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12章
愛しい人 18
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立ち去って行く翠を俺は引き留めたりはしない。翠の方が抱えているものが多い。だから、俺が物分かり良く対処しないと……だが本当は感情の赴くままに抱きたかった。
その願望が、胸の奥にジリジリと灯っていた。
どうやら冷たい雨が降ってきたようだ。茶室の天井から雫が落ちてくる。涙のようにポツポツと、哀し気な音色を立てていた。
「これは……出さないと無理そうだな」
壁にもたれ翠の幻を呼び出し、下半身を解放させていく。よく慣れた手つきなのは仕方がないだろう。俺、ここで何度こうやって抜いたのか分からない。
翠の幻に話しかけると、彼はすまなそうな表情を浮かべた。
精通した頃から、それまでは、ひたすらに尊敬し慕っていた兄のことを見る目が、変わってしまった。
最初はそんな自分自身に戸惑い、大事に兄を穢してしまったと自分を殴りたくもなった。
ずっと想像して抜くだけの行為だったのに、あの日、彩乃さんと翠が隣の部屋で寝た日に、想像は禁忌を犯した。
どんなに翠を遠ざけようと無視しようと、下半身はいうことを素直に聞いてくれなかった。そんな時はこの茶室に籠った。自慰なんて優しいもんじゃない。
翠を頭の中で滅茶苦茶に犯していた。痛がり泣き叫ぶ翠に、突っ込んで、突き上げて……
だが今は違う。
この行為は翠を労わる行為となった。
翠の負担を減らすためなら、俺は我慢できる。
一人で処理するのも苦ではない。
****
雨が降りだしたので、急いで母屋に戻った。
庭を突っ切り、母屋の二階を見上げると、薙の部屋は真っ暗になっていた。
いつも薙はどうやら暗闇が怖いようで……あ……これは僕に似たのかも。豆電球をつけて眠っているのに、今日、大丈夫なのは彩乃さんのお陰なのか。
彩乃さんは、やっぱり母親なんだな。薙をこの世に生み出した母親だ。
母性というものがあるのなら、父性というものも存在するだろう。
母性が無償の愛だったら、父性とは知恵や社会性だ。
流と過ごす僕にその資格があるとは言えないが……それでも僕は薙の父親という役割を、この世で担っている。
乳幼児期、母性に包まれて育つことはとても大切だと病院で習った。赤ん坊は泣いて要求や希望を伝え、それが叶えられることで安心感というものを得るそうだ。そういうことを繰り返して、子供は、自分が愛されているという自信、自己肯定感を育んでいくと聞いて……彩乃さんに育児を任せきりにしてしまった。
だからこそ、ここからが僕の出番なのかもしれない。同じ男として、薙が成長すればするほど……より深く関わっていきたい。
そう本心から思っている。
今の僕は、薙がここまで成長する間、父親と子供の関係性を絶やさない工夫をしなかったツケを払っているのかもしれないな。
彩乃さんとの関係を整理できた今こそ、僕は薙のこと、きちんと受け止めてやりたい。その資格がないかもしれないが、そうしたい。
もう逃げないよ。薙……
薙の部屋にそっと入ってみると、彩乃さんも薙もぐっすり眠っていた。
ふたりの寝姿を、月明かりがほのかに照らしていた。
こんな光景を以前見たことを、思い出した。
生まれたばかりの赤ん坊の薙と、授乳の後、添い寝しながら眠ってしまった彩乃さん。
僕は夜中にふと起きて、その光景を見つめ、安堵していた。妻と子の幸せな寝顔に、幸せをもらっていた。
彩乃さんと僕の間にも燃えるような恋ではなかったが、確かな愛情が存在していた。
「本当にすまなかった……彩乃さん」
気が付くとそう呟いていた。過ぎ去ったことを悔いても何も変わらない。問題は今を……明日を……僕がどう生きるかだろう。
ずっと待っていてくれた流に恥じないようにしたい。
祖先の流水さんと湖翠さんも、きっと見守ってくれている。
