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第3章
決心 3
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洋が去って行った。振り向きもせず真っすぐに。
追いかけないと。そう思うのに足が動かない。まだ進むべき道が見えない。どうやって、どうしたら洋とまた幸せに二人で暮らせるのか。
此処じゃなくてもいい。何処でもいい。洋と二人で平穏に暮らせるのなら、洋を無理やり今の環境から奪い、二人きりになれるところへ連れ去りたい。
そんなことを私が望んでは、いけないのか。
****
去っていく洋を、力づくでも引き止めれば良かったのか自問自答していると、玄関のインターホンが鳴った。
洋のはずがない。では一体誰だ?
ドアを開けると、あの日洋と駅で笑い合っていた太陽のように明るい雰囲気を纏った青年が立っていた。
「丈さんですよね?」
「あぁ君が鷹野安志さん?」
「そうです。あの……洋のことで緊急の話があって。今いいですか」
「どうぞ」
もしかして……また洋に何かあったのか。そもそも何故、彼は洋の行方を知っていたのか。こんな時にも小さな嫉妬心が芽生える己が嫌になる。彼は私の元へ洋を来るように手伝ってくれた恩人なのに。
己がこんなにも狭い心になっていることが、おかしくさえ思えてくる。洋のこととなると必死だ。もう見栄もプライドもない。
「洋は今どこに?」
「そのことで大事な話があります」
彼の顔は真剣そのものだ。覚悟を必要とする話であることが伝わってくる。
「丈さん、あなたは洋のために全てを捨て、ここから去ることが出来ますか」
「ここから?」
「はい。今度の週末に……期限はあと一週間しかありません」
「洋と一緒に行けるのか」
「……はい」
「洋と一緒なら何処へでも行く。洋が今の苦しみから逃れられるのなら、私の地位や名誉なんて不要だ。洋と一緒に……それを洋が許してくれるのならそうしたい。洋を救ってやりたい。そう思っていた」
「良かった。俺と同じ考えですね」
私も同じようなことを考えていた。洋が私に告げることの出来なかった事実は、あの日のあの夢で漠然とだが察知していた。洋と私に流れる過去からの繋がりが見せてくれたあの夢のおかげだ。
洋が私に触れられたくない、犯された傷を負ったのは、洋の様子を見ていれば痛い程分かった。私がそんなことで嫌いになるはずなんてないのに……馬鹿だな洋は。
「安志くん、私も実は考えていたことがある」
「何です?」
「実は先日出張に行った国から引き抜きの誘いがあって、隣の国だがそこへ行こうか迷っていたのだが決心がついた。まずは洋とその国へ行きたい。そこへ私が洋を連れて行っていいか」
「……参ったな。それって俺に聞くことじゃないですよね?」
「でも君は洋の幼馴染で親友だと聞いていたから。それに今、現に洋のためにこうやって私のもとへ来てくれている」
彼は複雑な表情を浮かべていた。
「それは手伝ったついでです。丈さん、洋を絶対に幸せにしてやって欲しい。あいつは昔から凄く苦労しているんだ。うまく自分を出せず、自分を犠牲にしてしまうような奴なんだ。どうか……頼みます。俺、あいつの笑った顔が好きだ」
少し涙声になって、必死に訴えかける言葉には洋への愛情が詰まっていた。洋は私と出会う前に……学生時代、こんなに優しい幼馴染が傍にいたのだな。
「洋の笑った顔……あの花のような笑顔」
脳裏に浮かぶ、洋のはにかむ様な控えめな笑顔は、可憐な花のようだった。いつもそんな笑顔を見続けたい。いつもそう思っていた。
「そう……あいつの笑顔……これからは、あなたがしっかりと守ってください」
洋の幼馴染はいい奴だ。洋のことが好きだったと聞いているのに、今こうやって私達の背中を押して送り出そうとしてくれている。
「今、洋に話せないだろうか。声を聴きたい」
「ええ、この電話を使ってください。俺ちょっとしたら戻りますから、どうぞ」
そう言い残し、彼は電話番号を入力してから、私の手に携帯を置いてくれた。
「……もしもし」
洋が恐る恐る応答してくれた。
