883 / 1,657
11章
解けていく 22
しおりを挟む
「やっぱり何か知っているんですか。何でもいいので知りたいです。張矢先生のことなら」
「……あのさ、高瀬くんに言っておきたいことがあって」
「何です?」
「張矢は、やめておけよ」
「え……何で」
「踏み込んではいけない気がするんだ」
陣内先生の目は真剣だった。
その強い眼差しに圧倒されて、それ以上言い返せなかった。
僕は確かに今までの人生で、自分のこの容姿を武器に欲しいものなら、女の人も男の人でも、簡単に手に入れて来た。
そんな生活を繰り返す中で『若手外科医を24時間密着取材する』という仕事を受けた。事前の打ち合わせもなしに、当直だった張矢先生の医師としての姿を追いかけた時に、妙な高揚感を感じた。
この人凄い!
冷静な判断力も、患者さんに対する包容力も半端ない。
静かな闘志ともいえるオーラが出ている。
なんだよ。好きになっちゃうだろ。
こんなすごいパワー持っている人出逢ったことない。
ところが当の張矢先生は、僕がどんなに仕掛けても少しも靡かない。
だからますます気になってしまった。
でも本当に脈がなくて。
ランチの誘いもディナーの誘いも……見事に無下に断られた。
僕に少しも靡かないということは、先生はノンケだと納得させてあきらめていたのに……あの浅岡さんと張矢先生が並んでいる姿を見ていたら、妙な危惧の念を抱いてしまった。
僕……浅岡さんに嫉妬しているのか。
僕の方が、浅岡さんより仕事の経験値も社交性も、優位のはずなのにと奢っていたのか。
はぁ、参ったな。
でもさっき中華料理店で、僕が浅岡さんを貶した時の張矢先生の対応。
あれは一体なんだったのか。
あぁ……考えれば考えるほど悔しくもあり、同時に敵わないとも思った。
「まぁ高瀬くんは賢い人間だから、わかるよな。遊び半分で手を出してはいけない部類の人間がいるってこと」
陣内先生の言葉が、今は身に染みる。
「僕だって」
僕だって、もういい加減に飽きていた。
上辺だけの付き合い。当たり障りのない会話。
僕の何を知って、何をいうのか。
「ごめん、言葉がきつかったか。泣きそうな顔だ」
「えっ」
陣内先生に心配そうに覗き込まれて、恥ずかしくなった。
こんな風に自分を出すなんて、この僕が……
「そうだ。この店にはオリジナルのいい酒があるから、気分を変えて一緒に飲もう」
「なんていうお酒ですか」
「『翠(すい)』という酒だ」
「ずいぶん綺麗な名前ですね」
「高瀬くんみたいだよ」
「えっ」
「ははっ頼んでやるよ」
****
「そういえばこの店だったな」
道昭がパラパラと目の前でメニューを開いた。
「何が?」
「お前と同じ名前の酒があるんだ」
「へぇ僕の名前ってことは『翠』ってこと?」
「あぁそうだ。芳醇なのに澄ました味なんだぜ。飲んでみるか」
「その言い方! クスッ……うん、飲んでみたいな」
道明が店員に頼むと「今年はよくこれが出まして、残り僅かですよ」と言いながら、恭しくボトルごと持ってきてくれた。
まさに翡翠のような緑色のボトルに真っ白なラベル。
そして正面にたおやかな文字で『翠』と書かれていた。
確かに僕の名前のお酒だ。
くすぐったいな。
これ……流にも飲ませてやりたい。
「気に入ったか」
「すごくいいね」
「ちゃんと土産にもたせてやるから、安心しろ」
「道昭……お前」
まるで僕の心を知っているかのような心遣いに、感謝した。
****
「すいません、この『翠』というお酒をいいですか」
「今日はよく出ますね。ほらあちらでも」
陣内先生が頼むと、店員がそんな風に言うもんだから、思わずちらっと簾越しに通路を挟んで隣のテーブルを覗いてしまった。
僕たちよりも少し年上の男性二人が、優雅に『翠』という酒を飲んでいた。
こちらを向いている男性、素敵だな。
簾越しでよく顔は見えないが、ずいぶんと品があって、たおやかな人だ。
京都がよく似合う。
「高瀬くんさっきから何見ているの?」
「あっいや、このお酒飲んでいる人がいるっていうから」
「へぇ、あっちも男同士か」
陣内先生の関心はそこか。
でもさっきまでのもやもやとした気持ちも、落ち着いてくる。
「さぁ飲んでみて」
「えぇ」
口に含んで、はっとした。
とても澄んでいて、とてもやさしく舌先を包み込むような味わいだ。
「翠……か」
「なぁ高瀬くんは翠微(すいび)って言葉を知っているか」
「さぁ?なんです」
「薄緑色に見える美しい山の様子のことなんだが……そういう景色も大事にしたいって思わないか」
「……」
陣内先生の言おうとしている事が分かる。
張矢先生のことだ。
見守ることも大事だと、暗に伝えている。
「ですね。酒でも飲みながら……僕たちは見守りましょうか」
「君はいい子だな」
陣内先生の大きな手の平で、くしゃっと頭をなでられた。
何故かとてもくすぐったく甘く感じてしまった。
「……あのさ、高瀬くんに言っておきたいことがあって」
「何です?」
「張矢は、やめておけよ」
「え……何で」
「踏み込んではいけない気がするんだ」
陣内先生の目は真剣だった。
その強い眼差しに圧倒されて、それ以上言い返せなかった。
僕は確かに今までの人生で、自分のこの容姿を武器に欲しいものなら、女の人も男の人でも、簡単に手に入れて来た。
そんな生活を繰り返す中で『若手外科医を24時間密着取材する』という仕事を受けた。事前の打ち合わせもなしに、当直だった張矢先生の医師としての姿を追いかけた時に、妙な高揚感を感じた。
この人凄い!
