584 / 1,657
第9章
花の咲く音 13
しおりを挟む
『夕凪の空 京の香り』白き花と夏の庭12とリンクしています。
………
北鎌倉、寺の裏山の渓谷。
その小さな川底へと、俺の躰は吸い込まれていった。
苦しい!
息が出来ない!
水が重たい凶器となって襲い掛かって来る。
もがけばもがくほど、沈む躰。
浮かばないといけない。
そう思う気持ちとは裏腹に、凄い勢いで一気に落下していく。
もう駄目だ!
そう思い、喉を押さえ目をぎゅっと瞑った時に、閃光が走った。
「あっ!」
ふっと躰が突然軽くなった。
何が起きた?
目を見開くと、ちょうど俺の真正面に俺がいた。着物を着てはいるが同じ顔の青年が、同じようにこちらを驚いた表情で見ていた。驚きで目を見開いて……喉元を苦し気に押さえ、口元からは小さな気泡がコポコポと漏れている。どうやら俺と同じ状態になっているようだ。
(君も白き花を?)
発せられない言葉を頭の中で思い浮かべると、彼にも通じたらしくコクンと頷いてくれた。
(そうか……あの岩場から落ちて溺れたんだね)
寂し気に青年は頷いた。
(そうか……心配しなくてもいいよ。助けはくるから)
何故だかそう確信を持てた。その通り次の瞬間には、不思議なことに息が出来た。
(なぜ?ここは川底だ。こんな風に以前、俺は湖の底で、彼に会った。もしかして彼が近くにいるのか)
静寂の世界の浮かび上がる白く優しい光は、月明りのよう。
その光の中から直衣を纏った彼がすーっと姿を現した。
薄花色と薄浅葱色の重ねが涼し気な、平安装束を身にまとっていた。
(洋月!)
(洋、また逢えたね。でも、こんなところにいては駄目だよ。さぁ戻ろう)
ほっそりとしたその姿。あの日確かに遠い国へと戻って行った洋月だった。
(信じられない、今日会えるなんて…会いたかった)
(洋、俺も会いたかったよ)
(君は幸せそうだ。良かった)
(洋、俺はもう大丈夫。今は丈の中将と静かに暮らしているから安心して)
(そうか……よかった。本当に)
洋月は俺の隣にいる夕凪のことを一瞬不思議そうに見たが、すぐに納得したようだった。
(そうか……君も……君も俺なんだね)
夕凪と俺の手を、洋月が取り持って繋いでくれた。
(さぁもう行こう。本当に溺れてしまうよ)
(でも一体どうやって、上に?)
(大丈夫、俺たちにはヨウがいてくれる。さぁ駆け上がろう。光と共に)
そう言い終わるとすぐに、ゴボゴボと地底から水が沸き起こるような爆音がした。
雷だ!
強烈な雷光が川底をえぐるように一気に届いた。その光はまるで地上への道のように、まっすぐだった。途端に光に誘われるかのように、俺の躰は上昇していく。手を繋いでいる夕凪の躰も一緒に。
あと少しで地上だ。
その時、力強い手に腕を突然掴まれ、ぐいっと引き上げられた。
「洋っ!おいっ大丈夫か。しっかりしろ!」
「夕凪っ!おいっ大丈夫か。しっかりしろ!」
二人の男性の声がぴたりと重なった。
「あっ……」
丈だ!丈が来てくれた!力強い手によって、躰が左側に大きく傾いて、夕凪と繋いでいた手が解けてしまった。
そうか……俺達はここで別れるのだ。この先は、それぞれの世界に。
別れ行く夕凪に問いかける。
夕凪、君は幸せなのか?君の幸せは俺の幸せにつながっていく。どうか幸せになって欲しい。
だが夕凪からの返事は聞こえなかった。
ザバッっと大きな水音と共に、丈に抱きかかえられ、俺はこの世に戻って来た。躰中から水が滴り落ちる中、怒り、不安、恐怖に怯えた丈の顔が間近にあった。
「洋、無事か」
ずぶ濡れの俺は、丈に横抱きにされたまま川から上がり、岩場に横に寝かされた。
(大丈夫……ゴホッゴホッ)
そう答えようとすると、飲み込んだ水が口から溢れ出て、激しく咳き込んでしまった。
「洋しっかりしろ」
丈の濡れた頬や髪から、水滴がまるで涙のように降って来る。顎を上にあげられ、そのまま口づけをされた。丈の呼吸と共に俺の体の奥底に吹き込まれたのは、生命の灯だった。
………
北鎌倉、寺の裏山の渓谷。
その小さな川底へと、俺の躰は吸い込まれていった。
苦しい!
