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第4章
邂逅 12
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俺の傍で手を握ってくれている人がいる。
彼は本当に丈の中将ではないのか。そっくりな顔なのに。その優しく澄んだ思慮深い瞳も温かい逞しい手も、丈の中将そのものじゃないか。
「本当にあなたは俺の探している丈の中将ではないのか」
「あぁ……なんといったらいいのだ。君の時代を生きる丈の中将という人物ではないが、彼の魂を受け継いだ人間とはいえるかもしれない」
「魂を受け継ぐ?」
「そうだ。私の記憶の彼方に君との記憶が確かにある」
「えっ! そっそれは、どんな記憶なのか」
「湖の上 に浮かぶ月輪を掬い取り、それを胸に抱き泣いていた。遠い昔の私は……」
「……月輪」
はっとした。
俺の月輪は何処へ行ったのだろう。丈の中将と分かち合った月輪は帝の元へ向かう牛車の中では確かに袂の中にあったのに。あぁそうだ。湖で溺れたとき小袖から滑り落ちてしまったのだ。
はっと己の躰に触れると、寝台に何も身に着けず寝かされていることに気が付き、恥ずかしさが込み上げて来た。
「あっあの俺が着ていた小袖はどこ?」
「小袖?」
「丈っほら、あの白い着物のことだろう?」
隣に立ち尽くしていた俺にそっくりな人物に改めて気が付いた。
「君は……湖底で俺を……」
「そうだよ。君は俺だからね。必ず助けなくてはと思ったんだよ」
「……ありがとう」
「俺は生きてるのか。死ななかったのか。それとも此処が黄泉の国なのか」
「うーん、なんと答えればいいのかな。君は遙かなる時空を飛び越えたんだ。逝きたくないという強い願いが、俺達と君を結び付けてくれたんだよ。きっと……」
そう言いながら、彼は俺に上衣と下衣に分かれた見慣れぬ衣装を着させてくれた。
「これは何?」
「パジャマという着物だよ」
「……」
辺りを見回しても、お伽話にすら出てこない見たことも聞いたこともない物ばかりに囲まれていることに気が付く。だが、そのようなことに驚きはするが、もっと重要な気になっていることがある。
「今ここにいる俺は生きているのか。死んでいるのか分からないが、俺の丈の中将に逢いたい……」
そう呟くと、丈の中将にそっくりの彼が優しく背を撫でてくれる。
「そうだな。何があったか詳しいことは分からないが、君の魂はまだ生きている。意味があって今ここに……私達の元に辿り着いたのだと思う」
「うっ……うう……」
背を撫でる手から温かい体温が伝わってくる。その仕草までもが何もかもそっくりで、涙が込み上げてきてしまう。
「……丈の中将」
思わず彼の胸に抱き付いて、むせび泣いてしまった。
彼は丈の中将ではない。それは分かっているのに、今にも壊れそうな俺の心はせめてその面影に縋りつきたくなってしまった。
「丈……彼は俺でもあるんだ、大丈夫だよ」
俺にそっくりな彼がそう促すと、丈の中将にそっくりな彼は頷いて、俺をぎゅっと抱きしめてくれた。
「安心しろ。必ず君だけの丈の中将の元へ帰らせてやる。私の心に共鳴するよ。二つの月輪を胸にむせび泣いていた彼の深い悲しみが……ただ……まだ、どうやって帰らせてやればよいのか、残念だが分からない。恐らくもうすぐやってくる人たちが揃って、それから何かが分かっていくのだろう」
「……」
「君は暫くここにいてくれるか。必ず探してみせるから。君を元の場所へ帰してやれる方法を」
「分かった……言う通りにするよ」
今、俺がいる場所がどこかなんて全く分からない。でも信じられる。彼は丈の中将の悲しみを感じ取ってくれていた。
彼の胸で目を閉じれば浮かんでくる、直衣姿の凛々しい丈の中将が。
君は湖に駆けつけてくれ、俺の小袖から滑り落ちて浮かんで行った月輪を拾い、俺のことを必死に探してくれたことが伝わって来た。
ありがとう。
人知れず水の泡となり儚く散っても惜しくないと思っていた狂った人生だったのに、俺は君のお陰で『逝きたくない』という気持ちを強く持てた。
そして君は俺を必死に求めてくれた。
今は彼の言う通り、また君の元へ戻れるよう、時が満ちるのを待つことしか出来ないが、必ず戻ってみせるから、待っていてくれ。
「おいっ!雨がやみそうだ!」
部屋の扉の前に立って、一部始終を見据えていたもう一人の男が突然そう叫んだ。彼は俺を最後に逃がしてくれたあの男に似ているな。『海』という青年だった。
皆で外を一斉に見るとさっきまで降り注いでいた激しい雨がぴたりと止み、雲の間から眩しい光が見えて来ていた。
「来る!」
「来るな」
「行こう!」