「洋……私だ」
すでに涙声の洋が必死に話かけてくる。その声を聴いただけでも、すぐにでも飛んで傍に行きたい衝動に駆られる。
「丈……安志が……安志がそうしろって。俺のために丈に迷惑をかけるのは嫌なのに。でも俺……どうしても今回だけは丈といたい」
「当たり前だよ。私も洋がいれば他には何もいらない」
「丈……うっ……本当にいいのか。俺でいいのか。丈に迷惑をかけるだけなのに……」
「馬鹿だな。当たり前じゃないか」
「それで、安志がそうしていいって。うっ……俺にそう言ってくれて、あいつ凄くいい奴で……俺、本当に申し訳ない気持ちで……うっ……」
受話器の向こうで、涙でぐしょぐしょになって喋っているのが伝わってくる。震える洋を抱きしめたい。早く洋を守り、洋と暮らしたい。そんな気持ちが心から溢れ出しそうだ。
「洋、しっかりしろ、今からが大事だ。安志くんと相談したが、やはり来週の金曜日にここを出よう」
「あぁ分かった。準備する。でも丈の仕事とか……そういうのが……」
「ちょうど良い行先が見つかったよ。あの出張で一緒に行ったあの国へ行こう。実はあれから現地での仕事に誘われていたのだ」
「あの国、本当?俺も行きたかった。あの時触れなかった過去の俺について、やっぱりしっかり調べるべきだと思って……」
「そうだ……私たちはやはり知っておくべきだ。この先何があるか分からないから、それを少しでも回避できるように」
「そうだね。そうしよう。今度はきちんと俺も向き合うから……」
「洋、しっかり休んでおけ。安志くんと詳しいことは決めておくから心配するな」
「ありがとう、丈……そして安志」
泣き疲れた声をしていた。洋……君がどんな辛い目に遭ったのか。その場で救ってあげることが出来なかったのは私だ。
洋は一人きりで、誰にも相談できずにじっと耐えていた。もう洋がそんな目に遭うのは二度とご免だ。
洋が好きだ。
洋を愛してる。
己の体面とか仕事とかそういうは投げ出して、唯一人の人間として洋と向きあって、洋と共にこの先の人生を歩みたい。そのための一歩を踏み出す勇気が、皮肉にもこの事件によって沸き上がった。
だから悲しむな。
洋……君は汚れてない。
追いかけないと。そう思うのに足が動かない。まだ進むべき道が見えない。どうやって、どうしたら洋とまた幸せに二人で暮らせるのか。
此処じゃなくてもいい。何処でもいい。洋と二人で平穏に暮らせるのなら、洋を無理やり今の環境から奪い、二人きりになれるところへ連れ去りたい。
そんなことを私が望んでは、いけないのか。
****
去っていく洋を、力づくでも引き止めれば良かったのか自問自答していると、玄関のインターホンが鳴った。
洋のはずがない。では一体誰だ?
ドアを開けると、あの日洋と駅で笑い合っていた太陽のように明るい雰囲気を纏った青年が立っていた。
「丈さんですよね?」
「あぁ君が鷹野安志さん?」
「そうです。あの……洋のことで緊急の話があって。今いいですか」
「どうぞ」
もしかして……また洋に何かあったのか。そもそも何故、彼は洋の行方を知っていたのか。こんな時にも小さな嫉妬心が芽生える己が嫌になる。彼は私の元へ洋を来るように手伝ってくれた恩人なのに。
己がこんなにも狭い心になっていることが、おかしくさえ思えてくる。洋のこととなると必死だ。もう見栄もプライドもない。
「洋は今どこに?」
「そのことで大事な話があります」
彼の顔は真剣そのものだ。覚悟を必要とする話であることが伝わってくる。
「丈さん、あなたは洋のために全てを捨て、ここから去ることが出来ますか」
「ここから?」
「はい。今度の週末に……期限はあと一週間しかありません」
「洋と一緒に行けるのか」
「……はい」
「洋と一緒なら何処へでも行く。洋が今の苦しみから逃れられるのなら、私の地位や名誉なんて不要だ。洋と一緒に……それを洋が許してくれるのならそうしたい。洋を救ってやりたい。そう思っていた」
「良かった。俺と同じ考えですね」
私も同じようなことを考えていた。洋が私に告げることの出来なかった事実は、あの日のあの夢で漠然とだが察知していた。洋と私に流れる過去からの繋がりが見せてくれたあの夢のおかげだ。
