コーヒーゼリー

谷内 朋

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再生編

ー30ー

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 信州から戻ってきて数日が経ち、休暇後最初の休みであるこの日、中林は畠中の自宅を訪ねていた。先日土産として購入したアップルパイを渡してそのままおいとまするつもりでいたのだが、なぜかお茶を出してもてなされ、持参したパイを頂いている。
 「俺すぐに帰るつもりだったんだけど……」
 「別に良いじゃねぇか、どうせ暇なんだろ?」
 「勝手に人の都合を決め付けんな」
 中林は気に入らなさそうにしながらもゆっくりとコーヒーをすする。この後弟が来るんだよ。その言葉を聞いた中林はカップに口を付けた状態で顔を上げる。
 「じゃ俺尚の事帰った方が良くないか?」
 「だから別に良い、っつってんだろ。お前の方が先約なんだし、同級生だ、って話したら会いたがられちまって」
 「それならそれで先に言え」
 中林は波那ばりにゆっくりとパイを食べ、畠中は既に完食して同級生をじっと見つめていた。
 「?何見てんだよ?」
 「いや。変わってねぇな、と思って」
 「何がだよ?」
 「ちまちましたその食い方だよ。あん時の食事のせいだと思うけど、お前行儀良い割に美味そうに食わないんだよ」
 そうかもな……。中林はそう答えてからフォークでパイを小さくカットして口の中に入れる。すると玄関のチャイムが鳴り、畠中は立ち上がってモニターも見ずに直接玄関に向かう。
 多分さっき話してた弟さんだろうな……。中林はなるべく早く帰ろうと少しペースを上げてパイを食べていると、小学生くらいの男の子の声で、おじゃまします。と聞こえてきた。
 「お兄ちゃん、今日は算数教えてね」
 その声が段々大きくなってきて、ふくよかで大柄な男の子がリビングに入ってきた。あぁ。畠中は当時から年少の子達にしか見せない優しい表情で頷いていた。男の子はダイニングテーブルに居る中林に気付き、こんにちは。と挨拶をする。
 「こんにちは」
 中林もきちんと挨拶をしようと立ち上がると、お兄ちゃんより大きい。と羨望の眼差しを向けた。
 「初めまして、中林悠麻です」
 「畠中伽月ハタナカカツキって言います」
 中林も子供には慣れているため、伽月と言う名の男の子に優しい視線を向けていて、挨拶の印として大きな手を差し出した。彼は物怖じしない子の様で、ためらい無く手を握り返してくる。
 「今日は兄に算数を教わりに来たんです」
 「そっか」
 そう言えば毛利が教員免許持ってる、とか言ってたな……。そんな事を考えていると、畠中と高校生くらいの男の子が一緒にリビングに入ってくる。こっちの彼は上背こそ無いがガッチリした体型で、顔は彼の方が畠中に似ていた。
 「紹介するわ、弟の泰地タイチと伽月。泰地は高三で伽月は小四」
 「伽月君とはさっき話したんだ。初めまして、中林悠麻です」
 「畠中泰地です、兄がお世話になっています」
 兄と違って礼儀正しい振る舞いをする彼に、いえ。と中林の方が思わず恐縮してしまう。
 「……喋り方が似てなくて良かったよ」
 え?泰地は中林の独り言に反応する。
 「いや、こっちの話。弟って二人居たんだな」
 キッチンに入って二人の弟のお茶を準備している畠中の背中に声を掛けると、あぁ、と言いながらアップルパイを切っている。その包丁さばきが何とも危なっかしくて見ていられなくなった中林は、手を貸そうとキッチンに近付く。
 「貸せ、湯沸いてるぞ」 
 中林はコンロのヤカンを指差し、畠中をそちらに気を向かわせた隙に包丁を手に取って手際良くパイを切り分ける。畠中は沸いた湯でホットティーを二人分淹れており、泰地と伽月もダイニングに来て四人仲良くテーブルを囲む。
 「取り敢えず聞いても良いか?泰地君と伽月君の事」
 中林は残っていたアップルパイを食べ切ってから畠中を見る。
 「あぁ、俺が親父と別々に暮らしてた事情は知ってるよな。その後六年前に一度だけ会ってるんだ。その時に二人の事を聞かされたのと、曾祖父の形見だってコレを渡されたんだ」
 畠中はこのところ家の中でも携帯する様になっている懐中時計をテーブルの上に置く。骨董品レベルのそれに中林は興味を示し、動くのか?と尋ねた。畠中が首を横に振ると、後で修理してくれる骨董時計店を教えてやる、と言った。
 「悪い、話の腰折って。見た感じ明治時代の物っぽかったからつい興味湧いちまった……。で、会うようになったのはその時期からか?」
 中林の問いに畠中は首を振った。
 「もっと後になってからだよ、実際にこうして会うようになったのも親父が死んで九月末頃からなんだ」
 畠中は弟たちと交流を持つようになって父への憎しみを少しずつ浄化させていた。六年がかりでようやく父の願いが叶い、心のどこかで息子である自分の身を案じてくれていたのだろうと今ならそう思える。
 「父さん俺が高校上がった頃から体調が悪くなって、兄さんにしてきた事をポツポツ話すようになったんです。今はそれが解るから、時間が掛かったのも無理はないと思います」
 泰地は中林に説明してからホットティーを飲んだ。小学生の伽月には少々難しい話の様で、彼は我関せずで嬉しそうにアップルパイを食べていた。
 「ごちそうさまでした。先にあっち行ってるね」
 「もう食ったのか?胃に負担掛かるぞ」
 「力士はお肉が要るんだよ」
 伽月は兄の言葉を軽くあしらうとリビングに入って宿題の準備を始めている。
 「早食いなのは星哉そっくりだよ、兄弟ってのはどこかしら似るもんなんだな」
 そうかもな。畠中はテーブルに向かって宿題に取り組む末弟の背中を見る。
 「俺には家庭ってどういったもんなのかがいまいちピンと来なくてさ、何をどうして良いのか戸惑う事があるんだ」
 「だったら二人に直接聞けば良い、お前よりはよく分かってるからさ」
 え?畠中は隣に居る泰地を見る。彼もこちらを見ていて、中林の言葉を肯定するかの様に微笑みを見せて頷いた。
 「お兄ちゃあん、算数教えてよぉ」
 「他の宿題先にやってな」
 「それなら家で済ませてきちゃったよ。ねぇねぇ早くぅ」
 「分かった、洗い物済ませたら行くよ」
 畠中は立ち上がって使用した食器を流し台に置いて洗おうとしたが、泰地に止められてリビングに行くよう促される。頼むわ。洗い物を弟に託した畠中は、伽月の待つリビングへ行き早速勉強を教えている。
 「ああいったところはまんまだな。あいつ子供には優しいんだ」
 「えぇ、でも初めて会った時は俺に触れるな位の勢いがあってちょっと怖かったんです。父の危篤を報せた時もほぼ門前払いでしたし」
 「その意地の張り方も変わってないな。ただ一旦受け入れた相手はとことん信用するんだ、その入口は針穴よりも小さいけどな」
 中林の言葉に泰地は不安そうな表情を見せる。
 「俺針穴を通れてるでしょうか?」
 「大丈夫だよ、ここに居る事が何よりの証拠だから」
 その不安を払拭させるかの様に優しい声でそう言った。

