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第6章
逸る気持ち 5
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「丈、この指輪……」
食事を終えると、洋が古びた小さな箱をテーブルにそっと置いた。蓋を開けると中にはシンプルな指輪が二つ仲良く並んでいた。
「これは?」
「これね、俺の本当の父親と亡くなった母の結婚指輪なんだ」
「そうか……よくあったな。日本で見つけたのか」
「うん……母が亡くなる前に安志のお母さんに託していたそうだ。安志の家で、いきなりこれを渡された時は驚いたよ。こんなものが今頃俺の手にやってくるなんてな」
「そうか……」
「母がね、いつか俺が大事な人を見つけて幸せそうな顔でやってきたら手渡して欲しいと託していたそうだ」
そうか……
これが渡されたってことは、安志くんの母親は洋が幸せになったと確信してくれたのだな。そういう経緯だったのは嬉しい。それならば、いよいよ今度は私の番だ。どうやら洋とのソウルでの暮らしを、今後どうしていくか真剣に考える時が来たようだ。
「どうした? 何か考え込んでいる?」
「いや、なんでもない」
「あのさ……この指輪どうしようか」
「そうだな、洋はどうしたい?」
「そっそれは……もういちいち聞くなよ」
洋はぽっと顔を染めて俯いた。
そんな初々しさが微笑ましい。
いつもいつも…きっとこの先も。
「指輪……私が共に持ってもいいのか」
「当たり前だよ、いちいち言わせるなよ」
そっぽを向いて照れている洋を後ろからすっぽりと抱きしめた。洋の胸の前で手を交差させると、洋もそっと手を添えて来た。洋のうなじに顔を埋めながらそっと尋ねる。
「洋は今後どうしたい? このままソウルで暮らしていくか。それとも生まれ育った日本に戻りたいか。洋の希望を隠さずに教えて欲しい」
「どうしたんだ? 急に」
「少し考えたくなったんだ。洋とこの先ずっと暮らしていくにあたって、二人の生活の拠点をどこにすべきか」
「そういうことか」
二人で暫く考え込んでしまった。それから洋が思い出したように私の腕を解いて一冊の絵本を差し出した。
「そうだ丈、この絵本を見て欲しい」
「んっ?」
古びた子供向けの絵本には『訳・浅岡 信二』と書いてある。これは……?
「俺の本当の父親なんだ。この浅岡信二っていう人が」
「そうなのか。本当のお父さんは翻訳者だったのか」
「うん……小二の時に亡くなってしまったけれども、通訳と翻訳の仕事をしていたらしい」
「奇遇だな。洋の通訳の仕事というのは、お父さんと同じ道だったのか」
「そうなんだ。それで縁を感じて……」
「翻訳の仕事か」
「あっ参ったな。丈は俺の考え……なんでもお見通しだな」
洋が意外そうな表情で、照れ臭そうに笑った。
「まぁな。洋は分かりやすいよ」
洋は本当に分かりやすくなった。
出会った頃は何を考えているのか何に怯えているのか全く見当もつかず、でも気になってしょうがなくて無性にイライラしていたのが懐かしい。
私が洋の心に近づいたからなのか……洋が私に心を開いてくれたからなのか。
「ははっ……うん、そうなんだ。俺、翻訳の仕事に就いてみたい。そのためには日本に戻ってまた勉強もしてみたい。でもそんなの俺の勝手な都合だから…ソウルでも出来る方法があれば考えてみるつもりだよ。俺は丈がいればどこでも頑張れるから、大丈夫だ」
「いや……いいんだ。実は…私もそろそろ日本へ戻ろうかと考えていた所だ」
「えっ? 丈……仕事で何かあったのか」
「いや仕事じゃなくて……実家の方が」
「あっ……そういえば、俺、何も知らないままだったな。自分のことにかかりっきりで……その…すまない」
「いや、いいんだ。何も話さなかったのは私の方だから…」
