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10 破格の縁談
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「安心してください、死んでいません。火傷と手足の怪我、それに煙を多く吸って一時的に気を失っただけですよ」
エイベルはオスカーを寝かせた。
「はぁ、重たかった。全く冗談じゃねぇぜ。無茶ばかりしやがって」
ふうとため息をつき、アイラに優しく微笑んだ。
「ロッシュ子爵家の皆さんは全員無事です。あなたの家も燃えていなかった。アイラ嬢の無事も伝えてあります」
「そう……ですか。ありがとうございます」
「しかし、街の一部は酷い状況です。オスカーが危険な場所にも先頭に立って指示してくれたおかげで、早く火消しはできましたが……俺はまだすべきことがあるので、現地に戻ります。彼を頼みますね」
「はい」
アイラはオスカーの火傷や傷を消毒して、丁寧に手当てをした。頬や腕も汚れて真っ黒になっているため、何度も水を含ませたハンカチで拭いて綺麗にした。
「早く目を覚ましてくださいませ」
アイラは首からかけているターコイズのネックレスを握りしめ、何度もオスカーの無事を祈った。そしてアイラがオスカーの手に触れると、わずかに反応があった。
「オスカー様、オスカー様っ! わかりますか」
アイラはオスカーを覗き込み、何度も大きな声で名前を呼んだ。すると、オスカーはゆっくりと瞼を開いた。
「ああ、良かった。気がつかれたのですね」
まだぼんやりしているオスカーは、アイラの頬にそっと手を伸ばした。
「……死んだのかと思った」
「そんな縁起でもないこと仰らないでください」
アイラが泣きそうになるので、オスカーはフッと微笑んだ。
「天使が迎えに来たのかと」
「え?」
「起きたら君のとびきり可愛い顔が見えたから、天使かと思ったんだ」
そう言って悪戯っぽく笑ったので、アイラはオスカーの頬をぎゅっとつねった。
「痛てててて……」
「馬鹿」
「よく言われる」
オスカーは胸元をガサガサと触り、何かを取り出した。
「すまないな。せっかく貰ったハンカチをボロボロにしちまった」
渡した時は白かったハンカチは黒くなっており、一部は焦げてしまっていた。
「そんなのいいんです。エイベル様にお聞きしました。オスカー様が危険な中、消火活動をしてくださったと。ありがとうございました」
「そんなこと当たり前だ。これからが大変だが、俺も手助けするから気を落とすな」
「はい」
アイラが献身的にお世話をした結果、オスカーは二日後には普通に動けるまでになった。
「もう動いてんのか? お前はやっぱり化け物だな」
「それ褒めてるのか?」
「一応褒めてる」
見舞いに来たエイベルは、その驚異の回復力に驚いていた。
「まあ好きな女に看病されたら元気にもなるわな」
エイベルはオスカーの肩を組み、チラリとアイラを見た。
「……否定はできん」
「はは、素直だな。これから一緒にロッシュ領に行くのか?」
「ああ。アイラをロッシュ子爵の元に帰してやらないと行けないからな」
その発言を聞いたエイベルはニヤリと意地悪く笑った。
「お前は怪我してるから、俺が馬の後ろに乗せて送るよ」
「そんなの駄目に決まってるだろ! こんな怪我大したことない。俺が送る」
ムスッと不機嫌になったオスカーを見て、エイベルはゲラゲラと笑った。
「ムキになってやんの」
「当たり前だろ。アイラは俺の特別だ」
真剣な顔でそう言ったオスカーを見て、エイベルは揶揄うのをやめた。
「……だな。そういえば、火事の現場で不審な点があった。やはりあれは放火だな」
「やはりそうか。火の広がりが早いから、おかしいと思っていた」