息が出来ない!
水が重たい凶器となって襲い掛かって来る。
もがけばもがくほど、沈む躰。
浮かばないといけない。
そう思う気持ちとは裏腹に、凄い勢いで一気に落下していく。
もう駄目だ!
そう思い、喉を押さえ目をぎゅっと瞑った時に、閃光が走った。
「あっ!」
ふっと躰が突然軽くなった。
何が起きた?
目を見開くと、ちょうど俺の真正面に俺がいた。着物を着てはいるが同じ顔の青年が、同じようにこちらを驚いた表情で見ていた。驚きで目を見開いて……喉元を苦し気に押さえ、口元からは小さな気泡がコポコポと漏れている。どうやら俺と同じ状態になっているようだ。
(君も白き花を?)
発せられない言葉を頭の中で思い浮かべると、彼にも通じたらしくコクンと頷いてくれた。
(そうか……あの岩場から落ちて溺れたんだね)
寂し気に青年は頷いた。
(そうか……心配しなくてもいいよ。助けはくるから)
何故だかそう確信を持てた。その通り次の瞬間には、不思議なことに息が出来た。
(なぜ?ここは川底だ。こんな風に以前、俺は湖の底で、彼に会った。もしかして彼が近くにいるのか)
静寂の世界の浮かび上がる白く優しい光は、月明りのよう。
その光の中から直衣を纏った彼がすーっと姿を現した。
薄花色と薄浅葱色の重ねが涼し気な、平安装束を身にまとっていた。
(洋月!)
(洋、また逢えたね。でも、こんなところにいては駄目だよ。さぁ戻ろう)
ほっそりとしたその姿。あの日確かに遠い国へと戻って行った洋月だった。
(信じられない、今日会えるなんて…会いたかった)
(洋、俺も会いたかったよ)
(君は幸せそうだ。良かった)
(洋、俺はもう大丈夫。今は丈の中将と静かに暮らしているから安心して)
(そうか……よかった。本当に)
洋月は俺の隣にいる夕凪のことを一瞬不思議そうに見たが、すぐに納得したようだった。
(そうか……君も……君も俺なんだね)
夕凪と俺の手を、洋月が取り持って繋いでくれた。
(さぁもう行こう。本当に溺れてしまうよ)
(でも一体どうやって、上に?)
(大丈夫、俺たちにはヨウがいてくれる。さぁ駆け上がろう。光と共に)
そう言い終わるとすぐに、ゴボゴボと地底から水が沸き起こるような爆音がした。
雷だ!
強烈な雷光が川底をえぐるように一気に届いた。その光はまるで地上への道のように、まっすぐだった。途端に光に誘われるかのように、俺の躰は上昇していく。手を繋いでいる夕凪の躰も一緒に。
あと少しで地上だ。
その時、力強い手に腕を突然掴まれ、ぐいっと引き上げられた。
「洋っ!おいっ大丈夫か。しっかりしろ!」
「夕凪っ!おいっ大丈夫か。しっかりしろ!」
二人の男性の声がぴたりと重なった。
「あっ……」
丈だ!丈が来てくれた!力強い手によって、躰が左側に大きく傾いて、夕凪と繋いでいた手が解けてしまった。
そうか……俺達はここで別れるのだ。この先は、それぞれの世界に。
別れ行く夕凪に問いかける。
夕凪、君は幸せなのか?君の幸せは俺の幸せにつながっていく。どうか幸せになって欲しい。
だが夕凪からの返事は聞こえなかった。
ザバッっと大きな水音と共に、丈に抱きかかえられ、俺はこの世に戻って来た。躰中から水が滴り落ちる中、怒り、不安、恐怖に怯えた丈の顔が間近にあった。
「洋、無事か」
ずぶ濡れの俺は、丈に横抱きにされたまま川から上がり、岩場に横に寝かされた。
(大丈夫……ゴホッゴホッ)
そう答えようとすると、飲み込んだ水が口から溢れ出て、激しく咳き込んでしまった。
「洋しっかりしろ」
丈の濡れた頬や髪から、水滴がまるで涙のように降って来る。顎を上にあげられ、そのまま口づけをされた。丈の呼吸と共に俺の体の奥底に吹き込まれたのは、生命の灯だった。
10
お気に入りに追加
446
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる