重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
371 / 1,657
第7章 

来訪 7

しおりを挟む
 気まずい静寂は、翠さんのくすっと含んだような笑い声で破られた。

「嫁ね……そういうことか。なるほど不愛想な丈の将来を悲観していたけど、それも一興かもしれないね」
「おいっ流、私に分かるように説明してくれないか。丈とこの崔加さんというのは、そのつまり」
「やだな父さん。※『稚児』という言葉位ご存じでしょう?」
「それは知っているが……丈の場合それとは違うだろう?」

 翠さんとお父さんのやりとりに顔から火が出る勢いで、動揺してしまった。まさか……ちっ稚児って俺のこと言っているのか。

 戸惑う表情で丈のことを見つめると、大丈夫だ、心配するなといつものように穏やかな眼で俺を慈しんでくれた。

「父さん、流兄さん、もういい加減にしてください。稚児なんて、そんな昔の言葉で片付けないでください。私は一生を共に過ごしていくパートナーとして、真剣に洋を選んだのです。実はいろいろあって洋とはもう既に五年も一緒に暮らしています。今回日本に戻ってきたのが丁度良い機会だと思い、お父さん達に紹介したくて連れてきました。どうか私たちを受け入れて下さい」

 何を話していいか分からず動揺している俺の横で、丈は正座して頭を下げた。

 胸がキュンとした。

 丈がここまではっきり言い切ってくれるなんて……俺なんかのために頭まで下げてくれるなんて嬉しかった。俺は恥ずかしくて、今にもここから逃げ出したい気持ちで一杯だったのに心を打たれた。

 丈は狡い格好良すぎる。男前過ぎるよ。この場合、俺もそうするべきだよな。あぁもうどうしたらいいのか。どう行動すべきか悩んでいると再び流さんが助け舟を出してくれた。

「丈よせよ。洋くんだっけ……彼が居たたまれないほど苦し気な顔しているよ。こういうことはちゃんとお互い同意の上カミングアウトすべきだぜ。とにかく俺はこの綺麗な張矢家の嫁さんのことはウェルカムだから安心しろよ」
「流兄さん……ありがとうございます。でも洋のこと嫁さんっていうのは……あれですが」
「ははっ礼には及ばないぜ、お前が言い出さなくても俺には分かっていたよ。君たちが恋人同士だってこと」
「えっ、何故?」
「あーだって、さっき裏門の上で、お前達、アツアツだっただろ?」
「はっ……」

 流さんが告げた言葉に、いよいよクラクラして気を失いそうになった。

「もう駄目。頭がいっぱいだよ。丈、ちょっと待ってくれ。俺だけ置いてけぼりだ」
「洋、すまなかった。負担をかけるつもりではなかったのに」
「おいおい大丈夫か。君、顔色悪いな。別に俺たちは反対していないよ。ねぇ父さん、翠兄さん」
「あぁ……そうだ。反対はしていない。驚いただけだ。物事にずっと関心が薄かったお前がそこまで言う相手なんだ。男だろうと女だろうと、どちらでも構わない。洋くん、我が家だと思ってゆっくりしていきないさい。話はおいおい聞くとしよう、丈……離れの客間に案内してあげなさい。彼の顔色が悪いから少し休ませてあげなさい」

 長兄の翠さんは一部始終、様子を見守っていて、ようやく口を開いた。

「全く丈にはしてやられたな。小さい頃は物静かで大人しいだけだったのに、まさかこんなこと仕出かすなんてな。あっ別に僕も偏見はないよ。ちょっとかわいい弟を取られた気分なだけで」
「くくっ翠兄さんは、丈のことなんだかんだ言って可愛がっていたものな」
「それは、流が強烈過ぎて、いつもその影で霞んで可哀想だっただけだ。それに可愛い義弟というのも悪くないし、僕も楽しみだよ」
「だよな。とにかく俺達は洋くんのこと気に入ったよ。男にしとくの勿体ない位の美人だし、俺達が嫁さんの修行させてもいいか」
「これっ翠も流も、調子に乗る出ない」

 頭上を飛び交う家族ならではの打ち解けた会話にもう付いていけない。兄弟も親もいない俺には、やはり憧れのような眩しい世界だった。でも反対されたわけじゃないことが分かって、ほっとした。

 とにかく良かった……

 極度の緊張が解けたせいか、だんだんと皆の話声がぼんやりと聴こえ……ふらっと眩暈がいてしまい、気が付くと丈の肩にもたれていた。

「おい、洋大丈夫か」

 心配そうな丈の声が、ぼんやりと遠くから聞えてくる。

「もう……キャパオーバーだ。少し休ませてくれ……」




****
※稚児……日本における男色の始まりは、真言宗の開祖・空海(弘法大師)が、当時の先進国だった唐に留学し、真言密教とともに男色の習慣を持ち帰ったことだといわれている。 仏教では月経のある女性は穢れた存在であるとみなされ、僧侶が女性と性的な関係を持つことは固く禁じられていた。そのため仏教寺院は原則として女人禁制で、僧侶たちは稚児と呼ばれる少年に身の回りの世話をさせるのが習わしであった。 (ピクシブ百科事典より引用)



しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

もう、いいのです。

千 遊雲
恋愛
婚約者の王子殿下に、好かれていないと分かっていました。 けれど、嫌われていても構わない。そう思い、放置していた私が悪かったのでしょうか?

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

貴方の傍に幸せがないのなら

なか
恋愛
「みすぼらしいな……」  戦地に向かった騎士でもある夫––ルーベル。  彼の帰りを待ち続けた私––ナディアだが、帰還した彼が発した言葉はその一言だった。  彼を支えるために、寝る間も惜しんで働き続けた三年。  望むままに支援金を送って、自らの生活さえ切り崩してでも支えてきたのは……また彼に会うためだったのに。  なのに、なのに貴方は……私を遠ざけるだけではなく。  妻帯者でありながら、この王国の姫と逢瀬を交わし、彼女を愛していた。  そこにはもう、私の居場所はない。  なら、それならば。  貴方の傍に幸せがないのなら、私の選択はただ一つだ。        ◇◇◇◇◇◇  設定ゆるめです。  よろしければ、読んでくださると嬉しいです。

処理中です...