「ああ。一番燃えてるところを調べたら、かなりきつい油の匂いがした。不審な人間を見たという目撃情報もある」
オスカーは歯を食いしばり、ギリギリと強く拳を握りしめた。
「許せない。必ず犯人を捕まえてやる」
「ああ」
「アイラには詳細がわかってから話す。不安になるだろうから」
「わかった」
オスカーは自分の馬にアイラを乗せて、ロッシュ子爵家まで送った。馬に乗るのに慣れていないアイラをオスカーが後ろから支えている姿は、周りから見たらどう見ても仲睦まじい恋人同士のようだった。
「ありがとうございました。本当に助かりました」
アイラが家に着くと両親や弟、使用人達も涙を流しながら喜んだ。
「アイラ、無事で良かった」
「お姉様、お帰りなさい」
「お嬢様……お一人でよく頑張られましたね」
久しぶりの再会の様子を見たオスカーは、そっとその場を去った。
♢♢♢
「……アイラに縁談が来ている」
あの火災が起きた数日後、アイラは朝早くから父親に呼び出されていた。その暗く青ざめた表情を見て、アイラは決していい話ではないだろうと聞く前からわかっていた。
「そうですか。どなたからでしょう」
アイラは取り乱さないように、なるべく冷静に声を出した。
「アンブロス公爵家のファビアン様だ。アイラが嫁いでくれるのであれば、結婚の持参金も不要で……今回の火災の借金も肩代わりすると」
苦しそうな声で、アイラの父はそう説明した。あの火災でロッシュ領は大打撃を受けた。オスカーたち騎士団の早い活躍のおかげで幸いにも死者は出なかったが、家や店を失った者は多かったので子爵家の私財から援助をしていた。収穫間近だった田畑も多くが燃えてしまったので、今年の税収もかなり減る見込みだ。そのため、一時的に借金をするしかなかった。
「それは、破格の条件ですわね」
この最悪の状況で、公爵家が手を差し伸べてくれるのは有り難いとしか言いようがない。
「ああ。だが……いや、アイラ。この話は忘れてくれ。私が悪かった」
「お父様」
「娘を売るような真似はしたくない。借金は私が何とかする」
アイラの父は、娘に一度も政略結婚をしろと言ったことはなかった。貴族令嬢は皆、親から『家の発展のためによりよい相手を探せ』と幼い頃から教え込まれるのが普通だというのに。
その父親が婚約の話をしてきたということは、ロッシュ領がかなり悪い状況なのだとわかった。
「私、ファビアン様との結婚お受け致します」
オスカーの笑顔がアイラの頭の中に浮かんだが、慌ててかき消した。
「だめだ。アイラには、もう心に決めた人がいるだろう? オスカー様はとても素晴らしい方だ。アイラを愛してくれているし、火災の時は危険な場所に先頭になって入って領民たちを助けてくださっていた。感謝しかないよ」
「ええ、本当に……彼は素敵な方だわ」
「アイラは素直になって、彼と幸せになるべきだよ。だから、この話は無しだ。朝から呼び出して悪かったね」
「お父様、お待ちください」
話を終わらせようとした父親を、アイラは止めた。
「我が身一つでこのロッシュ領を救えるのであれば、私は喜んで結婚します」
「……だめだ」
「領民を守るのが、私たちの責任でしょう? 私は、貴族として恩恵を充分受けて来ました。大変な時には返さねばいけません」
アイラは苦しい気持ちを必死に隠して、淡々とそう告げ、嫁ぐ覚悟を決めた。
「ファビアン様と結婚させていただきます」
政略結婚なんてよくある話だ。それに、アイラはまだ幸せ者だ。相手のファビアンはアイラより家格も上だし、見目麗しく優秀な男性なのだから。
しかも、アイラの見た目以外も好きだと言ってくれている稀有な人物だ。アイラは自分は幸運なのだと、何度も必死にそう言い聞かせた。
無理にそう思わないと、心がバラバラに砕け散ってしまいそうだった。