様々な距離が縮まったと感じる夜だった。
やがて夜は明け、また朝がやってくる。
愛しい人は、今は僕のすぐ近くにいる。
『愛しい人』了
その願望が、胸の奥にジリジリと灯っていた。
どうやら冷たい雨が降ってきたようだ。茶室の天井から雫が落ちてくる。涙のようにポツポツと、哀し気な音色を立てていた。
「これは……出さないと無理そうだな」
壁にもたれ翠の幻を呼び出し、下半身を解放させていく。よく慣れた手つきなのは仕方がないだろう。俺、ここで何度こうやって抜いたのか分からない。
翠の幻に話しかけると、彼はすまなそうな表情を浮かべた。
精通した頃から、それまでは、ひたすらに尊敬し慕っていた兄のことを見る目が、変わってしまった。
最初はそんな自分自身に戸惑い、大事に兄を穢してしまったと自分を殴りたくもなった。
ずっと想像して抜くだけの行為だったのに、あの日、彩乃さんと翠が隣の部屋で寝た日に、想像は禁忌を犯した。
どんなに翠を遠ざけようと無視しようと、下半身はいうことを素直に聞いてくれなかった。そんな時はこの茶室に籠った。自慰なんて優しいもんじゃない。
翠を頭の中で滅茶苦茶に犯していた。痛がり泣き叫ぶ翠に、突っ込んで、突き上げて……
だが今は違う。
この行為は翠を労わる行為となった。
翠の負担を減らすためなら、俺は我慢できる。
一人で処理するのも苦ではない。
****
雨が降りだしたので、急いで母屋に戻った。
庭を突っ切り、母屋の二階を見上げると、薙の部屋は真っ暗になっていた。
いつも薙はどうやら暗闇が怖いようで……あ……これは僕に似たのかも。豆電球をつけて眠っているのに、今日、大丈夫なのは彩乃さんのお陰なのか。
彩乃さんは、やっぱり母親なんだな。薙をこの世に生み出した母親だ。
母性というものがあるのなら、父性というものも存在するだろう。
母性が無償の愛だったら、父性とは知恵や社会性だ。
流と過ごす僕にその資格があるとは言えないが……それでも僕は薙の父親という役割を、この世で担っている。
乳幼児期、母性に包まれて育つことはとても大切だと病院で習った。赤ん坊は泣いて要求や希望を伝え、それが叶えられることで安心感というものを得るそうだ。そういうことを繰り返して、子供は、自分が愛されているという自信、自己肯定感を育んでいくと聞いて……彩乃さんに育児を任せきりにしてしまった。
だからこそ、ここからが僕の出番なのかもしれない。同じ男として、薙が成長すればするほど……より深く関わっていきたい。
そう本心から思っている。
今の僕は、薙がここまで成長する間、父親と子供の関係性を絶やさない工夫をしなかったツケを払っているのかもしれないな。
彩乃さんとの関係を整理できた今こそ、僕は薙のこと、きちんと受け止めてやりたい。その資格がないかもしれないが、そうしたい。
もう逃げないよ。薙……
薙の部屋にそっと入ってみると、彩乃さんも薙もぐっすり眠っていた。
ふたりの寝姿を、月明かりがほのかに照らしていた。
こんな光景を以前見たことを、思い出した。
生まれたばかりの赤ん坊の薙と、授乳の後、添い寝しながら眠ってしまった彩乃さん。
僕は夜中にふと起きて、その光景を見つめ、安堵していた。妻と子の幸せな寝顔に、幸せをもらっていた。
彩乃さんと僕の間にも燃えるような恋ではなかったが、確かな愛情が存在していた。
「本当にすまなかった……彩乃さん」
気が付くとそう呟いていた。過ぎ去ったことを悔いても何も変わらない。問題は今を……明日を……僕がどう生きるかだろう。
ずっと待っていてくれた流に恥じないようにしたい。
祖先の流水さんと湖翠さんも、きっと見守ってくれている。
様々な距離が縮まったと感じる夜だった。
やがて夜は明け、また朝がやってくる。
愛しい人は、今は僕のすぐ近くにいる。
『愛しい人』了
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