彼らは口を揃えて叫んだ。途端に一気に気が引き締まるように、その場の空気がぴんと張りつめた。
彼は本当に丈の中将ではないのか。そっくりな顔なのに。その優しく澄んだ思慮深い瞳も温かい逞しい手も、丈の中将そのものじゃないか。
「本当にあなたは俺の探している丈の中将ではないのか」
「あぁ……なんといったらいいのだ。君の時代を生きる丈の中将という人物ではないが、彼の魂を受け継いだ人間とはいえるかもしれない」
「魂を受け継ぐ?」
「そうだ。私の記憶の彼方に君との記憶が確かにある」
「えっ! そっそれは、どんな記憶なのか」
「湖の上 に浮かぶ月輪を掬い取り、それを胸に抱き泣いていた。遠い昔の私は……」
「……月輪」
はっとした。
俺の月輪は何処へ行ったのだろう。丈の中将と分かち合った月輪は帝の元へ向かう牛車の中では確かに袂の中にあったのに。あぁそうだ。湖で溺れたとき小袖から滑り落ちてしまったのだ。
はっと己の躰に触れると、寝台に何も身に着けず寝かされていることに気が付き、恥ずかしさが込み上げて来た。
「あっあの俺が着ていた小袖はどこ?」
「小袖?」
「丈っほら、あの白い着物のことだろう?」
隣に立ち尽くしていた俺にそっくりな人物に改めて気が付いた。
「君は……湖底で俺を……」
「そうだよ。君は俺だからね。必ず助けなくてはと思ったんだよ」
「……ありがとう」
「俺は生きてるのか。死ななかったのか。それとも此処が黄泉の国なのか」
「うーん、なんと答えればいいのかな。君は遙かなる時空を飛び越えたんだ。逝きたくないという強い願いが、俺達と君を結び付けてくれたんだよ。きっと……」
そう言いながら、彼は俺に上衣と下衣に分かれた見慣れぬ衣装を着させてくれた。
「これは何?」
「パジャマという着物だよ」
「……」
辺りを見回しても、お伽話にすら出てこない見たことも聞いたこともない物ばかりに囲まれていることに気が付く。だが、そのようなことに驚きはするが、もっと重要な気になっていることがある。
「今ここにいる俺は生きているのか。死んでいるのか分からないが、俺の丈の中将に逢いたい……」
そう呟くと、丈の中将にそっくりの彼が優しく背を撫でてくれる。
「そうだな。何があったか詳しいことは分からないが、君の魂はまだ生きている。意味があって今ここに……私達の元に辿り着いたのだと思う」
「うっ……うう……」
背を撫でる手から温かい体温が伝わってくる。その仕草までもが何もかもそっくりで、涙が込み上げてきてしまう。
「……丈の中将」
思わず彼の胸に抱き付いて、むせび泣いてしまった。
彼は丈の中将ではない。それは分かっているのに、今にも壊れそうな俺の心はせめてその面影に縋りつきたくなってしまった。
「丈……彼は俺でもあるんだ、大丈夫だよ」
俺にそっくりな彼がそう促すと、丈の中将にそっくりな彼は頷いて、俺をぎゅっと抱きしめてくれた。
「安心しろ。必ず君だけの丈の中将の元へ帰らせてやる。私の心に共鳴するよ。二つの月輪を胸にむせび泣いていた彼の深い悲しみが……ただ……まだ、どうやって帰らせてやればよいのか、残念だが分からない。恐らくもうすぐやってくる人たちが揃って、それから何かが分かっていくのだろう」
「……」
「君は暫くここにいてくれるか。必ず探してみせるから。君を元の場所へ帰してやれる方法を」
「分かった……言う通りにするよ」
今、俺がいる場所がどこかなんて全く分からない。でも信じられる。彼は丈の中将の悲しみを感じ取ってくれていた。
彼の胸で目を閉じれば浮かんでくる、直衣姿の凛々しい丈の中将が。
君は湖に駆けつけてくれ、俺の小袖から滑り落ちて浮かんで行った月輪を拾い、俺のことを必死に探してくれたことが伝わって来た。
ありがとう。
人知れず水の泡となり儚く散っても惜しくないと思っていた狂った人生だったのに、俺は君のお陰で『逝きたくない』という気持ちを強く持てた。
そして君は俺を必死に求めてくれた。
今は彼の言う通り、また君の元へ戻れるよう、時が満ちるのを待つことしか出来ないが、必ず戻ってみせるから、待っていてくれ。
「おいっ!雨がやみそうだ!」
部屋の扉の前に立って、一部始終を見据えていたもう一人の男が突然そう叫んだ。彼は俺を最後に逃がしてくれたあの男に似ているな。『海』という青年だった。
皆で外を一斉に見るとさっきまで降り注いでいた激しい雨がぴたりと止み、雲の間から眩しい光が見えて来ていた。
「来る!」
「来るな」
「行こう!」
彼らは口を揃えて叫んだ。途端に一気に気が引き締まるように、その場の空気がぴんと張りつめた。
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