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11章
いにしえの声 19
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この記憶は、誰の記憶なのか。
記憶の渦に呑み込まれそうだ。
とても悲しい記憶にみるみる押しつぶされていく。
「兄さん……ずっと待っていた。やっと来てくれたのか」
声がする、愛しい弟の声が──
……
庭に出た僕の目に飛び込んできたのは、古い墓石だった。
山荘の荒れ果てた庭の、日が当たらない場所にひっそりと三つの墓石が並んでいた。僕はまるで吸いつけられるように、ふらふらとその墓へと近づいた。
近くで見ると苔に大変覆われている墓石に、文字が刻まれていることが分かった。
「こっ、これは……」
震える手で苔生したそれを確認していく。
一つ目は、坂田信二郎と。
これは、知らない名前だ。
もう一つは、夕凪と彫られていた。
「あぁ……やはり」
その時点で鳥肌が立った。やはりここは夕凪の住処だった場所で合っているのだな。
「やっと追いついた、夕凪……君に」
安堵したのも束の間……もう一つある。
一番苔生した墓石がある。
緊張で躰がブルブルと震えていた。
未だかつて、こんなにも心がざわついたことがあったろうか。
おそるおそる……でもしっかりと一文字一文字を指先で辿っていく。
「流……水…」
僕はそこに膝をつき、項垂れた。
流水は曾祖父の弟の名前で、夕凪との写真に一緒に写っていた男性だ。
やはり……誰からも何も教えてもらっていないのに、僕の頭の中ではパズルのピースがあてはまるように、すべて合致していた。
流水は、曾祖父の湖翠の悲恋の相手。
おそらく流水は曾祖父を北鎌倉に残したまま、この地で命が絶えたのでは。
あぁ……やはり報われなかったのか。
曾祖父とその弟の恋は、悲恋だったのか。
だから僕にあんな声が聞こえてきたのか。
なんてことだ。
僕は……僕は……
自然と涙が零れ落ちる。
もういくらかの夕陽の残骸しか残っていない薄暗い空の下で、はらはらと泣いた。得体のしれない深い感情が押し寄せて来る。
「流水……どこに行ってしまった? お前の望む通りに生きたら、いつかお前が帰ってきてくれると信じていた。なのに……なのに、結局お前は……。もう一度だけでいい。一目でも会いたい!」
「兄さんごめんよ。弱っていく俺の躰……知られたくなかった。兄さんを置いて逝く姿……見せたくなかった。兄さんのことを置いて、先になんて逝きたくなかった。どうか許してくれ」
「流水……」
僕の身体が、まるで曾祖父の湖翠になってしまったかのように不思議な感覚だった。
墓石を深くこの胸に抱きしめてやった。
だが涙は枯れない。
「流水……流水……ずっと探していた僕の大事な弟、愛していた!愛していたんだ! 僕が愛しすぎたのが罪だった。だからお前はいなくなってしまった。全部の僕のせいだ。許してくれ。ずっと謝りたかった。許して欲しい。お前をひとりで逝かせたのは僕のせいだ。ごめんよ……すまなかった」
気が付くと、後悔の気持ちで押しつぶされそうになっていた。
僕は湖翠の感情の襞に、呑まれていく。そして墓石を……流水を抱きしめながら、さらに暗黒の世界へと落とされる。
「うっ」
頭痛がして立っていられなくなりドサッとそのまま、その場に倒れてしまった。
頬に雑草がチクチクとあたっている。
薄れゆく記憶……
こんなところで倒れたら、誰も見つけてくれないだろう。
まずい……駄目だ。
ポケットの中のスマホの着信音が、何度も何度もむなしく響いていた。
だが僕はそれを手に取ることは出来なかった。
身体が重く黒く沈んで動かなかったから。
このまま過去の後悔の念に呑まれそうだ。
あぁ……どうしよう。
こんなところで一夜を明かしたら、大変なことになる。
寒い。
もう師走も間近だ。
朝晩の冷え込みが強くなっている。
