重なる月

志生帆 海

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12章

出逢ってはいけない 19

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「それにしても……洋さん、どうしてこんな所にひとりで来たんだ?  」

 いつもはひっそりと籠るように月影寺にいる人が……っと、それは口に出さないでおいた。

「くすっひどいな。俺はもういい大人だよ。どこに行こうが自由だよ」
「でも危なっかしい、現に今だって」
「うっ……それを言われると」

 その時になって、洋さんが沢山本を抱えているのに気が付いた。

 んっ? それって……中学英語の参考書や英検の本だ。

「あ……もしかして……それオレのために?」
「あ、うん。北鎌倉の本屋さんじゃ取り扱いが少なくてね。この前はごめん。熱出して……丈、あの時感じ悪かったろう? 」
「あーもういいよ。見せつけられたってやつ? それに……あの日は結局流さんに見てもらえたし」

 洋さんは幾分恥ずかしそうに頬を染めていた。肌が白いから目立つ。しかも、じっと見ていたらその首元のシャツでギリギリ隠れるかどうかの所に淡いキスマークを見つけてしまった。うわっやっぱり丈さんって、かなり独占欲強そうだよな。 流さんに似ているけれども、まったく違う路線を突っ走ってる感じがする。

「そっそうか。流さんの英語も流暢だよね。美大を出ていて学生時代にはよく海外の美術館巡りをしていたと聞いたよ」
「へぇだからアクティブなんだな」
「うん、多才だね。憧れるよ」

 洋さんが流さんのこと沢山褒めてくれる。不思議な事に、それだけで気分が良くなってくる。

「じゃあこれ買ってくるね。役立ちそうなものを見繕ったから、帰ったら早速教えてあげるよ」
 
 随分張り切っているな。もしかして、月影寺の中で役に立つことが嬉しいのかもしれない。俺にとっては、なんだか実の兄弟みたいな位置付けだ。一回り以上も年上なのに、もっと近いように感じるよ。
 
「……荷物持つよ」

 重たそうに本屋の紙袋を抱えている洋さんに労わるように声をかけ、一緒に本屋から出ようとしたら、入り口に積んであるファッション雑誌にモデルのRyoを見つけた。

「あっ……」
「あっ涼だ」

 洋さんも気が付いたらしく、懐かしそうな声をあげた。

「この人……洋さんとすごく似ているよな。でも別人だって分かるけど」
「そうだね。前はもっと似ていたような気がするな。そういえば最近は道でも騒がれなくなったよ」

 洋さんは屈託なく笑うが、さっきから洋さんに見惚れている人はごまんといるけど? たぶん……そう言うの、気が付いているけど、気にしないようにしているんだろうな。オレにも似た経験があるから分かるんだ。

「今度紹介してくれる約束だよな」
「そうだったね。涼はすっかり売れっ子モデルになってしまったから、俺もなかなか会えていないが、連絡を取ってみるよ。俺の弟みたいな子なんだ」
「ふぅん」

 洋さんは天涯孤独だって、この前やっと教えてもらった。

 お父さんもお母さんもとっくに亡くなっていて、兄弟も親戚もいないと。

 それってどういう感じなのかな。

 洋さんの儚げな雰囲気の中の逞しさは、そういう所から生まれたのか。

 それに比べてオレは甘いよな。

 兄弟はいないけど、父さんも母さんもいる。一緒に暮らしていなくても、ちゃんとオレを見守ってくれていた。そのことに先日、母の帰国でようやく気が付けたばかりだ。

 そんな洋さんを父さんも流さんたちも、みんな大事にしているという事実は、オレにとっても嬉しい。

 オレ……あの寺で暮らすようになって、これでもずいぶん丸くなったような気がする。来た当初は納得がいかなかったし、勝手にオレを捨てて行った父さんのことが大嫌いだったし……裏切者だとさえ思っていた。
 
 でも父さんはオレが抱いていた悪印象をどんどん覆していってしまう程、ひたむきにオレのことを考えてくれている。

「……やっぱりちゃんと謝ろう」

 急にこの前の暴言を恥じてしまった。せっかく用意してくれた弁当だったのに、素直になれなかった。

「何を謝るの? 」
「あ……いやなんでもない」

 父さんから注がれる愛情を素直に受け取るのにまだ慣れていないんだ 
なんて言い訳だよな。本当は覚えている。あの弁当はオレの好物のおいなりさんだった。月影寺の寺で幼いオレがおいなりさんを頬張りながら、満開の八重桜を見た日々を……

「きっと……喜ぶよ」
 
 オレの独り言に、洋さんも独り言を言ってくれた。

 彼のこんな所に好感が持てる。押しつけがましくなく、そっと寄り添ってくれている感じが心地よい。


****

 「母さん、どういうこと? なんで拓人くんがここにいるんですか。彼は克哉の奥さんの実家へ引き取られたんじゃ……ちゃんと説明してくれませんか」

 俺は隠居してマンション暮らしをしている母を、激しく問いつめていた。
 
「だってぇ……克哉に頼まれたんだから、しょうがないでしょう。そりゃ克哉の実子ではないけれども、あの子が戸籍上の父なのよ。無下に出来ないわ。このマンションは広いし、特に問題はないわよ。この子は大人しいし」

 拓人くんが実際にどういう性格の子供かなんて知らない。ろくに会ったこともない人物だし、この前の葬式で会ったから覚えていたようなもんだ。

「それにしても克哉は何を考えているんだか……あっそうだ。あいつは退院したんですよね。今どこに住んでいるんですか、前の横浜の家は処分したと聞きましたが」

「……もういいじゃない。あの子とは縁を切ったんでしょ。達哉は余計な心配をしなくていいわ。拓人くんのことだって、あなたには迷惑かけてないじゃない。まったく」

 母がブツブツと開き直って文句を言い出した。こうなってくると厄介なので、もう早めに退散しようと思った。

「分かりましたよ。もう帰ります。ただ拓人くんには絶対に月影寺に近づくなと言っておいてくださいよ」

「えっ? えぇ……そっそうね。分かったわ」

 母は少し動揺していたが、あまり気にせず忌々しい実家を後にした。

 結局、両親はいつまでも克哉の味方ってことか。俺が跡目を継ぐために厳しく育てられたのに、弟の克哉は、幼い頃、身体が弱かったのもあり甘やかしすぎたな。

 欲しいものなら何でも手に入ると思い違いしている馬鹿が出来上がったってわけさ。
 
 ただ俺にもその責任があるから、強く言えない。

 最初に克哉が問題を起こした時、翠に土下座させてしまったのが、結局すべての発端なのかもしれない。  
 
        (※『忍ぶれど…』43話「届かない距離 5」参照)

 どうしてあの時、俺は真実を明らかに出来なかったのか。

 今更だが、悔やんでも悔やみきれない。

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