冷静な判断力も、患者さんに対する包容力も半端ない。
静かな闘志ともいえるオーラが出ている。
なんだよ。好きになっちゃうだろ。
こんなすごいパワー持っている人出逢ったことない。
ところが当の張矢先生は、僕がどんなに仕掛けても少しも靡かない。
だからますます気になってしまった。
でも本当に脈がなくて。
ランチの誘いもディナーの誘いも……見事に無下に断られた。
僕に少しも靡かないということは、先生はノンケだと納得させてあきらめていたのに……あの浅岡さんと張矢先生が並んでいる姿を見ていたら、妙な危惧の念を抱いてしまった。
僕……浅岡さんに嫉妬しているのか。
僕の方が、浅岡さんより仕事の経験値も社交性も、優位のはずなのにと奢っていたのか。
はぁ、参ったな。
でもさっき中華料理店で、僕が浅岡さんを貶した時の張矢先生の対応。
あれは一体なんだったのか。
あぁ……考えれば考えるほど悔しくもあり、同時に敵わないとも思った。
「まぁ高瀬くんは賢い人間だから、わかるよな。遊び半分で手を出してはいけない部類の人間がいるってこと」
陣内先生の言葉が、今は身に染みる。
「僕だって」
僕だって、もういい加減に飽きていた。
上辺だけの付き合い。当たり障りのない会話。
僕の何を知って、何をいうのか。
「ごめん、言葉がきつかったか。泣きそうな顔だ」
「えっ」
陣内先生に心配そうに覗き込まれて、恥ずかしくなった。
こんな風に自分を出すなんて、この僕が……
「そうだ。この店にはオリジナルのいい酒があるから、気分を変えて一緒に飲もう」
「なんていうお酒ですか」
「『翠(すい)』という酒だ」
「ずいぶん綺麗な名前ですね」
「高瀬くんみたいだよ」
「えっ」
「ははっ頼んでやるよ」
****
「そういえばこの店だったな」
道昭がパラパラと目の前でメニューを開いた。
「何が?」
「お前と同じ名前の酒があるんだ」
「へぇ僕の名前ってことは『翠』ってこと?」
「あぁそうだ。芳醇なのに澄ました味なんだぜ。飲んでみるか」
「その言い方! クスッ……うん、飲んでみたいな」
道明が店員に頼むと「今年はよくこれが出まして、残り僅かですよ」と言いながら、恭しくボトルごと持ってきてくれた。
まさに翡翠のような緑色のボトルに真っ白なラベル。
そして正面にたおやかな文字で『翠』と書かれていた。
確かに僕の名前のお酒だ。
くすぐったいな。
これ……流にも飲ませてやりたい。
「気に入ったか」
「すごくいいね」
「ちゃんと土産にもたせてやるから、安心しろ」
「道昭……お前」
まるで僕の心を知っているかのような心遣いに、感謝した。
****
「すいません、この『翠』というお酒をいいですか」
「今日はよく出ますね。ほらあちらでも」
陣内先生が頼むと、店員がそんな風に言うもんだから、思わずちらっと簾越しに通路を挟んで隣のテーブルを覗いてしまった。
僕たちよりも少し年上の男性二人が、優雅に『翠』という酒を飲んでいた。
こちらを向いている男性、素敵だな。
簾越しでよく顔は見えないが、ずいぶんと品があって、たおやかな人だ。
京都がよく似合う。
「高瀬くんさっきから何見ているの?」
「あっいや、このお酒飲んでいる人がいるっていうから」
「へぇ、あっちも男同士か」
陣内先生の関心はそこか。
でもさっきまでのもやもやとした気持ちも、落ち着いてくる。
「さぁ飲んでみて」
「えぇ」
口に含んで、はっとした。
とても澄んでいて、とてもやさしく舌先を包み込むような味わいだ。
「翠……か」
「なぁ高瀬くんは翠微(すいび)って言葉を知っているか」
「さぁ?なんです」
「薄緑色に見える美しい山の様子のことなんだが……そういう景色も大事にしたいって思わないか」
「……」
陣内先生の言おうとしている事が分かる。
張矢先生のことだ。
見守ることも大事だと、暗に伝えている。
「ですね。酒でも飲みながら……僕たちは見守りましょうか」
「君はいい子だな」
陣内先生の大きな手の平で、くしゃっと頭をなでられた。
何故かとてもくすぐったく甘く感じてしまった。
10
お気に入りに追加
443
あなたにおすすめの小説
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる