人の荷物に対して!
あぁ……でも確かにまるで自意識過剰人間みたいで恥ずかしい。
丈が心配して安志に選んでもらった護身グッズをあれこれ持たすから、鞄の中はそればかりになってしまった。スーツケースに入れようとしたら、それじゃ意味がないって丈が言うからだぞ。
はぁ……前途多難だ。
俺のせいで後ろには長い列が出来てしまって、居た堪れないし、変な汗がドバっと出てくる。
差出人には『日野暁香《ひの あきか》』と書いてあった。彼女は洋と出逢ったあの製薬会社で、私の助手をしていた女性だ。そして私と一時は身体を重ねた事もある女性だ。
彼女と最後に寝たのはいつだろう。洋がテラスハウスに来る前は、あの場所で欲望の赴くままに抱いた事もあった。自分がそんな節操ない生活をしていたなんて、遠い昔のように思える。
しかし……何故、今頃?
「丈、誰だよ? その女」
流兄さんが興味津々に聞いてくるが、詳しいことを話すのは厄介だ。
「……前の職場の同僚ですよ」
「ふぅん……前の職場って、洋くんと出逢った時のか」
「えぇ、メディカルドクターをやっていた製薬会社です」
「そうか。まぁ読んでみろ。くれぐれも洋くんに心配かけるようなことはするんじゃないぞ」
「当たり前ですよ!」
中を読もうと思った時に、台所に薙が転がり込んできた。
「あぁ、お腹空いて死にそう!」
「薙、お帰り。先に手洗いうがいして。学校でインフルエンザが流行っているんだろう」
「父さんただいま。洗ってくる! 流さん、昼、何?」
「おぉ鍋焼きうどんだ。今、エビの天ぷら揚げてやるからな」
「やったぁ!」
薙は転校先の中学に溶け込めずにいたようだが、あの事件後は吹っ切れたようで、この地域に溶け込もうと頑張っている。三学期からバスケットボール部に入ったので、今日は休日だが練習試合で出かけていたようだ。詰襟の学ランに上気した頬。本当に翠兄さんによく似た綺麗な子だ。
そんな様子を翠兄さんも流兄さんも、眩しそうに眺めていた。いい関係になってきている、そう思える瞬間だ。
****
離れに戻ると、とても冷えていた。ひとりで戻る部屋はガランとして、少し寂しい世界になっていた。洋がいてくれたら、寒くても温かいのに。
書斎の机からハサミを取り出し、手紙の封を切った。
……
丈さん、お元気かしら。暁香です。
あなたが突然消えてから、はっきり行方が掴めなくて困ったわ。だからこうやってご実家のお寺に手紙を出すこと許してね。
私たちが働いていた製薬会社のことは、覚えているわよね?
あれはもう五年以上前の話になるわ。
実は先日、私達の上司だった藤原部長が癌で亡くなったの。部長は出世され役員になっていたので、今度会社の方で『偲ぶ会』催されるの。だから是非来て欲しいと思って。
あなたは部長に、とても親身になってもらっていたでしょう? 部長も最後まであなたのことを心配していたわ。全く何もかも投げ出すして、突然やめるなんてね。
なんとなく今回は連絡がつくような気がしている……どうか間に合いますように。
日時は以下の通りよ。
……
そうか藤原部長が亡くなったのか。まだ六十歳になっていなかったのでは?
彼は同じ医大のかなり上の先輩であったが、温厚で親しみやすく気さくで尊敬できる人だった。人付き合いが下手で苦手だった私の親身になってくれ、あの製薬会社に引っ張ってくれた恩人でもある。
日本に戻って来た時、何故すぐに逢いにいかなかったのか。結局世話になった人に何も返せなかったことに今頃気付き、後悔してしまった。
暁香からの手紙によると、偲ぶ会の日程は、明日の日曜日だった。
偶然なのか……ギリギリ私は間に合うようだ。藤原さんに逢いに行かねば。
****
丈はあれこれ心配していたが横浜へ向かう電車は空いていたし、乗り換えた電車も長閑でスムーズだった。とにかく無事に羽田空港へ到着して、ほっと一息だ。
って、丈がいつも過保護に扱うから、一人でも、いちいち無事を確認するのが癖になっている。こんなことに、いちいち安堵するなんて、いい歳の男がすることじゃないよと苦笑してしまった。
飛行機会社のカウンターでチェックインをし、セキュリティチェック(保安検査)に向かった。飛行機に乗る前に危険物を所持していないか確認する場所なので、荷物はX線検査、人は金属探知機でチェックを受ける。
何気なくいつもの調子でトレーに荷物を置いて、金蔵探知機を潜ると「キンコン」っと盛大にブザーがなった。
「こちらにいいですか」
男性の係員に呼ばれ、躰を隈なくチェックされてしまう。知らない男性係員の息がかかる距離……こういうのは、相手は仕事だと分かっていても苦手だ。
「ちょっといいですか」
不躾に首元に手を伸ばされ、焦ってしまう。
「うっ……はい」
「あーこれですね」
あっそれは丈があれこれ持たせてくれた護身グッズのひとつで、ネックレスの先に少しだけ尖った棒のようなものがついていた。しまった……
「もしかして、護身用ペンダントですか?」
男なのに? と怪訝そうに見られ、恥ずかしくなった。
「あの……」
「これは持ち込めませんから、手続きをやり直してください。あと鞄の中にもいろいろ入ってますね」
「わっ、わかりました」
「まぁ……あなたみたいな顔をしていたら大変ですね。でもこれは……意識しすぎじゃあ……」
最後の言葉は余計だ。個人の荷物に対して!
あぁ……でも確かにまるで自意識過剰人間みたいで恥ずかしい。
丈が心配して安志に選んでもらった護身グッズをあれこれ持たすから、鞄の中はそればかりになってしまった。スーツケースに入れようとしたら、それじゃ意味がないって丈が言うからだぞ。
はぁ……前途多難だ。
俺のせいで後ろには長い列が出来てしまって、居た堪れないし、変な汗がドバっと出てくる。
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