もうオスカーに自分の気持ちを伝えることができないのだと思うと、アイラはそれだけが心残りだった。
「あの時、気持ちをお伝えしていれば……」
そんなことを思い後悔したが、もう全てが遅かった。
エイベルはオスカーを寝かせた。
「はぁ、重たかった。全く冗談じゃねぇぜ。無茶ばかりしやがって」
ふうとため息をつき、アイラに優しく微笑んだ。
「ロッシュ子爵家の皆さんは全員無事です。あなたの家も燃えていなかった。アイラ嬢の無事も伝えてあります」
「そう……ですか。ありがとうございます」
「しかし、街の一部は酷い状況です。オスカーが危険な場所にも先頭に立って指示してくれたおかげで、早く火消しはできましたが……俺はまだすべきことがあるので、現地に戻ります。彼を頼みますね」
「はい」
アイラはオスカーの火傷や傷を消毒して、丁寧に手当てをした。頬や腕も汚れて真っ黒になっているため、何度も水を含ませたハンカチで拭いて綺麗にした。
「早く目を覚ましてくださいませ」
アイラは首からかけているターコイズのネックレスを握りしめ、何度もオスカーの無事を祈った。そしてアイラがオスカーの手に触れると、わずかに反応があった。
「オスカー様、オスカー様っ! わかりますか」
アイラはオスカーを覗き込み、何度も大きな声で名前を呼んだ。すると、オスカーはゆっくりと瞼を開いた。
「ああ、良かった。気がつかれたのですね」
まだぼんやりしているオスカーは、アイラの頬にそっと手を伸ばした。
「……死んだのかと思った」
「そんな縁起でもないこと仰らないでください」
アイラが泣きそうになるので、オスカーはフッと微笑んだ。
「天使が迎えに来たのかと」
「え?」
「起きたら君のとびきり可愛い顔が見えたから、天使かと思ったんだ」
そう言って悪戯っぽく笑ったので、アイラはオスカーの頬をぎゅっとつねった。
「痛てててて……」
「馬鹿」
「よく言われる」
オスカーは胸元をガサガサと触り、何かを取り出した。
「すまないな。せっかく貰ったハンカチをボロボロにしちまった」
渡した時は白かったハンカチは黒くなっており、一部は焦げてしまっていた。
「そんなのいいんです。エイベル様にお聞きしました。オスカー様が危険な中、消火活動をしてくださったと。ありがとうございました」
「そんなこと当たり前だ。これからが大変だが、俺も手助けするから気を落とすな」
「はい」
アイラが献身的にお世話をした結果、オスカーは二日後には普通に動けるまでになった。
「もう動いてんのか? お前はやっぱり化け物だな」
「それ褒めてるのか?」
「一応褒めてる」
見舞いに来たエイベルは、その驚異の回復力に驚いていた。
「まあ好きな女に看病されたら元気にもなるわな」
エイベルはオスカーの肩を組み、チラリとアイラを見た。
「……否定はできん」
「はは、素直だな。これから一緒にロッシュ領に行くのか?」
「ああ。アイラをロッシュ子爵の元に帰してやらないと行けないからな」
その発言を聞いたエイベルはニヤリと意地悪く笑った。
「お前は怪我してるから、俺が馬の後ろに乗せて送るよ」
「そんなの駄目に決まってるだろ! こんな怪我大したことない。俺が送る」
ムスッと不機嫌になったオスカーを見て、エイベルはゲラゲラと笑った。
「ムキになってやんの」
「当たり前だろ。アイラは俺の特別だ」
真剣な顔でそう言ったオスカーを見て、エイベルは揶揄うのをやめた。
「……だな。そういえば、火事の現場で不審な点があった。やはりあれは放火だな」
「やはりそうか。火の広がりが早いから、おかしいと思っていた」
「ああ。一番燃えてるところを調べたら、かなりきつい油の匂いがした。不審な人間を見たという目撃情報もある」
オスカーは歯を食いしばり、ギリギリと強く拳を握りしめた。
「許せない。必ず犯人を捕まえてやる」
