515 / 1,657
第9章
雨の降る音 1
しおりを挟む
明け方……しとしとと雨の降る音で目が覚めた。
良質の睡眠をしっかりと取れたようで、頭がすっきり冴えわたっていた。
「あっ俺……昨夜……湯船で丈に抱かれて、そのまま……」
あんな姿のまま無防備に眠ってしまうなんて、よほど疲れていたのと、ほっとしたせいだろう。それでもどうやってこの離れまで運んでくれたのだろう。何もかも赤ん坊のように丈に世話してもらったことが恥ずかしくも嬉しくもあった。
まだ隣で眠っている丈を起こさないように、そっと障子をあけて縁側に出てみると、窓の外にはどんよりとした曇り空が広がって、小雨が降っていた。
庭先には紺碧色の紫陽花が満開で、しっとりと雨に濡れて、新緑の緑に映える紺碧色が爽やかな空気をそこに生み出していた。
それにしても鎌倉の紫陽花って随分背が高いんだな。俺の手が届かないような高さまで伸び、その上空で静かに花を咲かせているものもある。
この場所が好きだ……心が安らぐ。
いよいよ今日から新しい生活に向けて、具体的な手筈を整えていくことになる。もし昨夜、丈のお父さんが言ってくれたように、入籍をする日にこの場所に友を呼んでもいいのなら……
安志と涼に来て欲しい。それからニューヨークで俺を助けてくれたKai、ソウルで待っているであろう松本さんにも。陸さんは来てくれるだろうか。空さんと一緒に。
そんなことを考えていると……後ろで物音がしたので振り向くと、丈が俺のことを優しく見つめていた。
「洋、おはよう」
「丈、おはよう」
短い言葉を交わした。
昨夜は「おやすみ」と、心地良い丈の声がまどろみの中に聴こえてきたので、俺も記憶が朧げだが返事をした気がする。
こんな風に当たり前の言葉を交わせる日々が、これから先ずっと続いていくといい。
会いたかった人に毎日会える日々が始まることを、実感した。
「よく眠れたか」
「うん。俺、昨日寝ちゃったね」
「あぁ風呂場でぐっすりな」
「ごめん……すごく眠かった」
「あぁ疲れは取れたか。今日から忙しくなるぞ」
****
朝食は流さんが、すべて用意してくれていた。和室の食卓にずらりと並ぶ朝食が、とても美味しそうでお腹がぐうっと鳴ってしまった。
「くくっ洋くん腹ペコなんだな。昨日何か運動でもした? いっぱい食べてもっと太れよ」
「……しっしてませんっ」
「いいのいいの。でも少しずつ朝食の仕度、手伝って欲しいな、丈の嫁さんっ」
「流さん……あの、その嫁って言い方はちょっと……」
「流兄さん、揶揄わないでやってくださいよ。流兄さんのテンションには洋はついていけないんですよ」
「丈っお前って奴は、ほんと過保護だな! お前を仕込んだのは俺だぞ」
「なっ! その仕込むって一体! 」
兄弟のじゃれ合いが微笑ましい。
丈はこれまで寡黙で大人びた印象だったが、鎌倉の寺でお兄さんたちと暮らすようになってから少し印象が変わった。俺も明るくなったように丈も明るくなったような気がする。
「あの……そろそろ冷めてしまうから……早く食べましょう」
俺達の様子を、丈のお父さんと翠さんは微笑みながら見守ってくれていた。
流さんの作ってくれた味噌汁は、丈が作ってくれる味噌汁と同じ味がした。お兄さんから作り方学んだ日々に想いを馳せると楽しい気分になった。優しくまろやかな味が、すうっと喉の奥に広がっていくと、少し冷えた躰がじんわりと暖まった。
途端に、外はどんよりとした曇り空なのに、俺の心は橙色に染まった。
温かい朝。
愛おしい朝。
それを噛みしめた。
良質の睡眠をしっかりと取れたようで、頭がすっきり冴えわたっていた。
「あっ俺……昨夜……湯船で丈に抱かれて、そのまま……」
あんな姿のまま無防備に眠ってしまうなんて、よほど疲れていたのと、ほっとしたせいだろう。それでもどうやってこの離れまで運んでくれたのだろう。何もかも赤ん坊のように丈に世話してもらったことが恥ずかしくも嬉しくもあった。
まだ隣で眠っている丈を起こさないように、そっと障子をあけて縁側に出てみると、窓の外にはどんよりとした曇り空が広がって、小雨が降っていた。
庭先には紺碧色の紫陽花が満開で、しっとりと雨に濡れて、新緑の緑に映える紺碧色が爽やかな空気をそこに生み出していた。
それにしても鎌倉の紫陽花って随分背が高いんだな。俺の手が届かないような高さまで伸び、その上空で静かに花を咲かせているものもある。
この場所が好きだ……心が安らぐ。
いよいよ今日から新しい生活に向けて、具体的な手筈を整えていくことになる。もし昨夜、丈のお父さんが言ってくれたように、入籍をする日にこの場所に友を呼んでもいいのなら……
安志と涼に来て欲しい。それからニューヨークで俺を助けてくれたKai、ソウルで待っているであろう松本さんにも。陸さんは来てくれるだろうか。空さんと一緒に。
そんなことを考えていると……後ろで物音がしたので振り向くと、丈が俺のことを優しく見つめていた。
「洋、おはよう」
「丈、おはよう」
短い言葉を交わした。
昨夜は「おやすみ」と、心地良い丈の声がまどろみの中に聴こえてきたので、俺も記憶が朧げだが返事をした気がする。
こんな風に当たり前の言葉を交わせる日々が、これから先ずっと続いていくといい。
会いたかった人に毎日会える日々が始まることを、実感した。
「よく眠れたか」
「うん。俺、昨日寝ちゃったね」
「あぁ風呂場でぐっすりな」
「ごめん……すごく眠かった」
「あぁ疲れは取れたか。今日から忙しくなるぞ」
****
朝食は流さんが、すべて用意してくれていた。和室の食卓にずらりと並ぶ朝食が、とても美味しそうでお腹がぐうっと鳴ってしまった。
「くくっ洋くん腹ペコなんだな。昨日何か運動でもした? いっぱい食べてもっと太れよ」
「……しっしてませんっ」
「いいのいいの。でも少しずつ朝食の仕度、手伝って欲しいな、丈の嫁さんっ」
「流さん……あの、その嫁って言い方はちょっと……」
「流兄さん、揶揄わないでやってくださいよ。流兄さんのテンションには洋はついていけないんですよ」
「丈っお前って奴は、ほんと過保護だな! お前を仕込んだのは俺だぞ」
「なっ! その仕込むって一体! 」
兄弟のじゃれ合いが微笑ましい。
丈はこれまで寡黙で大人びた印象だったが、鎌倉の寺でお兄さんたちと暮らすようになってから少し印象が変わった。俺も明るくなったように丈も明るくなったような気がする。
「あの……そろそろ冷めてしまうから……早く食べましょう」
俺達の様子を、丈のお父さんと翠さんは微笑みながら見守ってくれていた。
流さんの作ってくれた味噌汁は、丈が作ってくれる味噌汁と同じ味がした。お兄さんから作り方学んだ日々に想いを馳せると楽しい気分になった。優しくまろやかな味が、すうっと喉の奥に広がっていくと、少し冷えた躰がじんわりと暖まった。
途端に、外はどんよりとした曇り空なのに、俺の心は橙色に染まった。
温かい朝。
愛おしい朝。
それを噛みしめた。
10
お気に入りに追加
446
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる