上 下
2 / 23

2 離れていく距離

しおりを挟む
「ティーナ、今度街に出かけないか」
「……すみません、疲れているので」
「そうか。ではまた今度にしよう」

「ティーナ、美味しいお菓子があるんだ。お茶にしないか」
「……すみません、今日は家の用事がありまして」
「そうか。ではまた今度にしよう」

 あのクラレンスとの会話を聞いてから、マルティナはハビエルを避けた。誘いを断ると、一瞬ではあるがハビエルが哀しそうな顔をするので胸がズキリと痛んだ。

 でもハビエルを自分から解放してあげるためだと自分に言い聞かせて、マルティナは心を鬼にして徹底的に避け続けた。

「ティーナ……私は君に嫌われるようなことを何かしてしまっただろうか?」
「え?」
「最近、君と話す時間がないから」
「いえ、王妃教育が立て込んでいて忙しいだけです。すみません」

 マルティナはどうしても『嫌いだ』という嘘をつくことはできなかった。だって、今も胸が締め付けられる程ハビエルのことが大好きなのだから。

 ――このまま結婚したらいいのに。

 ――政略結婚ってそういうものでしょう?

 ハビエルのことが好きならば何も知らないふりをして、そのまま結婚したらいいとマルティナの心の中の悪魔が囁いてくる。

 王妃になれば、生家に恩返しもできる。魔力の少ないマルティナを両親も、兄姉もとても可愛がってくれたしきちんとした教育も受けさせてくれた。

 貴族令嬢に生まれた以上、生家のために有益な家に嫁ぐことが当たり前だ。だから、この結婚は『正しい』のだ。

 そうして何度も言い訳を繰り返したが、やはりマルティナは自分の心に嘘はつけなかった。

「やっぱりハビエル殿下は好きな人と結ばれるべきだわ」

 マルティナはそのために、いろいろ準備をした。若い御令息方から人気のある御令嬢を調べ、その中からハビエル殿下の好みを思い出し選別を繰り返した。

「この方とこの方は……殿下のお好みに近いわね」

 マルティナはハビエルにハニートラップをかけることを決めていた。しかしハビエルは頭がいいし、王家の人間らしく疑り深い面も持っているので簡単には引っかからないだろう。

 焦らずにゆっくりと関係を深めないと、決定的な浮気の証拠は掴めない。

 マルティナはあくまで秘密裏に、婚約破棄をしたかった。愛しているハビエルに不利な状況にはなってほしくないからだ。

 マルティナは、ハビエルの婚約者としては評判が悪い。なのでハビエルの浮気で婚約破棄をしたとしても、マルティナが不甲斐ないせいだと言われることはわかっていた。

 そして、それでいいと覚悟を決めていた。生家には迷惑をかけるだろうが、ペドロサ公爵家の権力はそんなことでは落ちないだろう。結婚すれば、さらに力が増すというだけだ。

「マルティナ、元気がないな」
「お兄様……そんなことはありませんわ」

 思い悩んでいるマルティナを心配して、兄のフィリップは声をかけた。

「殿下が嘆いていた。最近、マルティナとゆっくり逢えないと」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。最近、忙しくて」
「もし、結婚のことで悩んでいるなら……私から父上に話してやろうか?」

 フィリップは婚約発表をしてから、マルティナが嫌がらせを受けていることを知っていた。もちろん皆も馬鹿ではないので、フィリップがいる場所では悪口は言ってこない。公爵家を表立って敵に回す勇気はないからだ。

 だが、口さがない連中がいることには気が付ついていた。

「ありがとうございます。でも大丈夫です」
「何も無理に結婚することはない。ペドロサ公爵家は政略結婚せねば立ち行かなくなる程、落ちぶれていないからな」

 フィリップは、マルティナの頭をそっと撫でた。

「はい」
「それに殿下も殿下だ……! マルティナを守れぬようなら夫になる資格はない」
「いいえ。殿下はいつも私を庇ってくださいます」

 怒りの声をあげたフィリップを、マルティナは制した。

「……なら、よいが。何かあればすぐに相談するんだぞ。マルティナは私の大事な妹なのだから」
「はい、お兄様」
「マルティナは、他人のためにいつも自分のことを後回しにするだろう? それは美徳だが、我儘になってもよいのだ」
「ありがとうございます」

 マルティナは、公爵家の領地内ではとても有名な御令嬢だった。マルティナはペドロサ領の特産物であるオレンジを使って、精油を作っていた。

 彼女が発案したものは精度が良く爽やかないい香りであるため、若い御令嬢方にとても人気でオレンジの精油はヘアオイルや入浴剤として大ヒットの商品であった。

 マルティナはその製造には、貧困層の領民も雇用することにした。もちろん周囲から反対はあったが、マルティナは決行した。事前に教育を受けさせ、面談をして『真面目に働く意思のある者』のみ雇った。

