重なる月

志生帆 海

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12章

出逢ってはいけない 8

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 広尾、日黄病院。

 やれやれ、ようやく退院の日だ。

 あの夏の終わりの大事故から、もう四カ月近く過ぎようとしていた。あの日は北鎌倉にある実家に幼い次男と長女を預け、夜便で夏休みの短期留学から戻ってくる長男を迎えに行くために、羽田空港国際線ターミナルへと向かっていた。

「結局、あなたは……まだ忘れられないの?」
「おい、またその話か。もういい加減にしてくれないか。しつこいぞっ」

 渋滞に巻き込まれると手持無沙汰になったのか、助手席の妻が思い出したように、同じ話を繰り返しだした。というのも、宮崎旅行から帰って来てから、妻はずっと不機嫌だ。俺が宮崎で翠さんと偶然再会出来て有頂天だったのが、不服なんだろう。
 
「知っているのよ。あなたは……まだスイさんのこと忘れられないのね」
「何を言って……」
「いい加減に教えて! スイさんってどんな人なの? 女性? それともあなたのことだから男性なの? 一体あなたは過去に何をしでかしたの? きっとまだ何か隠していることがあるんだわ、狡い男だもの! 」

 まるで俺の弱みを握ったように高らかに笑う妻に、急に憎しみが湧いてしまった。

「お前って奴は、なんてことを言うんだ! いい加減にしろっ」
「酷いわ……あなたは家族よりも、そのスイさんって人の方が大事なのね! 」

 渋滞中の車内で、いつものように口論をしていた最中だった。突然、後ろから大型トラックに突っ込まれたのは……

 妻はもういない。あの日、目の前で失った。
 車は大破し、奇跡的に生き残った俺も瀕死の重体だった。

 それにしても妻との最後の会話が喧嘩だったなんて、最悪だ。

 翠さん……あなたはどこまでも俺の人生を狂わせる魔性の男だよ。すごい引力で俺を駄目にする。

 高校生の頃の翠さんのことを、今でもよく思い出す。
 
 どこまでも流を庇おうとする姿が、嗜虐心を煽ることだって知らずに懸命で……だからこそ、俺はどこまでも彼を苛め抜いた。
 
 ……好きだったんだ。いや、今でも好きだ。

 気高く手が届かない凛とした姿を見ると滅茶苦茶にしてやりたくなるほど、好きだったんだ。歪んでいようと構わなかった。ずっと俺が縛り付けていたかった。

 結局、兄に俺が翠さんをとうとう凌辱しようとした場を見られてしまい、実家から勘当されるに値する扱いを受け、無理やり女と結婚させられてしまったが。

 流石に実家から勘当は堪えた。だから俺は男性も女性も抱けるバイだったから、翠さんを忘れようと努力をした。

 実家も子供が生まれると、徐々に俺を許してくれるようになっていたのだが……たまにニ丁目に行っては、翠さんに面影が似た男を漁って抱いたりしていたので、妻には俺がバイだということが、昨年……バレてしまった。

 どんどん冷めていく夫婦だった。だが、まさかあんな風に失ってしまうなんて。

 残された子供たちが不憫だ。
 まだ幼いユイと玲は俺の実子だ。
 でも拓人だけは、俺の子ではない。

 妻は前の夫と死別しており、俺とは再婚だった。だから拓人とは別行動をお互いに取ることが多かった。幼い子供たちは母親の匂いを求めて母方の祖母に懐いていたので、逆に拓人を俺の実家に預けた。本来ならば逆なのに。

 退院したばかりで、今日は妻の実家に世話になっているというのに、ずっと上の空だ。

 疲れたと言い訳し部屋に籠って……俺がなぜこんなにも過去のことを振り返っているかって? それは心がざわついてしょうがないからだ。
 
 拓人が病室に連れて来た彼の同級生のことが、先ほどからずっと頭から離れない。

 残念ながら……ちらっと端正な横顔と去っていく後ろ姿しか見ていないが……それでも思い出すだけでも興奮してくる。

 なぜなら翠さんの少年時代にそっくりだったから。

 彼は誰だ? 
 拓人の通っている中学にいるのか。
 欲しい。
 今度こそ……全部……欲しくなる。
 俺のものにしたい。

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