 秋もすっかり深まったある日曜日の午後、麗未は酒造メーカーで働いている正木から新商品の利き酒イベントに招待される。これまでは交際していた恋人の手前一応遠慮していたのだが、それも無くなって酒が飲める♪とばかり嬉しそうに会場に向かう。
 「れ、麗未さん……?」
 正木はまさか本当に来てくれると思っていなかった様で少々緊張気味にしている。一方の麗未も、普段無駄にでかくぬぼ??っとしている彼しか知らないので、会場の入り口でぱりっとした上等なスーツを身に着けての登場に困惑してしまう。
 「本日はご来場頂き誠にありがとうございます」
 コイツ仕事ではこんな顔してんの?仕事用の表情で挨拶をしてくる冴えない友人の顔を見上げ、背も高いしちょっと格好良いじゃない……。と変な緊張をしていた。
 「ぬぼすけぇ、痒いから普通にしててくれ??」
 「え?そんなに変でしょうか?」
 「いや、そうじゃないんだけど。見慣れなくて違和感アリアリでさぁ」
 麗未は思わず苦笑いし、正木もつられて笑い出す。ひとまず二人は会場の中に入って正木の案内を頼りに会場内の見学を始める。
 「あら、今年は可愛い彼女連れてるのね」
 「同級生の幼馴染みなんです、今回初めていらしたので」
 時折正木は顧客から声を掛けられたりしており、お金持ちの御婦人たちにそこそこ人気がある様だった。しかし初めて来た麗未から離れず、新酒の説明をしたり利き酒に付き合っている。
 「少しは接客してきた方が良いんじゃないの?」
 「大丈夫です、ご常連の方ばかりですので。勝手は分かっておられますし、入社一年目の男性社員目当ての方も多いので」
 今年は彼なんです。正木は御婦人たちに群がられている若い男性社員を麗未に見せる。彼は小柄ながらも端整な顔立ちをしている男の子で、彼女たちを相手に一生懸命接客をこなしていた。
 「毎年ルックス重視の男の子採用すんの?」
 「そういう訳でもないみたいです。確かに今年の彼は期待されていますが、八年前は不肖ながら……」
 正木はそう言って照れ臭そうに頭を掻く。
 「えっ!?あんただったの?」
 「はい……。その年は男が二人しか居なかったもので、身長だけで選ばれてしまいました」
 仕方無しです。と苦笑いする正木を麗未がからかい始める。
 「ひょっとして不人気だったとか?」
 「えぇ、多分。ただ身長は散々いじられましたので案外早く覚えて頂けました」
 「会場の真ん中でぬぼ??っと突っ立って目立ってただけなんでしょ?」
 「そんな事無いですよ、新人って意外と忙しいんですから」
 二人は和やかな雰囲気でイベントを楽しんでいた。身長百九十一センチの正木に対し、麗未も百七十三センチと波那よりも身長が高く、二人は会場内でそこそこ目立っている。
 そしてひとしきり楽しんだ後、例の新人君から招待客用の贈答品として小さなサイズの新酒を手渡された。麗未は試飲でそれを気に入っていたので、タダで貰えた。とホクホク顔だ。
 「実は私からも……」
 新人君と話している間に席を外していた正木が、細長い紙袋を持って戻ってきた。
 「えっ?ひょっとしてお酒?」
 「はい。手前味噌で恐縮なのですが、今年は特に出来が良かったので是非飲んで頂きたくて」
 看板商品の限定バージョンです。麗未は思わぬプレゼントに心の中で感激してしまう。
 「……ありがとう、大事に飲ませて頂くね」
 彼女は少し照れ臭そうにそれを受け取って正木に礼を言う。普段そんな事があろうものなら顔を赤面させて何も言えなくなるところだが、この時は仕事中という緊張感も手伝って穏やかな笑顔を向けていた。
 「きっと気に入って頂けると思います」
 麗未は大事そうに抱えて会場を後にする。帰宅後それだけは誰にも見せず、一人コッソリと部屋の中で晩酌用にちびちびと大切に堪能したのだった。
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