重なる月

志生帆 海

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第9章

雨の降る音 8

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 階段をゆっくりと降りて来る丈の気配を確かに感じた。

 窓の外にはしとしとと、いつの間にかまた雨が降り出していた。梅雨空で薄暗く静まり返った室内には、雨の降る音が静かなBGMのように聴こえていた。

「洋くん? 」
「おばさん。あの……俺……紹介したい人がいて」

 そのタイミングで振り向くと、丈がすぐ後ろまで来てくれていた。
 
 絡み合う視線は信頼の証だ。

「丈……こちらは安志のお母さんなんだ」
「安志くんの?」

 丈の方も、一瞬状況が呑み込めなかったようだが、すぐに納得してくれたようだ。一方安志のおばさんは目を丸くして、丈のことをポカンと見上げていた。

「洋くん……あの、この方は一体……? 」
「はじめまして。安志くんのお母さまですか」
「えっええ、そうですけど……えっとあなたは? 」
「私は張矢 丈と申します。実は洋くんとは五年前から付き合っています」
「え……あの付き合うって? 」
「……洋くんは私の恋人です」
「えっ!」

 そこからお互いにしばらく無言になってしまった。

 沈黙が耐えられなくて、俺の方から口を開いた。

「おばさん、ごめんなさい。驚かせるつもりはなくて。あの……俺、本当にいろんなことがあって、彼がいなかったら生きていられなかったかもしれないほど辛いこともあって……そんな時に彼に救われたんだ……それからずっと俺に寄り添って生きてくれる。俺もそうしたい相手で……だから……」

 話しながら目の奥がじんと熱くなって来た。頭の中ではテラスハウスで出会ってから今日までの日々を克明に思い出していた。

 お互い頑なで、すれ違いだった最初の頃。
 丈に抱かれてからの甘い日々。
 あの人との事件で別れそうになったのに、何もかも捨てて俺と逃げてくれたこと。
 二人で暮らした逃避行先のソウルでの日々。
 あの人に逢いにアメリカにも行かせてくれて、日本にも帰らせてくれた。

 そして過去からの不思議な縁が、すべてを結び付けてくれたんだ。

 いつだって丈は俺のことを第一に考えてくれて、俺もいつだって丈の元へ戻って来た。

 二人は……もう二度と離れられない。

 やっとなんだ。やっと巡り会えたんだ。

 いくつもの次元を超えてやっと結ばれた人だから……

「あぁ洋くん、泣かないで。反対しているんじゃないの。ただちょっと驚いただけよ。五年前、安志が道で倒れているあなたを我が家に連れて来たことがあったわよね。あの日のことを思い出す度に辛かった。怯えて死にそうなほどやつれた表情のあなたの寝顔を見て、誰でもいいから洋くんに幸せにしてくれる人が現れることを切に願ったのよ。私は……」
「おばさん……」
「あなたは、幸せになったのね」
「……はい」

 そう頷くので精一杯だった。

「洋くんを幸せにしてくれる人なら同性でも構わないわ。あなたは本当に大変な目に遭ったから……五年前……異変に気が付いていたのに、結局何もしてあげれなくて心残りだったの。ごめんなさい。辛かったでしょう。もっと早く助けてあげたかったのに」
「どうして謝るのですか。おの時おばさんが家に匿ってくれなかったら……俺はっ」

 その後の言葉はこの場にふさわしくないと思った。

 あの日……歩道橋で安志に助けられなかったら……

 もう生きていなかったかもしれない。
 生きることを諦めていたかもしれない。
 どこまでも堕ちて、どこまでも惨めに。
 そう思えるくらいの瀬戸際で、安志とおばさんには救われたんだ。

「洋くんのことは任せてください。きちんと籍もいれます。日本では私の家の養子にすることが精一杯ですが……私の家は鎌倉の寺で、父も兄達も、彼を家に迎えることを喜んでいます。だから安心してください」
「まぁ本当に……本当にそうなの? 洋くん、よかった」
「はい、丈と幸せになるから……だから……おばさん、もう俺は大丈夫だから」

 その言葉を聞いた途端、おばさんの目からも涙が零れ落ちた。そして柔らかいその手で俺を抱き留めてくれた。

「あなたのこと、夕に頼まれていた。力になれなくてずっと気になっていた。だから、だから……あなたが幸せになると言ってくれて嬉しいわ」

 まるで母に抱かれているような、柔らかく甘い腕の中だった。

 母さん……

 母さんが望んだ生き方ではないかもしれないけれども、俺はもう丈がいないと駄目だ。

 どうか許して欲しい。

 この道を真っすぐに生きさせて欲しい。


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