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第3章
※安志編※ 面影 10
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「涼、早くいらっしゃい」
「あっ……」
母に手をつながれ引っ張られるように僕はお兄さんから離され、スタテンアイランドに下船した。お兄さんとの別れが名残惜しくちらっと後ろを振り向くと、お兄さんはまた目深に帽子をかぶり、トレンチコートのポケットに手を突っ込み、少し後ろを歩いていた。
良かった。ここで観光している間にもう一度話せるかもしれないと期待に胸が膨らんだのに、それは一瞬で、お兄さんは下船した途端そのままUターンし、もう一度フェリーに乗って行ってしまった。
もう会えないなんてぜ、絶対にイヤだ。
僕の従弟……僕とそっくりな顔をしたお兄さんにまた会いたい。会いに行くから!
****
七年前のあの日に思いを馳せていると、安志さんに真顔で問われた。
「涼っ……もう一度、その人の名前を言ってくれ!」
安志さんは強い衝撃を受けたような焦燥した表情で、俺の肩を激しく揺さぶってきた。
「どうかした? お兄さんの名前は『洋兄さん』だけど?」
不思議に思ったあとに、あっと思い当たることにぶつかり、僕も衝撃を受けた。
「もしかして安志さんが僕の顔を見て最初に驚いたのは、洋兄さんに似ていたから?」
「あっああそうだ! 信じられない! 涼が洋の従弟だなんて……何という偶然なのか」
「そうか!そうだったんだね。だからあなんに驚いて、それで違うと分かってがっかりしたのか」
「そうなんだ。あまりに似ていたから……洋に」
安志さんは心底驚いたという顔をして放心状態だ。どうやらお兄さんと洋さんは、ただの知り合いというよりもっと深い仲のような気がする。
「あの……安志さんは洋兄さんと、どういう関係なのか聞いてもいい?」
「……俺と洋は日本にいる時の幼馴染だよ」
「幼馴染か。そうだったのか……良かった。洋兄さんにも……そんな人がいて」
あの寂しく孤独な洋兄さんに、安志さんという実直で温かい人柄の幼馴染がいたなんて。そう考えだけで心が温まる気分だ。でも少しだけ胸の奥がチクリとした。何故だろう。安志さんと洋兄さんの関係が今どうなっているのかも気になった。
「涼、君はその後は洋にもう会わなかったのか」
「いや、会ったよ。何度かこの船の上で……」
****
両親とスタテンアイランドを一周した僕は、再び船でマンハッタンへ戻った。お兄さんにどうやったらまた会えるのだろう? そんなことばかり船の中で考えていた。
途中、折り返しの船とすれ違った時、船の甲板に帽子を目深に被ったお兄さんの姿を見たような気がした。
「あっ……あれ、お兄さんじゃない?」
「涼、お願いだからもうやめて。もう二度と会っては駄目よ。洋くんのお義父さんに、私は見つかりたくないの」
「どうして?」
母は悲しげな表情を浮かべたと同時に視線を僕から逸らし、自由の女神を見上げ独りごとのように呟いた。
「私の顔が夕とそっくりだからよ……次の標的が私になっては絶対に困るの」
幼い僕には、その真意が読み取れなかった。
母には忠告されたけれども、しばらく経ってもお兄さんの悲しみに沈んだ目が忘れられなくて、週末に、とうとう僕は親の眼を盗んでフェリーに乗ってみた。するとやはり帽子を目深に被って、船内のベンチに腰を下ろしたお兄さんにまた会えたんだ! どうやらお兄さんは、休日になると時間を持て余して、この無料で乗れるサウス・フェリーで何往復もしているようだ。
「……あの……洋兄さんでしょ?」
「わっ!びっくりした。涼くんだよね?」
帽子を外して、お兄さんはこの前と何も変わらない綺麗な笑顔で、僕に微笑んでくれたので、ほっとした。母があんなこと言った後だから、気になっていた。嫌われたかもって……
「今日はご両親は? まさか一人で来たの? 危ないことをしたら駄目だよ」
「今日は友達の家族がこれに乗るっていうから頼んだの。一緒に来たから大丈夫」
「そうなの? 」
心配そうに僕の顔を覗き込んでくれる眼差しは、澄んで透明感がある。こんな綺麗なお兄さんと僕は血がつながった従兄なんだ。なんだかそれがたまらなく嬉しい。
他愛もない会話をした。
「へぇお兄さんはこっちの大学に通ってるの」
「あぁ……そうだよ」
「なんでいつもここにいるの? 」
「……そうだね、何でかな。気持ちいいんだ……潮風が。すぐ間近で見られる自由の女神も好きだし……何より観光客でごった返し、誰も俺のことを気にしない空間が心地良くてね」
「そうなの?」
不思議なことを言うんだなと思った。皆から関心を持たれないのが心地良いなんて……何故だか、お兄さんを見ていると、お兄さんと話していると……
── 切なくて哀しい ──
そんな気持ちが込み上げてくるよ。幼い僕の心に、琴線に触れるような繊細な感情が芽生えたのが、この船の上だった。
「あっ……」
母に手をつながれ引っ張られるように僕はお兄さんから離され、スタテンアイランドに下船した。お兄さんとの別れが名残惜しくちらっと後ろを振り向くと、お兄さんはまた目深に帽子をかぶり、トレンチコートのポケットに手を突っ込み、少し後ろを歩いていた。
良かった。ここで観光している間にもう一度話せるかもしれないと期待に胸が膨らんだのに、それは一瞬で、お兄さんは下船した途端そのままUターンし、もう一度フェリーに乗って行ってしまった。
もう会えないなんてぜ、絶対にイヤだ。
僕の従弟……僕とそっくりな顔をしたお兄さんにまた会いたい。会いに行くから!
