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第2部 10章
引き継ぐということ 5
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「じゃあ翠、寺のことは任せたぞ。月影寺の名に恥じぬ行いをするのだぞ」
「はい、分かりました。お気をつけて」
翌日の昼前に、僕は両親を山門で見送った。
丈は早朝から病院へ行き、洋くんは今日は翻訳の先生の家に行っている。つまりこれで寺には、流と僕だけになる。
だが、そんなことを喜んでいられる立場ではなかった。
「……月影寺に恥じぬようにか」
思わず口に出して呟くと、流も同じこと思ったのだろう。作務衣姿のまま、すっと僕の横から去って行った。
なんだか流との距離感が難しいな。宮崎ではあんなに躊躇いなく触れられたその手が今は遠く感じる。足早に去って行く流の後姿を、僕は眩しく見つめ続けた。
僕はそのまま墓地内を一周してからお堂に入り、木魚を叩き念仏した。
御仏に仕える身なのだ。それをゆめゆめ忘れるな。
父の言葉が、重たく暗いお堂の中で僕へのしかかって来る。
****
どの位の時間が経ったろう。住職としての勘を取り戻せた頃に、再び流がお堂にやってきた。
「兄さん、昼食の仕度が出来ましたよ」
「あ……うん」
どこか余所余所しいのは気のせいか。
流の逞しい腕と胸板を、ついじっと見てしまった。
あの腕に掴まれてベッドへ押し倒され、あの胸に我が身を擦るように合わせ、僕は流に抱かれたのだ。汗ばんだ男の匂いが立ち込める胸の中は、とても落ち着ける居心地が良いものだった。
瞬く間に不埒な妄想をしてしまった自分に驚いて、つい顔を背けてしまった。
「兄さん? 何か心配事でも」
「え……」
「昨日電話していたでしょう。彩乃さんからだったんじゃないですか」
「あっうん。そうだけど……なんで分かった?」
「兄さんにあんな顔をさせるのは彼女しかいませんよ。で、用件は?」
彩乃との電話で、僕が彼女の言いなりだったのを見られていたのかと思うと、気恥ずかしさで埋もれたくなる。
「あ……三十日に、空港まで薙を迎えに行くことになって……でも僕には来るなと言うんだ」
「はっ!彼女らしい言い分だ。いいですよ。俺が迎えに行ってきますよ」
「いいのか……流、その……お前には迷惑ばかりかけて」
頼りになる流、僕の弟でもあり、僕の恋人だ。
今までと違う熱のこもった視線でつい見てしまう。
駄目だと分かっているのに。
そこまで言うと、流はじっと僕を見つめて黙ってしまった。
何か怒ってるのか、心配になり見つめ返すと、流は少し寂しそうに笑った。そして僕のことを「翠」と呼んでくれた。
「翠……駄目だ。そんな目でみるな! これでも必死に抑制しているんだ。二人きりになると翠に触れたくなるし、口づけだって、もっと先のことだって、どこまでも翠が欲しくなるんだ。こんなの危険すぎるだろう。もうすぐ薙も来るんだし、用心しないと行けないのは承知しているのになっ」
投げつけられた流の激情。
そうだった。僕たちの恋とはそういうものなのだ。隠し通すことを徹底しないといけないのに、それでも僕は流の熱が欲しくなる。
僕はこんなに欲深い人間だったのか。
「流……分かっているよ。僕も同じ気持ちだから」
僕が立ち上がると、流も立ち上がった。ふと横にならぶ流のことを見上げれば、背丈が10cmほど違うので、流の顎先が見えた。
そしてその上には形のよい男らしい唇が見える。
あの唇に触れたい。
そんな欲求が自然と湧き上がる。
思わず流の肩に手をかけそうになった時、事務を任せている女性が急にお堂にやってきた。
「住職こんなところにいらしたのですね。法要の日取りの相談の電話が入っています」
「あっ分かった。今行く」
伸ばしかけていた手をぎゅっと握り締めて袈裟に隠し、僕は流の横を通り過ぎた。
