947 / 1,657
12章
出逢ってはいけない 8
しおりを挟む
広尾、日黄病院。
やれやれ、ようやく退院の日だ。
あの夏の終わりの大事故から、もう四カ月近く過ぎようとしていた。あの日は北鎌倉にある実家に幼い次男と長女を預け、夜便で夏休みの短期留学から戻ってくる長男を迎えに行くために、羽田空港国際線ターミナルへと向かっていた。
「結局、あなたは……まだ忘れられないの?」
「おい、またその話か。もういい加減にしてくれないか。しつこいぞっ」
渋滞に巻き込まれると手持無沙汰になったのか、助手席の妻が思い出したように、同じ話を繰り返しだした。というのも、宮崎旅行から帰って来てから、妻はずっと不機嫌だ。俺が宮崎で翠さんと偶然再会出来て有頂天だったのが、不服なんだろう。
「知っているのよ。あなたは……まだスイさんのこと忘れられないのね」
「何を言って……」
「いい加減に教えて! スイさんってどんな人なの? 女性? それともあなたのことだから男性なの? 一体あなたは過去に何をしでかしたの? きっとまだ何か隠していることがあるんだわ、狡い男だもの! 」
まるで俺の弱みを握ったように高らかに笑う妻に、急に憎しみが湧いてしまった。
「お前って奴は、なんてことを言うんだ! いい加減にしろっ」
「酷いわ……あなたは家族よりも、そのスイさんって人の方が大事なのね! 」
渋滞中の車内で、いつものように口論をしていた最中だった。突然、後ろから大型トラックに突っ込まれたのは……
妻はもういない。あの日、目の前で失った。
車は大破し、奇跡的に生き残った俺も瀕死の重体だった。
それにしても妻との最後の会話が喧嘩だったなんて、最悪だ。
翠さん……あなたはどこまでも俺の人生を狂わせる魔性の男だよ。すごい引力で俺を駄目にする。
高校生の頃の翠さんのことを、今でもよく思い出す。
どこまでも流を庇おうとする姿が、嗜虐心を煽ることだって知らずに懸命で……だからこそ、俺はどこまでも彼を苛め抜いた。
……好きだったんだ。いや、今でも好きだ。
気高く手が届かない凛とした姿を見ると滅茶苦茶にしてやりたくなるほど、好きだったんだ。歪んでいようと構わなかった。ずっと俺が縛り付けていたかった。
結局、兄に俺が翠さんをとうとう凌辱しようとした場を見られてしまい、実家から勘当されるに値する扱いを受け、無理やり女と結婚させられてしまったが。
流石に実家から勘当は堪えた。だから俺は男性も女性も抱けるバイだったから、翠さんを忘れようと努力をした。
実家も子供が生まれると、徐々に俺を許してくれるようになっていたのだが……たまにニ丁目に行っては、翠さんに面影が似た男を漁って抱いたりしていたので、妻には俺がバイだということが、昨年……バレてしまった。
どんどん冷めていく夫婦だった。だが、まさかあんな風に失ってしまうなんて。
残された子供たちが不憫だ。
まだ幼いユイと玲は俺の実子だ。
でも拓人だけは、俺の子ではない。
妻は前の夫と死別しており、俺とは再婚だった。だから拓人とは別行動をお互いに取ることが多かった。幼い子供たちは母親の匂いを求めて母方の祖母に懐いていたので、逆に拓人を俺の実家に預けた。本来ならば逆なのに。
退院したばかりで、今日は妻の実家に世話になっているというのに、ずっと上の空だ。
疲れたと言い訳し部屋に籠って……俺がなぜこんなにも過去のことを振り返っているかって? それは心がざわついてしょうがないからだ。
拓人が病室に連れて来た彼の同級生のことが、先ほどからずっと頭から離れない。
残念ながら……ちらっと端正な横顔と去っていく後ろ姿しか見ていないが……それでも思い出すだけでも興奮してくる。
なぜなら翠さんの少年時代にそっくりだったから。
彼は誰だ?