「なぁ……丈の育った家はどこにあるんだ? 家族や兄弟もいるんだろう? 俺にも教えて欲しい」
食事を終えると、洋が古びた小さな箱をテーブルにそっと置いた。蓋を開けると中にはシンプルな指輪が二つ仲良く並んでいた。
「これは?」
「これね、俺の本当の父親と亡くなった母の結婚指輪なんだ」
「そうか……よくあったな。日本で見つけたのか」
「うん……母が亡くなる前に安志のお母さんに託していたそうだ。安志の家で、いきなりこれを渡された時は驚いたよ。こんなものが今頃俺の手にやってくるなんてな」
「そうか……」
「母がね、いつか俺が大事な人を見つけて幸せそうな顔でやってきたら手渡して欲しいと託していたそうだ」
そうか……
これが渡されたってことは、安志くんの母親は洋が幸せになったと確信してくれたのだな。そういう経緯だったのは嬉しい。それならば、いよいよ今度は私の番だ。どうやら洋とのソウルでの暮らしを、今後どうしていくか真剣に考える時が来たようだ。
「どうした? 何か考え込んでいる?」
「いや、なんでもない」
「あのさ……この指輪どうしようか」
「そうだな、洋はどうしたい?」
「そっそれは……もういちいち聞くなよ」
洋はぽっと顔を染めて俯いた。
そんな初々しさが微笑ましい。
いつもいつも…きっとこの先も。
「指輪……私が共に持ってもいいのか」
「当たり前だよ、いちいち言わせるなよ」
そっぽを向いて照れている洋を後ろからすっぽりと抱きしめた。洋の胸の前で手を交差させると、洋もそっと手を添えて来た。洋のうなじに顔を埋めながらそっと尋ねる。
「洋は今後どうしたい? このままソウルで暮らしていくか。それとも生まれ育った日本に戻りたいか。洋の希望を隠さずに教えて欲しい」
「どうしたんだ? 急に」
「少し考えたくなったんだ。洋とこの先ずっと暮らしていくにあたって、二人の生活の拠点をどこにすべきか」
「そういうことか」
二人で暫く考え込んでしまった。それから洋が思い出したように私の腕を解いて一冊の絵本を差し出した。
「そうだ丈、この絵本を見て欲しい」
「んっ?」
古びた子供向けの絵本には『訳・浅岡 信二』と書いてある。これは……?
「俺の本当の父親なんだ。この浅岡信二っていう人が」
「そうなのか。本当のお父さんは翻訳者だったのか」
「うん……小二の時に亡くなってしまったけれども、通訳と翻訳の仕事をしていたらしい」
「奇遇だな。洋の通訳の仕事というのは、お父さんと同じ道だったのか」
「そうなんだ。それで縁を感じて……」
「翻訳の仕事か」
「あっ参ったな。丈は俺の考え……なんでもお見通しだな」
洋が意外そうな表情で、照れ臭そうに笑った。
「まぁな。洋は分かりやすいよ」
洋は本当に分かりやすくなった。
出会った頃は何を考えているのか何に怯えているのか全く見当もつかず、でも気になってしょうがなくて無性にイライラしていたのが懐かしい。
私が洋の心に近づいたからなのか……洋が私に心を開いてくれたからなのか。
「ははっ……うん、そうなんだ。俺、翻訳の仕事に就いてみたい。そのためには日本に戻ってまた勉強もしてみたい。でもそんなの俺の勝手な都合だから…ソウルでも出来る方法があれば考えてみるつもりだよ。俺は丈がいればどこでも頑張れるから、大丈夫だ」
「いや……いいんだ。実は…私もそろそろ日本へ戻ろうかと考えていた所だ」
「えっ? 丈……仕事で何かあったのか」
「いや仕事じゃなくて……実家の方が」
「あっ……そういえば、俺、何も知らないままだったな。自分のことにかかりっきりで……その…すまない」
「いや、いいんだ。何も話さなかったのは私の方だから…」
「なぁ……丈の育った家はどこにあるんだ? 家族や兄弟もいるんだろう? 俺にも教えて欲しい」
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