重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
1,066 / 1,657
13章

解き放て 4

しおりを挟む
「あぁ……なんだ。良くここが分かったな」

 差出人には『日野暁香《ひの あきか》』と書いてあった。彼女は洋と出逢ったあの製薬会社で、私の助手をしていた女性だ。そして私と一時は身体を重ねた事もある女性だ。

 彼女と最後に寝たのはいつだろう。洋がテラスハウスに来る前は、あの場所で欲望の赴くままに抱いた事もあった。自分がそんな節操ない生活をしていたなんて、遠い昔のように思える。

 しかし……何故、今頃?

「丈、誰だよ? その女」

 流兄さんが興味津々に聞いてくるが、詳しいことを話すのは厄介だ。

「……前の職場の同僚ですよ」
「ふぅん……前の職場って、洋くんと出逢った時のか」
「えぇ、メディカルドクターをやっていた製薬会社です」
「そうか。まぁ読んでみろ。くれぐれも洋くんに心配かけるようなことはするんじゃないぞ」
「当たり前ですよ!」

 中を読もうと思った時に、台所に薙が転がり込んできた。

「あぁ、お腹空いて死にそう!」
「薙、お帰り。先に手洗いうがいして。学校でインフルエンザが流行っているんだろう」
「父さんただいま。洗ってくる! 流さん、昼、何?」
「おぉ鍋焼きうどんだ。今、エビの天ぷら揚げてやるからな」
「やったぁ!」

 薙は転校先の中学に溶け込めずにいたようだが、あの事件後は吹っ切れたようで、この地域に溶け込もうと頑張っている。三学期からバスケットボール部に入ったので、今日は休日だが練習試合で出かけていたようだ。詰襟の学ランに上気した頬。本当に翠兄さんによく似た綺麗な子だ。

 そんな様子を翠兄さんも流兄さんも、眩しそうに眺めていた。いい関係になってきている、そう思える瞬間だ。

****

 離れに戻ると、とても冷えていた。ひとりで戻る部屋はガランとして、少し寂しい世界になっていた。洋がいてくれたら、寒くても温かいのに。

 書斎の机からハサミを取り出し、手紙の封を切った。



 
……
 丈さん、お元気かしら。暁香です。

 あなたが突然消えてから、はっきり行方が掴めなくて困ったわ。だからこうやってご実家のお寺に手紙を出すこと許してね。

 私たちが働いていた製薬会社のことは、覚えているわよね?
 あれはもう五年以上前の話になるわ。

 実は先日、私達の上司だった藤原部長が癌で亡くなったの。部長は出世され役員になっていたので、今度会社の方で『偲ぶ会』催されるの。だから是非来て欲しいと思って。

 あなたは部長に、とても親身になってもらっていたでしょう? 部長も最後まであなたのことを心配していたわ。全く何もかも投げ出すして、突然やめるなんてね。
 
 なんとなく今回は連絡がつくような気がしている……どうか間に合いますように。

 日時は以下の通りよ。

……

 そうか藤原部長が亡くなったのか。まだ六十歳になっていなかったのでは?

 彼は同じ医大のかなり上の先輩であったが、温厚で親しみやすく気さくで尊敬できる人だった。人付き合いが下手で苦手だった私の親身になってくれ、あの製薬会社に引っ張ってくれた恩人でもある。

 日本に戻って来た時、何故すぐに逢いにいかなかったのか。結局世話になった人に何も返せなかったことに今頃気付き、後悔してしまった。

 暁香からの手紙によると、偲ぶ会の日程は、明日の日曜日だった。

 偶然なのか……ギリギリ私は間に合うようだ。藤原さんに逢いに行かねば。


****

 丈はあれこれ心配していたが横浜へ向かう電車は空いていたし、乗り換えた電車も長閑でスムーズだった。とにかく無事に羽田空港へ到着して、ほっと一息だ。

 って、丈がいつも過保護に扱うから、一人でも、いちいち無事を確認するのが癖になっている。こんなことに、いちいち安堵するなんて、いい歳の男がすることじゃないよと苦笑してしまった。

 飛行機会社のカウンターでチェックインをし、セキュリティチェック(保安検査)に向かった。飛行機に乗る前に危険物を所持していないか確認する場所なので、荷物はX線検査、人は金属探知機でチェックを受ける。

 何気なくいつもの調子でトレーに荷物を置いて、金蔵探知機を潜ると「キンコン」っと盛大にブザーがなった。

「こちらにいいですか」

 男性の係員に呼ばれ、躰を隈なくチェックされてしまう。知らない男性係員の息がかかる距離……こういうのは、相手は仕事だと分かっていても苦手だ。

「ちょっといいですか」

 不躾に首元に手を伸ばされ、焦ってしまう。

「うっ……はい」
「あーこれですね」

 あっそれは丈があれこれ持たせてくれた護身グッズのひとつで、ネックレスの先に少しだけ尖った棒のようなものがついていた。しまった……

「もしかして、護身用ペンダントですか?」

 男なのに? と怪訝そうに見られ、恥ずかしくなった。

「あの……」
「これは持ち込めませんから、手続きをやり直してください。あと鞄の中にもいろいろ入ってますね」
「わっ、わかりました」
「まぁ……あなたみたいな顔をしていたら大変ですね。でもこれは……意識しすぎじゃあ……」

 最後の言葉は余計だ。個人の荷物に対して!
 あぁ……でも確かにまるで自意識過剰人間みたいで恥ずかしい。

 丈が心配して安志に選んでもらった護身グッズをあれこれ持たすから、鞄の中はそればかりになってしまった。スーツケースに入れようとしたら、それじゃ意味がないって丈が言うからだぞ。

 はぁ……前途多難だ。

 俺のせいで後ろには長い列が出来てしまって、居た堪れないし、変な汗がドバっと出てくる。


しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

もう、いいのです。

千 遊雲
恋愛
婚約者の王子殿下に、好かれていないと分かっていました。 けれど、嫌われていても構わない。そう思い、放置していた私が悪かったのでしょうか?

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

貴方の傍に幸せがないのなら

なか
恋愛
「みすぼらしいな……」  戦地に向かった騎士でもある夫––ルーベル。  彼の帰りを待ち続けた私––ナディアだが、帰還した彼が発した言葉はその一言だった。  彼を支えるために、寝る間も惜しんで働き続けた三年。  望むままに支援金を送って、自らの生活さえ切り崩してでも支えてきたのは……また彼に会うためだったのに。  なのに、なのに貴方は……私を遠ざけるだけではなく。  妻帯者でありながら、この王国の姫と逢瀬を交わし、彼女を愛していた。  そこにはもう、私の居場所はない。  なら、それならば。  貴方の傍に幸せがないのなら、私の選択はただ一つだ。        ◇◇◇◇◇◇  設定ゆるめです。  よろしければ、読んでくださると嬉しいです。

処理中です...