523 / 1,657
第9章
雨の降る音 9
しおりを挟む
父と母と過ごしたこの家。
懐かしくもあたたかい空気に包まれながら、おばさんからまるで実の息子のように抱きしめてもらった。あぁそうか。俺は本当はいつだって……こんな風に父にも母にも抱かれてみたかったのかもしれない。
皆……俺を残して逝ってしまった…
そのことだけは、どうあがいても変えられない事実だったから、どんなに強がっていても心の奥底には、両親への思慕の念が残っていたんだ。もう二十八歳なのにいつまでもこんなんじゃ駄目だと思うのに、強がって生きてきた分、優しさに慣れていない。
純粋で無垢な優しさをこの身に受ければ、心の奥底にしまい込んでいた朧げな感情がこうやって蘇って来てしまう。
「洋くん、本当に大きくなったのね」
おばさんから見上げるようにまじまじと見つめられたので、なんだか急に照れくさくなって、ぱっと躰を離してしまった。
「そういえば背は何cmになったの? 」
「最近は計っていないけれども、たぶん172cmほどです」
「そうなのね。それにしてもあなたは相変わらず華奢ね。えっと丈さん、あなたは?」
「背ですか。恐らく182cmほどですが」
「まぁやっぱり! 丈さんの方がいいみたい」
「何がですか? 」
「この紋紋付羽織袴のことよ。浅岡さんは背が高く、そうだわ、ちょうど丈さん位の背丈だったわ。背格好が似ているから、きっと似合うわよ」
「え? 」
丈と顔を見合わせてしまった。
「ちょっとこっちに来て」
「え? 」
「あっ丈っ」
「洋くんはいいから、ちょっとここで待っていて」
安志のおばさんは強引なところあるから、丈は背中を押されながらあっという間に和室へ連れ込まれてしまった。そのままピシャッと襖を閉められてしまったので、中で何が行われているのか分からない。
「おばさんっ、何を? 」
「ふふっ洋くんを驚かせるわね、ちょっとだけ待っていて」
もしかして……
少しそわそわしながらも、丈が出てくるのをじっと待った。それから暫くしておばさんと一緒に登場した丈の姿に、思わず息を呑んでしまった。
そこには、黒地の紋付き羽織袴を粋に着こなした丈がいた。
長身に屈強な体格。漆黒の髪を吸い上げたような黒い袴がよく似合っていた。
本当に胸がときめく、心臓がバクバクするというのはこのことか。
「どう? 洋くん」
「あっ……すごい……」
「洋、なんか照れるな。こんな姿」
低く痺れるような美声を持つ丈。
本当に本当に素敵だよ。
「丈さん、よく似合っているわ、凄く袴が似合うのね。若かりし頃の浅岡さんも本当に美男子だったけれども、丈さん、あなたも負けずに素敵よ」
おばさんも妙にうっとりした声になっていた。
「そうですか。洋、どう思う? 」
わざとらしく丈が聞いてくる。余裕の笑みを浮かべているのが憎たらしいが、本当に似合って、男らしい色香が存分に漂っていた。おばさんの前だけど、俺のほうも感極まってしまったようだ。
「丈……カッコ良すぎるよ」
「ははっそうか。これを私が着ても? 」
「もちろんだ!」
もちろんだ。父の着物を丈が着てくれる。こんな嬉しいことはない。
「洋くんよかったわね。あなたにも何か着るものがあればいいけど、まさか夕の女物の着物じゃ駄目だしねぇ」
「おっおばさんっ」
「ふふ、冗談よ。じゃあ……鎌倉のお家に帰ったら、丈さんのご家族に相談してみたら」
「ええ、そうさせてもらいます。洋、兄さんたちがお前に着物を作りたがっていたから、帰宅したら早速相談しよう」
「よかったわね。洋くん、その……入籍の結婚式みたいなのはやるの? せっかくだから丈さんにその時、この着物を着てもらったらどうかしら? 」
「ええ一応そのつもりなんです。ごくごく内輪で。あの……その時はよかったら……おばさんもいらして下さいますか」
「いいの? もちろんよ。夕の代わりに参列させて頂戴ね」
****
おばさんと別れてから、丈と二人で最寄りの役所へ向かった。もっと早く役所に行くつもりだったのに、すっかり遅くなってしまった。
「丈、さっきは悪かったな……その……大丈夫だったのか」
そう聞くと、丈がじどっとした目で睨んで来た。
「大丈夫なはずが、ないだろう」
「丈、ごめんっ」
思わず恥ずかしくなってしまう。あの俺の部屋であんな風に抱かれそうになったこと。お互いのものが張りつめてもう限界に近かったこと。寸前で中断させてしまったことも、何もかも今改めて思い出すと恥ずかしい。
「まぁもう怒ってない。それに思いがけず結婚式で着る衣装が手に入ったことだし、安志くんのお母さんにも会えたしな」
「うん……俺もまさか今日カミングアウトするとは思っていなかったから、まだ心臓がバクバクしてる」
「そうだな、すべていい方向に収まったな」
「本当にそうだな」
おばさんは丈のファンになったのかも。少し顔を赤らめて着付けをしていた姿が急に可愛らしく見えてしまった。父さんの思い出の柱を知ることができたし、今日、あの家に思い切って行ってみてよかった。
さっきまで家はもう手放してしまおうと思っていたのに、正直迷ってしまうな。
まぁ……それはまた丈と相談していけばいい。
「洋、先ほどの続きは夜にな」
「えっ、あ……うん…」
分かっているよ。俺だってあんな中途半端じゃ駄目だ。ニューヨークに行ってから一週間ずっと離れていた。
そのつもりだ……そう口に出して素直には言えないけれども、今宵は丈のすべてを受け入れ与えるつもりだ。