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七年前のあの日に思いを馳せていると、安志さんに真顔で問われた。
「涼っ……もう一度、その人の名前を言ってくれ!」
安志さんは強い衝撃を受けたような焦燥した表情で、俺の肩を激しく揺さぶってきた。
「どうかした? お兄さんの名前は『洋兄さん』だけど?」
不思議に思ったあとに、あっと思い当たることにぶつかり、僕も衝撃を受けた。
「もしかして安志さんが僕の顔を見て最初に驚いたのは、洋兄さんに似ていたから?」
「あっああそうだ! 信じられない! 涼が洋の従弟だなんて……何という偶然なのか」
「そうか!そうだったんだね。だからあなんに驚いて、それで違うと分かってがっかりしたのか」
「そうなんだ。あまりに似ていたから……洋に」
安志さんは心底驚いたという顔をして放心状態だ。どうやらお兄さんと洋さんは、ただの知り合いというよりもっと深い仲のような気がする。
「あの……安志さんは洋兄さんと、どういう関係なのか聞いてもいい?」
「……俺と洋は日本にいる時の幼馴染だよ」
「幼馴染か。そうだったのか……良かった。洋兄さんにも……そんな人がいて」
あの寂しく孤独な洋兄さんに、安志さんという実直で温かい人柄の幼馴染がいたなんて。そう考えだけで心が温まる気分だ。でも少しだけ胸の奥がチクリとした。何故だろう。安志さんと洋兄さんの関係が今どうなっているのかも気になった。
「涼、君はその後は洋にもう会わなかったのか」
「いや、会ったよ。何度かこの船の上で……」
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両親とスタテンアイランドを一周した僕は、再び船でマンハッタンへ戻った。お兄さんにどうやったらまた会えるのだろう? そんなことばかり船の中で考えていた。
途中、折り返しの船とすれ違った時、船の甲板に帽子を目深に被ったお兄さんの姿を見たような気がした。
「あっ……あれ、お兄さんじゃない?」
「涼、お願いだからもうやめて。もう二度と会っては駄目よ。洋くんのお義父さんに、私は見つかりたくないの」
「どうして?」
母は悲しげな表情を浮かべたと同時に視線を僕から逸らし、自由の女神を見上げ独りごとのように呟いた。
「私の顔が夕とそっくりだからよ……次の標的が私になっては絶対に困るの」
幼い僕には、その真意が読み取れなかった。
母には忠告されたけれども、しばらく経ってもお兄さんの悲しみに沈んだ目が忘れられなくて、週末に、とうとう僕は親の眼を盗んでフェリーに乗ってみた。するとやはり帽子を目深に被って、船内のベンチに腰を下ろしたお兄さんにまた会えたんだ! どうやらお兄さんは、休日になると時間を持て余して、この無料で乗れるサウス・フェリーで何往復もしているようだ。
「……あの……洋兄さんでしょ?」
「わっ!びっくりした。涼くんだよね?」
帽子を外して、お兄さんはこの前と何も変わらない綺麗な笑顔で、僕に微笑んでくれたので、ほっとした。母があんなこと言った後だから、気になっていた。嫌われたかもって……
「今日はご両親は? まさか一人で来たの? 危ないことをしたら駄目だよ」
「今日は友達の家族がこれに乗るっていうから頼んだの。一緒に来たから大丈夫」
「そうなの? 」
心配そうに僕の顔を覗き込んでくれる眼差しは、澄んで透明感がある。こんな綺麗なお兄さんと僕は血がつながった従兄なんだ。なんだかそれがたまらなく嬉しい。
他愛もない会話をした。
「へぇお兄さんはこっちの大学に通ってるの」
「あぁ……そうだよ」
「なんでいつもここにいるの? 」
「……そうだね、何でかな。気持ちいいんだ……潮風が。すぐ間近で見られる自由の女神も好きだし……何より観光客でごった返し、誰も俺のことを気にしない空間が心地良くてね」
「そうなの?」
不思議なことを言うんだなと思った。皆から関心を持たれないのが心地良いなんて……何故だか、お兄さんを見ていると、お兄さんと話していると……
── 切なくて哀しい ──
そんな気持ちが込み上げてくるよ。幼い僕の心に、琴線に触れるような繊細な感情が芽生えたのが、この船の上だった。
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