洋が私に触れられたくない、犯された傷を負ったのは、洋の様子を見ていれば痛い程分かった。私がそんなことで嫌いになるはずなんてないのに……馬鹿だな洋は。
「安志くん、私も実は考えていたことがある」
「何です?」
「実は先日出張に行った国から引き抜きの誘いがあって、隣の国だがそこへ行こうか迷っていたのだが決心がついた。まずは洋とその国へ行きたい。そこへ私が洋を連れて行っていいか」
「……参ったな。それって俺に聞くことじゃないですよね?」
「でも君は洋の幼馴染で親友だと聞いていたから。それに今、現に洋のためにこうやって私のもとへ来てくれている」
彼は複雑な表情を浮かべていた。
「それは手伝ったついでです。丈さん、洋を絶対に幸せにしてやって欲しい。あいつは昔から凄く苦労しているんだ。うまく自分を出せず、自分を犠牲にしてしまうような奴なんだ。どうか……頼みます。俺、あいつの笑った顔が好きだ」
少し涙声になって、必死に訴えかける言葉には洋への愛情が詰まっていた。洋は私と出会う前に……学生時代、こんなに優しい幼馴染が傍にいたのだな。
「洋の笑った顔……あの花のような笑顔」
脳裏に浮かぶ、洋のはにかむ様な控えめな笑顔は、可憐な花のようだった。いつもそんな笑顔を見続けたい。いつもそう思っていた。
「そう……あいつの笑顔……これからは、あなたがしっかりと守ってください」
洋の幼馴染はいい奴だ。洋のことが好きだったと聞いているのに、今こうやって私達の背中を押して送り出そうとしてくれている。
「今、洋に話せないだろうか。声を聴きたい」
「ええ、この電話を使ってください。俺ちょっとしたら戻りますから、どうぞ」
そう言い残し、彼は電話番号を入力してから、私の手に携帯を置いてくれた。
「……もしもし」
洋が恐る恐る応答してくれた。
「洋……私だ」
すでに涙声の洋が必死に話かけてくる。その声を聴いただけでも、すぐにでも飛んで傍に行きたい衝動に駆られる。
「丈……安志が……安志がそうしろって。俺のために丈に迷惑をかけるのは嫌なのに。でも俺……どうしても今回だけは丈といたい」
「当たり前だよ。私も洋がいれば他には何もいらない」
「丈……うっ……本当にいいのか。俺でいいのか。丈に迷惑をかけるだけなのに……」
「馬鹿だな。当たり前じゃないか」
「それで、安志がそうしていいって。うっ……俺にそう言ってくれて、あいつ凄くいい奴で……俺、本当に申し訳ない気持ちで……うっ……」
受話器の向こうで、涙でぐしょぐしょになって喋っているのが伝わってくる。震える洋を抱きしめたい。早く洋を守り、洋と暮らしたい。そんな気持ちが心から溢れ出しそうだ。
「洋、しっかりしろ、今からが大事だ。安志くんと相談したが、やはり来週の金曜日にここを出よう」
「あぁ分かった。準備する。でも丈の仕事とか……そういうのが……」
「ちょうど良い行先が見つかったよ。あの出張で一緒に行ったあの国へ行こう。実はあれから現地での仕事に誘われていたのだ」
「あの国、本当?俺も行きたかった。あの時触れなかった過去の俺について、やっぱりしっかり調べるべきだと思って……」
「そうだ……私たちはやはり知っておくべきだ。この先何があるか分からないから、それを少しでも回避できるように」
「そうだね。そうしよう。今度はきちんと俺も向き合うから……」
「洋、しっかり休んでおけ。安志くんと詳しいことは決めておくから心配するな」
「ありがとう、丈……そして安志」
泣き疲れた声をしていた。洋……君がどんな辛い目に遭ったのか。その場で救ってあげることが出来なかったのは私だ。
洋は一人きりで、誰にも相談できずにじっと耐えていた。もう洋がそんな目に遭うのは二度とご免だ。
洋が好きだ。
洋を愛してる。
己の体面とか仕事とかそういうは投げ出して、唯一人の人間として洋と向きあって、洋と共にこの先の人生を歩みたい。そのための一歩を踏み出す勇気が、皮肉にもこの事件によって沸き上がった。
だから悲しむな。
洋……君は汚れてない。
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