機会はまだある。
確実に流に触れることができるように、僕が機会を作ればいい。
もう流ばかりを待たせたくないよ。
「はい、分かりました。お気をつけて」
翌日の昼前に、僕は両親を山門で見送った。
丈は早朝から病院へ行き、洋くんは今日は翻訳の先生の家に行っている。つまりこれで寺には、流と僕だけになる。
だが、そんなことを喜んでいられる立場ではなかった。
「……月影寺に恥じぬようにか」
思わず口に出して呟くと、流も同じこと思ったのだろう。作務衣姿のまま、すっと僕の横から去って行った。
なんだか流との距離感が難しいな。宮崎ではあんなに躊躇いなく触れられたその手が今は遠く感じる。足早に去って行く流の後姿を、僕は眩しく見つめ続けた。
僕はそのまま墓地内を一周してからお堂に入り、木魚を叩き念仏した。
御仏に仕える身なのだ。それをゆめゆめ忘れるな。
父の言葉が、重たく暗いお堂の中で僕へのしかかって来る。
****
どの位の時間が経ったろう。住職としての勘を取り戻せた頃に、再び流がお堂にやってきた。
「兄さん、昼食の仕度が出来ましたよ」
「あ……うん」
どこか余所余所しいのは気のせいか。
流の逞しい腕と胸板を、ついじっと見てしまった。
あの腕に掴まれてベッドへ押し倒され、あの胸に我が身を擦るように合わせ、僕は流に抱かれたのだ。汗ばんだ男の匂いが立ち込める胸の中は、とても落ち着ける居心地が良いものだった。
瞬く間に不埒な妄想をしてしまった自分に驚いて、つい顔を背けてしまった。
「兄さん? 何か心配事でも」
「え……」
「昨日電話していたでしょう。彩乃さんからだったんじゃないですか」
「あっうん。そうだけど……なんで分かった?」
「兄さんにあんな顔をさせるのは彼女しかいませんよ。で、用件は?」
彩乃との電話で、僕が彼女の言いなりだったのを見られていたのかと思うと、気恥ずかしさで埋もれたくなる。
「あ……三十日に、空港まで薙を迎えに行くことになって……でも僕には来るなと言うんだ」
「はっ!彼女らしい言い分だ。いいですよ。俺が迎えに行ってきますよ」
「いいのか……流、その……お前には迷惑ばかりかけて」
頼りになる流、僕の弟でもあり、僕の恋人だ。
今までと違う熱のこもった視線でつい見てしまう。
駄目だと分かっているのに。
そこまで言うと、流はじっと僕を見つめて黙ってしまった。
何か怒ってるのか、心配になり見つめ返すと、流は少し寂しそうに笑った。そして僕のことを「翠」と呼んでくれた。
「翠……駄目だ。そんな目でみるな! これでも必死に抑制しているんだ。二人きりになると翠に触れたくなるし、口づけだって、もっと先のことだって、どこまでも翠が欲しくなるんだ。こんなの危険すぎるだろう。もうすぐ薙も来るんだし、用心しないと行けないのは承知しているのになっ」
投げつけられた流の激情。
そうだった。僕たちの恋とはそういうものなのだ。隠し通すことを徹底しないといけないのに、それでも僕は流の熱が欲しくなる。
僕はこんなに欲深い人間だったのか。
「流……分かっているよ。僕も同じ気持ちだから」
僕が立ち上がると、流も立ち上がった。ふと横にならぶ流のことを見上げれば、背丈が10cmほど違うので、流の顎先が見えた。
そしてその上には形のよい男らしい唇が見える。
あの唇に触れたい。
そんな欲求が自然と湧き上がる。
思わず流の肩に手をかけそうになった時、事務を任せている女性が急にお堂にやってきた。
「住職こんなところにいらしたのですね。法要の日取りの相談の電話が入っています」
「あっ分かった。今行く」
伸ばしかけていた手をぎゅっと握り締めて袈裟に隠し、僕は流の横を通り過ぎた。
機会はまだある。
確実に流に触れることができるように、僕が機会を作ればいい。
もう流ばかりを待たせたくないよ。
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