 働くことを条件に住む場所を与え、働いた分きちんと賃金を支払った。領民の識字率が上がり、犯罪率も下がった。

 マルティナがこの事業を続けたことで、ペドロサ公爵領はこの国一治安の良い街だと言われている。マルティナは魔力は少ないが、そういう才能があったのである。

 幼い頃こそお転婆だったマルティナだが、物心つくころには公爵令嬢として領民たちにできることを一番に考え生きてきた。

 フィリップはそんな妹に、どうか幸せになって欲しいと願っていた。


 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

騎士団長の欲望に今日も犯される

シェルビビ
恋愛
 ロレッタは小さい時から前世の記憶がある。元々伯爵令嬢だったが両親が投資話で大失敗し、没落してしまったため今は平民。前世の知識を使ってお金持ちになった結果、一家離散してしまったため前世の知識を使うことをしないと決意した。  就職先は騎士団内の治癒師でいい環境だったが、ルキウスが男に襲われそうになっている時に助けた結果纏わりつかれてうんざりする日々。  ある日、お地蔵様にお願いをした結果ルキウスが全裸に見えてしまった。  しかし、二日目にルキウスが分身して周囲から見えない分身にエッチな事をされる日々が始まった。  無視すればいつかは収まると思っていたが、分身は見えていないと分かると行動が大胆になっていく。  文章を付け足しています。すいません

【完結】私は義兄に嫌われている

春野オカリナ
恋愛
 私が5才の時に彼はやって来た。  十歳の義兄、アーネストはクラウディア公爵家の跡継ぎになるべく引き取られた子供。  黒曜石の髪にルビーの瞳の強力な魔力持ちの麗しい男の子。  でも、両親の前では猫を被っていて私の事は「出来損ないの公爵令嬢」と馬鹿にする。  意地悪ばかりする義兄に私は嫌われている。

睡姦しまくって無意識のうちに落とすお話

下菊みこと
恋愛
ヤンデレな若旦那様を振ったら、睡姦されて落とされたお話。 安定のヤンデレですがヤンデレ要素は薄いかも。 ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。

【完結】【R18】伯爵夫人の務めだと、甘い夜に堕とされています。

水樹風
恋愛
 とある事情から、近衛騎士団々長レイナート・ワーリン伯爵の後妻となったエルシャ。  十六歳年上の彼とは形だけの夫婦のはずだった。それでも『家族』として大切にしてもらい、伯爵家の女主人として役目を果たしていた彼女。  だが結婚三年目。ワーリン伯爵家を揺るがす事件が起こる。そして……。  白い結婚をしたはずのエルシャは、伯爵夫人として一番大事な役目を果たさなければならなくなったのだ。 「エルシャ、いいかい?」 「はい、レイ様……」  それは堪らなく、甘い夜──。 * 世界観はあくまで創作です。 * 全12話

【R18】悪役令嬢を犯して罪を償わせ性奴隷にしたが、それは冤罪でヒロインが黒幕なので犯して改心させることにした。

白濁壺
恋愛
悪役令嬢であるベラロルカの数々の悪行の罪を償わせようとロミリオは単身公爵家にむかう。警備の目を潜り抜け、寝室に入ったロミリオはベラロルカを犯すが……。

【R18】殿下!そこは舐めてイイところじゃありません! 〜悪役令嬢に転生したけど元潔癖症の王子に溺愛されてます〜

茅野ガク
恋愛
予想外に起きたイベントでなんとか王太子を救おうとしたら、彼に執着されることになった悪役令嬢の話。 ☆他サイトにも投稿しています

【R18】寡黙で不愛想な婚約者の心の声はケダモノ

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
 物静かな第一王女メイベルの婚約者は、初恋の幼馴染、寡黙で眉目秀麗、異例の出世を遂げた近衛騎士団長ギアス。  メイベルは、ギアスに言い寄る色んな女性達から牽制をかけられる日々に、ややうんざりしつつも、結婚するのは自分だからと我慢していた。  けれども、ある時、ギアスが他の令嬢と談笑する姿を目撃する。しかも、彼が落とした書類には「婚約破棄するには」と書かれており、どうやら自分との婚約パーティの際に婚約破棄宣言してこようとしていることに気付いてしまう。  ギアスはいやいや自分と結婚する気だったのだと悟ったメイベルは、ギアスを自由にしようと決意して「婚約解消したい」と告げに向かうと、ギアスの態度が豹変して――? ※ムーンライトノベルズで23000字数で完結の作品 ※R18に※ ※中身があまりにもフリーダムなので、心の広い人向け ※最後は少しだけシリアス ※ムーンライトノベルズのヒストリカルな「心の声」に加えてアルファポリス様ではファンタジーな「心の声」描写を3000字数加筆しております♪違いをぜひお楽しみください♪

腹黒王子は、食べ頃を待っている

月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。

処理中です...