まして宇治の山奥は……
流、流……
助けてくれよ。
いつものように僕の横に、僕の傍に……
記憶の渦に呑み込まれそうだ。
とても悲しい記憶にみるみる押しつぶされていく。
「兄さん……ずっと待っていた。やっと来てくれたのか」
声がする、愛しい弟の声が──
……
庭に出た僕の目に飛び込んできたのは、古い墓石だった。
山荘の荒れ果てた庭の、日が当たらない場所にひっそりと三つの墓石が並んでいた。僕はまるで吸いつけられるように、ふらふらとその墓へと近づいた。
近くで見ると苔に大変覆われている墓石に、文字が刻まれていることが分かった。
「こっ、これは……」
震える手で苔生したそれを確認していく。
一つ目は、坂田信二郎と。
これは、知らない名前だ。
もう一つは、夕凪と彫られていた。
「あぁ……やはり」
その時点で鳥肌が立った。やはりここは夕凪の住処だった場所で合っているのだな。
「やっと追いついた、夕凪……君に」
安堵したのも束の間……もう一つある。
一番苔生した墓石がある。
緊張で躰がブルブルと震えていた。
未だかつて、こんなにも心がざわついたことがあったろうか。
おそるおそる……でもしっかりと一文字一文字を指先で辿っていく。
「流……水…」
僕はそこに膝をつき、項垂れた。
流水は曾祖父の弟の名前で、夕凪との写真に一緒に写っていた男性だ。
やはり……誰からも何も教えてもらっていないのに、僕の頭の中ではパズルのピースがあてはまるように、すべて合致していた。
流水は、曾祖父の湖翠の悲恋の相手。
おそらく流水は曾祖父を北鎌倉に残したまま、この地で命が絶えたのでは。
あぁ……やはり報われなかったのか。
曾祖父とその弟の恋は、悲恋だったのか。
だから僕にあんな声が聞こえてきたのか。
なんてことだ。
僕は……僕は……
自然と涙が零れ落ちる。
もういくらかの夕陽の残骸しか残っていない薄暗い空の下で、はらはらと泣いた。得体のしれない深い感情が押し寄せて来る。
「流水……どこに行ってしまった? お前の望む通りに生きたら、いつかお前が帰ってきてくれると信じていた。なのに……なのに、結局お前は……。もう一度だけでいい。一目でも会いたい!」
「兄さんごめんよ。弱っていく俺の躰……知られたくなかった。兄さんを置いて逝く姿……見せたくなかった。兄さんのことを置いて、先になんて逝きたくなかった。どうか許してくれ」
「流水……」
僕の身体が、まるで曾祖父の湖翠になってしまったかのように不思議な感覚だった。
墓石を深くこの胸に抱きしめてやった。
だが涙は枯れない。
「流水……流水……ずっと探していた僕の大事な弟、愛していた!愛していたんだ! 僕が愛しすぎたのが罪だった。だからお前はいなくなってしまった。全部の僕のせいだ。許してくれ。ずっと謝りたかった。許して欲しい。お前をひとりで逝かせたのは僕のせいだ。ごめんよ……すまなかった」
気が付くと、後悔の気持ちで押しつぶされそうになっていた。
僕は湖翠の感情の襞に、呑まれていく。そして墓石を……流水を抱きしめながら、さらに暗黒の世界へと落とされる。
「うっ」
頭痛がして立っていられなくなりドサッとそのまま、その場に倒れてしまった。
頬に雑草がチクチクとあたっている。
薄れゆく記憶……
こんなところで倒れたら、誰も見つけてくれないだろう。
まずい……駄目だ。
ポケットの中のスマホの着信音が、何度も何度もむなしく響いていた。
だが僕はそれを手に取ることは出来なかった。
身体が重く黒く沈んで動かなかったから。
このまま過去の後悔の念に呑まれそうだ。
あぁ……どうしよう。
こんなところで一夜を明かしたら、大変なことになる。
寒い。
もう師走も間近だ。
朝晩の冷え込みが強くなっている。
まして宇治の山奥は……
流、流……
助けてくれよ。
いつものように僕の横に、僕の傍に……
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