「ああ」
「アイラには詳細がわかってから話す。不安になるだろうから」
「わかった」
オスカーは自分の馬にアイラを乗せて、ロッシュ子爵家まで送った。馬に乗るのに慣れていないアイラをオスカーが後ろから支えている姿は、周りから見たらどう見ても仲睦まじい恋人同士のようだった。
「ありがとうございました。本当に助かりました」
アイラが家に着くと両親や弟、使用人達も涙を流しながら喜んだ。
「アイラ、無事で良かった」
「お姉様、お帰りなさい」
「お嬢様……お一人でよく頑張られましたね」
久しぶりの再会の様子を見たオスカーは、そっとその場を去った。
♢♢♢
「……アイラに縁談が来ている」
あの火災が起きた数日後、アイラは朝早くから父親に呼び出されていた。その暗く青ざめた表情を見て、アイラは決していい話ではないだろうと聞く前からわかっていた。
「そうですか。どなたからでしょう」
アイラは取り乱さないように、なるべく冷静に声を出した。
「アンブロス公爵家のファビアン様だ。アイラが嫁いでくれるのであれば、結婚の持参金も不要で……今回の火災の借金も肩代わりすると」
苦しそうな声で、アイラの父はそう説明した。あの火災でロッシュ領は大打撃を受けた。オスカーたち騎士団の早い活躍のおかげで幸いにも死者は出なかったが、家や店を失った者は多かったので子爵家の私財から援助をしていた。収穫間近だった田畑も多くが燃えてしまったので、今年の税収もかなり減る見込みだ。そのため、一時的に借金をするしかなかった。
「それは、破格の条件ですわね」
この最悪の状況で、公爵家が手を差し伸べてくれるのは有り難いとしか言いようがない。
「ああ。だが……いや、アイラ。この話は忘れてくれ。私が悪かった」
「お父様」
「娘を売るような真似はしたくない。借金は私が何とかする」
アイラの父は、娘に一度も政略結婚をしろと言ったことはなかった。貴族令嬢は皆、親から『家の発展のためによりよい相手を探せ』と幼い頃から教え込まれるのが普通だというのに。
その父親が婚約の話をしてきたということは、ロッシュ領がかなり悪い状況なのだとわかった。
「私、ファビアン様との結婚お受け致します」
オスカーの笑顔がアイラの頭の中に浮かんだが、慌ててかき消した。
「だめだ。アイラには、もう心に決めた人がいるだろう? オスカー様はとても素晴らしい方だ。アイラを愛してくれているし、火災の時は危険な場所に先頭になって入って領民たちを助けてくださっていた。感謝しかないよ」
「ええ、本当に……彼は素敵な方だわ」
「アイラは素直になって、彼と幸せになるべきだよ。だから、この話は無しだ。朝から呼び出して悪かったね」
「お父様、お待ちください」
話を終わらせようとした父親を、アイラは止めた。
「我が身一つでこのロッシュ領を救えるのであれば、私は喜んで結婚します」
「……だめだ」
「領民を守るのが、私たちの責任でしょう? 私は、貴族として恩恵を充分受けて来ました。大変な時には返さねばいけません」
アイラは苦しい気持ちを必死に隠して、淡々とそう告げ、嫁ぐ覚悟を決めた。
「ファビアン様と結婚させていただきます」
政略結婚なんてよくある話だ。それに、アイラはまだ幸せ者だ。相手のファビアンはアイラより家格も上だし、見目麗しく優秀な男性なのだから。
しかも、アイラの見た目以外も好きだと言ってくれている稀有な人物だ。アイラは自分は幸運なのだと、何度も必死にそう言い聞かせた。
無理にそう思わないと、心がバラバラに砕け散ってしまいそうだった。
もうオスカーに自分の気持ちを伝えることができないのだと思うと、アイラはそれだけが心残りだった。
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