重なる月

志生帆 海

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第9章

花の咲く音 13

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『夕凪の空 京の香り』白き花と夏の庭12とリンクしています。

………

 北鎌倉、寺の裏山の渓谷。
 その小さな川底へと、俺の躰は吸い込まれていった。

 苦しい!
 息が出来ない!

 水が重たい凶器となって襲い掛かって来る。

 もがけばもがくほど、沈む躰。
 浮かばないといけない。
 そう思う気持ちとは裏腹に、凄い勢いで一気に落下していく。

 もう駄目だ!
 そう思い、喉を押さえ目をぎゅっと瞑った時に、閃光が走った。

「あっ!」

 ふっと躰が突然軽くなった。

 何が起きた?

 目を見開くと、ちょうど俺の真正面に俺がいた。着物を着てはいるが同じ顔の青年が、同じようにこちらを驚いた表情で見ていた。驚きで目を見開いて……喉元を苦し気に押さえ、口元からは小さな気泡がコポコポと漏れている。どうやら俺と同じ状態になっているようだ。

(君も白き花を?)

 発せられない言葉を頭の中で思い浮かべると、彼にも通じたらしくコクンと頷いてくれた。

(そうか……あの岩場から落ちて溺れたんだね)

 寂し気に青年は頷いた。

(そうか……心配しなくてもいいよ。助けはくるから)

 何故だかそう確信を持てた。その通り次の瞬間には、不思議なことに息が出来た。

(なぜ?ここは川底だ。こんな風に以前、俺は湖の底で、彼に会った。もしかして彼が近くにいるのか)

 静寂の世界の浮かび上がる白く優しい光は、月明りのよう。

 その光の中から直衣を纏った彼がすーっと姿を現した。
 薄花色と薄浅葱色の重ねが涼し気な、平安装束を身にまとっていた。

(洋月!)
(洋、また逢えたね。でも、こんなところにいては駄目だよ。さぁ戻ろう)

 ほっそりとしたその姿。あの日確かに遠い国へと戻って行った洋月だった。

(信じられない、今日会えるなんて…会いたかった)
(洋、俺も会いたかったよ)
(君は幸せそうだ。良かった)
(洋、俺はもう大丈夫。今は丈の中将と静かに暮らしているから安心して)
(そうか……よかった。本当に)

 洋月は俺の隣にいる夕凪のことを一瞬不思議そうに見たが、すぐに納得したようだった。

(そうか……君も……君も俺なんだね)

 夕凪と俺の手を、洋月が取り持って繋いでくれた。

(さぁもう行こう。本当に溺れてしまうよ)
(でも一体どうやって、上に?)
(大丈夫、俺たちにはヨウがいてくれる。さぁ駆け上がろう。光と共に)

 そう言い終わるとすぐに、ゴボゴボと地底から水が沸き起こるような爆音がした。

 雷だ!

 強烈な雷光が川底をえぐるように一気に届いた。その光はまるで地上への道のように、まっすぐだった。途端に光に誘われるかのように、俺の躰は上昇していく。手を繋いでいる夕凪の躰も一緒に。

 あと少しで地上だ。

 その時、力強い手に腕を突然掴まれ、ぐいっと引き上げられた。

「洋っ!おいっ大丈夫か。しっかりしろ!」
「夕凪っ!おいっ大丈夫か。しっかりしろ!」

 二人の男性の声がぴたりと重なった。

「あっ……」

 丈だ!丈が来てくれた!力強い手によって、躰が左側に大きく傾いて、夕凪と繋いでいた手が解けてしまった。

 そうか……俺達はここで別れるのだ。この先は、それぞれの世界に。

 別れ行く夕凪に問いかける。

 夕凪、君は幸せなのか?君の幸せは俺の幸せにつながっていく。どうか幸せになって欲しい。

 だが夕凪からの返事は聞こえなかった。

 ザバッっと大きな水音と共に、丈に抱きかかえられ、俺はこの世に戻って来た。躰中から水が滴り落ちる中、怒り、不安、恐怖に怯えた丈の顔が間近にあった。

「洋、無事か」

 ずぶ濡れの俺は、丈に横抱きにされたまま川から上がり、岩場に横に寝かされた。

(大丈夫……ゴホッゴホッ)

 そう答えようとすると、飲み込んだ水が口から溢れ出て、激しく咳き込んでしまった。

「洋しっかりしろ」

 丈の濡れた頬や髪から、水滴がまるで涙のように降って来る。顎を上にあげられ、そのまま口づけをされた。丈の呼吸と共に俺の体の奥底に吹き込まれたのは、生命の灯だった。

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