拓人の通っている中学にいるのか。
欲しい。
今度こそ……全部……欲しくなる。
俺のものにしたい。
やれやれ、ようやく退院の日だ。
あの夏の終わりの大事故から、もう四カ月近く過ぎようとしていた。あの日は北鎌倉にある実家に幼い次男と長女を預け、夜便で夏休みの短期留学から戻ってくる長男を迎えに行くために、羽田空港国際線ターミナルへと向かっていた。
「結局、あなたは……まだ忘れられないの?」
「おい、またその話か。もういい加減にしてくれないか。しつこいぞっ」
渋滞に巻き込まれると手持無沙汰になったのか、助手席の妻が思い出したように、同じ話を繰り返しだした。というのも、宮崎旅行から帰って来てから、妻はずっと不機嫌だ。俺が宮崎で翠さんと偶然再会出来て有頂天だったのが、不服なんだろう。
「知っているのよ。あなたは……まだスイさんのこと忘れられないのね」
「何を言って……」
「いい加減に教えて! スイさんってどんな人なの? 女性? それともあなたのことだから男性なの? 一体あなたは過去に何をしでかしたの? きっとまだ何か隠していることがあるんだわ、狡い男だもの! 」
まるで俺の弱みを握ったように高らかに笑う妻に、急に憎しみが湧いてしまった。
「お前って奴は、なんてことを言うんだ! いい加減にしろっ」
「酷いわ……あなたは家族よりも、そのスイさんって人の方が大事なのね! 」
渋滞中の車内で、いつものように口論をしていた最中だった。突然、後ろから大型トラックに突っ込まれたのは……
妻はもういない。あの日、目の前で失った。
車は大破し、奇跡的に生き残った俺も瀕死の重体だった。
それにしても妻との最後の会話が喧嘩だったなんて、最悪だ。
翠さん……あなたはどこまでも俺の人生を狂わせる魔性の男だよ。すごい引力で俺を駄目にする。
高校生の頃の翠さんのことを、今でもよく思い出す。
どこまでも流を庇おうとする姿が、嗜虐心を煽ることだって知らずに懸命で……だからこそ、俺はどこまでも彼を苛め抜いた。
……好きだったんだ。いや、今でも好きだ。
気高く手が届かない凛とした姿を見ると滅茶苦茶にしてやりたくなるほど、好きだったんだ。歪んでいようと構わなかった。ずっと俺が縛り付けていたかった。
結局、兄に俺が翠さんをとうとう凌辱しようとした場を見られてしまい、実家から勘当されるに値する扱いを受け、無理やり女と結婚させられてしまったが。
流石に実家から勘当は堪えた。だから俺は男性も女性も抱けるバイだったから、翠さんを忘れようと努力をした。
実家も子供が生まれると、徐々に俺を許してくれるようになっていたのだが……たまにニ丁目に行っては、翠さんに面影が似た男を漁って抱いたりしていたので、妻には俺がバイだということが、昨年……バレてしまった。
どんどん冷めていく夫婦だった。だが、まさかあんな風に失ってしまうなんて。
残された子供たちが不憫だ。
まだ幼いユイと玲は俺の実子だ。
でも拓人だけは、俺の子ではない。
妻は前の夫と死別しており、俺とは再婚だった。だから拓人とは別行動をお互いに取ることが多かった。幼い子供たちは母親の匂いを求めて母方の祖母に懐いていたので、逆に拓人を俺の実家に預けた。本来ならば逆なのに。
退院したばかりで、今日は妻の実家に世話になっているというのに、ずっと上の空だ。
疲れたと言い訳し部屋に籠って……俺がなぜこんなにも過去のことを振り返っているかって? それは心がざわついてしょうがないからだ。
拓人が病室に連れて来た彼の同級生のことが、先ほどからずっと頭から離れない。
残念ながら……ちらっと端正な横顔と去っていく後ろ姿しか見ていないが……それでも思い出すだけでも興奮してくる。
なぜなら翠さんの少年時代にそっくりだったから。
彼は誰だ?
拓人の通っている中学にいるのか。
欲しい。
今度こそ……全部……欲しくなる。
俺のものにしたい。
10
お気に入りに追加
446
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
────妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの高校一年生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の主人公への好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる