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11章
有明の月 3
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丈と京都の洛北にあるリゾートホテルにタクシーで到着し、チェックインした。
「腹減っているだろう?」
「あぁ」
それからすぐにホテル内のレストランで、食事を取ることになった。昼食は高瀬くんが同席したせいで緊張して食べた気がしなかったので、やっとゆっくり食事を出来るとほっとした。
食が細い俺も、流石に空腹を訴えていた。
丈と訪れたのは、少し中庭を歩いた所にある離れのステーキハウスだった。照明も控えめな落ち着いた雰囲気で、鉄板前は貸切で俺たちだけだ。
メニューを見ながら、丈が蠱惑的な微笑みを浮かべる。
「洋、ワインでも飲むか」
「いや……せっかくだけど明日も仕事があるからやめておくよ」
「そうか、つまらないな」
「あっ、丈は飲んでいいよ」
「まさか部屋でも仕事をするつもりか」
「うん少しね。今日PCが動かなくて全部手書きでメモしたから、入力作業をしないと」
「つまらないな。さっきの約束忘れていないよな」
「……覚えている。ちゃんと覚えているよ。丈……なるべく早く終わらせるから」
答えながら、酒も飲んでいないのに頬が染まるのを感じた。
「ふっ……しょうがないな。手伝ってあげよう」
「いいよっ。そんな子供扱いするなよ」
「洋だけだと、なかなか終わらないでお預けくらいそうだからな」
「そんなことないっ」
「分かった、分かった。まぁとにかく食べよう。少し栄養を取れ、昼も少なかっただろう」
「……うん」
もちろん覚えている。
タクシーの中で囁かれた甘い言葉。
俺達本当に少しも離れていたくない。正確には離れていることは出来ても、一度会ってしまえばすぐに肌を合わせたくなる。
何でだろうな。こんな風にいつまでも思えるなんてさ。
特にここ京都は、もう一つの故郷のようで切なさがこみあげて来る。
夕凪のせいなのか……こんなに感傷的になるのは。
昨日訪れた呉服屋で微かに感じた君のカケラを見つけると、なんともいえない切なさが駆け上がって来たよ。
夕凪……君の人生は幸せだったはずだ。
でもやはり家族というものに憧れが?
いや思い出に執着があったのか。
****
客室に戻り二時間だけと約束して、俺は仕事に取り掛かった。
丈はその間にゆっくり風呂に入ったり、部屋でワインを飲んだりして大人しく待っていてくれた。
今日聴いたセミナーの内容を忘れないようにPCに打ち込んで、それから明日の予習もして……そんなことに没頭していった。どの位の時間が経っただろう。丈のスマホに着信音があり、何か深刻そうに話している。
「丈、誰から?」
「あぁ悪いな。仕事の途中に」
渋い顔で、言葉を濁すのが気になった。
「何かあったのか」
「実は……翠兄さんが行方不明だそうだ。ちょっと流兄さんにかわってくれ」
「えっ!」
驚いた。翠さんが行方不明ってどういうこと?
今日は宇治に行くとは言っていたが、流さんと無理はしないと約束したから大丈夫だよと笑っていたのに。そこから翠さんの消息が掴めるまでの数時間、生きた心地がしなかった。
「おいで、洋」
俺がちゃんと付き添わなかったせいだ。
翠さんどうか無事でいて下さい。
そう心の中で何度も祈った。
緊張で強張る身体を、丈が見かねて抱きしめてくれた。
「大丈夫だよ。翠兄さんは羽目を外したりしない。何らかの事情で連絡できないだけだ」
「だが……だからこそ心配だ。翠さんはいつもしっかりしているのに連絡出来ないって」
「ふっ案外、兄さんは抜けているよ。洋みたいにスマホのバッテリーが切れているとか」
「うっ……またそれを言うなよ」
「やっと笑ったな」
ベッドのヘッドボードにもたれる丈に包まれて、流さんからの連絡を待った。
こんな時、丈……君はいつも落ち着いて対処できるよな。
いつもそんな所が凄いと思っていた。
丈に背中を温めてもらい、少し心が落ち着いて来た。
ふと丈の方も、何か思いつめた面持ちをしているのに気が付いた。
そうだよな。
丈も心配で心配で堪らないよな。
感情的になってしまう俺と違って、お前はいつも冷静沈着だった。
だが心の奥底では、心を乱していたことも知った。
「丈……大丈夫だ。翠さんは今頃きっと夕凪の家を見つけ、そこで対面している」
「何でそう思える?」
「感じるんだ……ここで。とにかく大丈夫だ」
不思議なことに、さっきまでの緊張は解けて、今俺の心に流れ込むのは邂逅の喜びだった。
丈の手が俺の心を捕まえに来る。
俺の心臓の鼓動を確認するように、そのままじっと留まった。
「そうか、洋がそう思うのなら、もう大丈夫のようだな。ありがとう」
「腹減っているだろう?」
「あぁ」
それからすぐにホテル内のレストランで、食事を取ることになった。昼食は高瀬くんが同席したせいで緊張して食べた気がしなかったので、やっとゆっくり食事を出来るとほっとした。
食が細い俺も、流石に空腹を訴えていた。
丈と訪れたのは、少し中庭を歩いた所にある離れのステーキハウスだった。照明も控えめな落ち着いた雰囲気で、鉄板前は貸切で俺たちだけだ。
メニューを見ながら、丈が蠱惑的な微笑みを浮かべる。
「洋、ワインでも飲むか」
「いや……せっかくだけど明日も仕事があるからやめておくよ」
「そうか、つまらないな」
「あっ、丈は飲んでいいよ」
「まさか部屋でも仕事をするつもりか」
「うん少しね。今日PCが動かなくて全部手書きでメモしたから、入力作業をしないと」
「つまらないな。さっきの約束忘れていないよな」
「……覚えている。ちゃんと覚えているよ。丈……なるべく早く終わらせるから」
答えながら、酒も飲んでいないのに頬が染まるのを感じた。
「ふっ……しょうがないな。手伝ってあげよう」
「いいよっ。そんな子供扱いするなよ」
「洋だけだと、なかなか終わらないでお預けくらいそうだからな」
「そんなことないっ」
「分かった、分かった。まぁとにかく食べよう。少し栄養を取れ、昼も少なかっただろう」
「……うん」
もちろん覚えている。
タクシーの中で囁かれた甘い言葉。
俺達本当に少しも離れていたくない。正確には離れていることは出来ても、一度会ってしまえばすぐに肌を合わせたくなる。
何でだろうな。こんな風にいつまでも思えるなんてさ。
特にここ京都は、もう一つの故郷のようで切なさがこみあげて来る。
夕凪のせいなのか……こんなに感傷的になるのは。
昨日訪れた呉服屋で微かに感じた君のカケラを見つけると、なんともいえない切なさが駆け上がって来たよ。
夕凪……君の人生は幸せだったはずだ。
でもやはり家族というものに憧れが?
いや思い出に執着があったのか。
****
客室に戻り二時間だけと約束して、俺は仕事に取り掛かった。
丈はその間にゆっくり風呂に入ったり、部屋でワインを飲んだりして大人しく待っていてくれた。
今日聴いたセミナーの内容を忘れないようにPCに打ち込んで、それから明日の予習もして……そんなことに没頭していった。どの位の時間が経っただろう。丈のスマホに着信音があり、何か深刻そうに話している。
「丈、誰から?」
「あぁ悪いな。仕事の途中に」
渋い顔で、言葉を濁すのが気になった。
「何かあったのか」
「実は……翠兄さんが行方不明だそうだ。ちょっと流兄さんにかわってくれ」
「えっ!」
驚いた。翠さんが行方不明ってどういうこと?
今日は宇治に行くとは言っていたが、流さんと無理はしないと約束したから大丈夫だよと笑っていたのに。そこから翠さんの消息が掴めるまでの数時間、生きた心地がしなかった。
「おいで、洋」
俺がちゃんと付き添わなかったせいだ。
翠さんどうか無事でいて下さい。
そう心の中で何度も祈った。
緊張で強張る身体を、丈が見かねて抱きしめてくれた。
「大丈夫だよ。翠兄さんは羽目を外したりしない。何らかの事情で連絡できないだけだ」
「だが……だからこそ心配だ。翠さんはいつもしっかりしているのに連絡出来ないって」
「ふっ案外、兄さんは抜けているよ。洋みたいにスマホのバッテリーが切れているとか」
「うっ……またそれを言うなよ」
「やっと笑ったな」
ベッドのヘッドボードにもたれる丈に包まれて、流さんからの連絡を待った。
こんな時、丈……君はいつも落ち着いて対処できるよな。
いつもそんな所が凄いと思っていた。
丈に背中を温めてもらい、少し心が落ち着いて来た。
ふと丈の方も、何か思いつめた面持ちをしているのに気が付いた。
そうだよな。
丈も心配で心配で堪らないよな。
感情的になってしまう俺と違って、お前はいつも冷静沈着だった。
だが心の奥底では、心を乱していたことも知った。
「丈……大丈夫だ。翠さんは今頃きっと夕凪の家を見つけ、そこで対面している」
「何でそう思える?」
「感じるんだ……ここで。とにかく大丈夫だ」
不思議なことに、さっきまでの緊張は解けて、今俺の心に流れ込むのは邂逅の喜びだった。
丈の手が俺の心を捕まえに来る。
俺の心臓の鼓動を確認するように、そのままじっと留まった。
「そうか、洋がそう思うのなら、もう大丈夫のようだな。ありがとう」
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