懐かしくもあたたかい空気に包まれながら、おばさんからまるで実の息子のように抱きしめてもらった。あぁそうか。俺は本当はいつだって……こんな風に父にも母にも抱かれてみたかったのかもしれない。
皆……俺を残して逝ってしまった…
そのことだけは、どうあがいても変えられない事実だったから、どんなに強がっていても心の奥底には、両親への思慕の念が残っていたんだ。もう二十八歳なのにいつまでもこんなんじゃ駄目だと思うのに、強がって生きてきた分、優しさに慣れていない。
純粋で無垢な優しさをこの身に受ければ、心の奥底にしまい込んでいた朧げな感情がこうやって蘇って来てしまう。
「洋くん、本当に大きくなったのね」
おばさんから見上げるようにまじまじと見つめられたので、なんだか急に照れくさくなって、ぱっと躰を離してしまった。
「そういえば背は何cmになったの? 」
「最近は計っていないけれども、たぶん172cmほどです」
「そうなのね。それにしてもあなたは相変わらず華奢ね。えっと丈さん、あなたは?」
「背ですか。恐らく182cmほどですが」
「まぁやっぱり! 丈さんの方がいいみたい」
「何がですか? 」
「この紋紋付羽織袴のことよ。浅岡さんは背が高く、そうだわ、ちょうど丈さん位の背丈だったわ。背格好が似ているから、きっと似合うわよ」
「え? 」
丈と顔を見合わせてしまった。
「ちょっとこっちに来て」
「え? 」
「あっ丈っ」
「洋くんはいいから、ちょっとここで待っていて」
安志のおばさんは強引なところあるから、丈は背中を押されながらあっという間に和室へ連れ込まれてしまった。そのままピシャッと襖を閉められてしまったので、中で何が行われているのか分からない。
「おばさんっ、何を? 」
「ふふっ洋くんを驚かせるわね、ちょっとだけ待っていて」
もしかして……
少しそわそわしながらも、丈が出てくるのをじっと待った。それから暫くしておばさんと一緒に登場した丈の姿に、思わず息を呑んでしまった。
そこには、黒地の紋付き羽織袴を粋に着こなした丈がいた。
長身に屈強な体格。漆黒の髪を吸い上げたような黒い袴がよく似合っていた。
本当に胸がときめく、心臓がバクバクするというのはこのことか。
「どう? 洋くん」
「あっ……すごい……」
「洋、なんか照れるな。こんな姿」
低く痺れるような美声を持つ丈。
本当に本当に素敵だよ。
「丈さん、よく似合っているわ、凄く袴が似合うのね。若かりし頃の浅岡さんも本当に美男子だったけれども、丈さん、あなたも負けずに素敵よ」
おばさんも妙にうっとりした声になっていた。
「そうですか。洋、どう思う? 」
わざとらしく丈が聞いてくる。余裕の笑みを浮かべているのが憎たらしいが、本当に似合って、男らしい色香が存分に漂っていた。おばさんの前だけど、俺のほうも感極まってしまったようだ。
「丈……カッコ良すぎるよ」
「ははっそうか。これを私が着ても? 」
「もちろんだ!」
もちろんだ。父の着物を丈が着てくれる。こんな嬉しいことはない。
「洋くんよかったわね。あなたにも何か着るものがあればいいけど、まさか夕の女物の着物じゃ駄目だしねぇ」
「おっおばさんっ」
「ふふ、冗談よ。じゃあ……鎌倉のお家に帰ったら、丈さんのご家族に相談してみたら」
「ええ、そうさせてもらいます。洋、兄さんたちがお前に着物を作りたがっていたから、帰宅したら早速相談しよう」
「よかったわね。洋くん、その……入籍の結婚式みたいなのはやるの? せっかくだから丈さんにその時、この着物を着てもらったらどうかしら? 」
「ええ一応そのつもりなんです。ごくごく内輪で。あの……その時はよかったら……おばさんもいらして下さいますか」
「いいの? もちろんよ。夕の代わりに参列させて頂戴ね」
****
おばさんと別れてから、丈と二人で最寄りの役所へ向かった。もっと早く役所に行くつもりだったのに、すっかり遅くなってしまった。
「丈、さっきは悪かったな……その……大丈夫だったのか」
そう聞くと、丈がじどっとした目で睨んで来た。
「大丈夫なはずが、ないだろう」
「丈、ごめんっ」
思わず恥ずかしくなってしまう。あの俺の部屋であんな風に抱かれそうになったこと。お互いのものが張りつめてもう限界に近かったこと。寸前で中断させてしまったことも、何もかも今改めて思い出すと恥ずかしい。
「まぁもう怒ってない。それに思いがけず結婚式で着る衣装が手に入ったことだし、安志くんのお母さんにも会えたしな」
「うん……俺もまさか今日カミングアウトするとは思っていなかったから、まだ心臓がバクバクしてる」
「そうだな、すべていい方向に収まったな」
「本当にそうだな」
おばさんは丈のファンになったのかも。少し顔を赤らめて着付けをしていた姿が急に可愛らしく見えてしまった。父さんの思い出の柱を知ることができたし、今日、あの家に思い切って行ってみてよかった。
さっきまで家はもう手放してしまおうと思っていたのに、正直迷ってしまうな。
まぁ……それはまた丈と相談していけばいい。
「洋、先ほどの続きは夜にな」
「えっ、あ……うん…」
分かっているよ。俺だってあんな中途半端じゃ駄目だ。ニューヨークに行ってから一週間ずっと離れていた。
そのつもりだ……そう口に出して素直には言えないけれども、今宵は丈のすべてを受け入れ与えるつもりだ。
10
お気に入りに追加
446
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる