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算用と現状

その三

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 『照ん姿が見当たらんべ』
 なつみから連絡を受けた塚原は仕事を放り出して自宅に戻る。留守を引き受けていた元妻は狼狽しきっており、何を聞いても曖昧な返答しかしない。
「こういったことは前にもあっただろ、留守を任せた意味が無いじゃないか!」
 彼女は過去にもこういった失態を犯しており、言い争いも続いていたところなので普段以上に物言いがキツくなる。
「したってあったら調子悪そうにしてたからさ、まさか出て行くなんて……」
「多分そんなに遠くには行ってないさ。これまでは無かったけど最近は物騒になってるから、一時間して見つからなかったら捜索届出す」
「そったら縁起でもないこと……」
「そんな調子でアメリカへ連れて行く気か? あっちは銃社会なんだ、何かの間違いで射殺されることだってあり得るんだぞ」
 塚原はそう言い捨てて自宅を飛び出した。まだ六歳である息子の行動範囲は限られているので、効率は良くないが片っ端から照の行きそうな場所を探し回る。思い当たる場所をいくつか巡っているうちに照の話し声がかすかに聞こえてきた。
「照?」
 彼は足を止めて耳を澄ます。今彼が立っている場所には低木樹が植えられており、それが塀の役割を果たして視界を遮っていた。照の声はその向こうから聞こえててきて、誰かと話をしている様子だった。
 塚原は息子の声を頼りに低木樹に沿ってゆっくりと歩く。彼が歩みを進めるごとに声は小さくなっていくが、低木樹に囲われた中にいるのは間違いないと入口を探す。話している相手が善人であればと願い歩く速度を早めると、見覚えのある公園の入口に繋がっていたので早速中に入った。
 照は見知らぬ老人男性と楽しそうに会話しており、とにかく息子の無事が確認できたことに安堵した。今は元気にしている照も体調は万全といえず、楽しんでいるところに水を指すのも気が引けたが一刻も早く連れて帰った方がいいかとベンチに歩みを進めた。
「照っ」
「パパっ!」
 父の呼びかけに照はぱっと顔をほころばせた。彼はベンチからぴょんと飛び降りてしっかりと着地し、体は大丈夫だとアピールしてみせる。体調が良い時でも滅多にしない動きに塚原は慌てて駆け寄り、小さな体をしっかりと抱き止めた。
「ったく心配かけて」
「ごめんなさい」
 塚原は照と同じベンチに座っていた男性に頭を下げた。
「お騒がせして申し訳ありません、息子の話し相手になって頂いていたようで」
「なんもなんも、ただワシが善人とは限らへんぞ」
 彼はいたずらっぽく笑いながら塚原を見た。
「であればとっくに連れ去ってるでしょう?」
「喜寿過ぎとるジジイにそったら元気無いわ」
「どうでしょうかね? 鍛えてらっしゃるようにお見受けしますが。あなたであればこの子の一人くらい軽々と……」
「ハハハ、ワシにも孫がおりますさかい、鍛えられてはおりますわ」
 老人は高笑いして頭に手をやった。塚原と照は揃ってありがとうございましたと言った。
「あなたが付いてくださっていたお陰で何事も無く済みました」
「なんもなんも。おっ、そろそろ孫迎えに行かなあかんかった。したっけな」
 彼は照れ臭そうにしながらそそくさと公園を出て行った。二人はその背中を見送っていたが、塚原は思い出したようにしまった! と言った。
「なした?」
「名前伺うの忘れてた」
「カナマリさんってこいてたべ」
「字……まで分かんないか」
 照は父を見上げて首を横に振った。

 息子も無事に見つかり、二人仲良く自宅に戻ると、元妻は照の専属医にお説教を受けていた。
「したからアンタには親権の資格が無えこいてんだ」
「……」
 なつみはカーペットの上で正座させられ、専属医は怒りに満ちた表情で仁王立ちしている。
「これで何度目だ? 全部アンタの不注意でないかい」
「すみません」
「私に謝ってもしゃあないべ、あと十分で連絡無かったら捜索届出すべよ」
「はい」
「ただいま戻りました」
 塚原は二人の話に割って入るように声を掛けた。専属医の方が先に気付き、父と手を繋いで上機嫌の照のそばに駆け寄った。
「照君っ! 無事で良かったべ」
「うん、ぼく平気だべ」
「親切なご老人が話し相手になってくださったお陰で無事でした」
 専属医はふっと緊張感が抜けて照の前でへたり込んだ。
「良かったベー、あと十分ほどで捜索届を出ささろうかと思ってたのさ。孝さん、お疲れしたからお茶くらいお淹れすんべ」
「いえ仕事に戻ります。たんまり残ってるんで残業になりそうです」
 再び身だしなみを整え始める塚原を見て、照と専属医は残念そうな表情を浮かべている。
「そうかい。したらさ、先に連絡しささったらは?」
「それもそうですね」
 塚原はソファーに投げ付けた状態のままのケータイを拾い上げ、職場となる市警に連絡を入れる。通話に出た部下に仕事に戻ると伝えたが、上司である渡部の命令により早退扱いで照との時間を大切にしろと電話を切られてしまった。
「……」
「なした? パパ」
「うん。今日はお仕事に戻らなくてよくなったんだ」
「したらおうちにおらさるんかい?」
 照は父を見上げて笑顔になった。
「したから今日は照の好きなもん作っちゃる、何まくらいたい?」
「ハンバーグ!」
 照は父の作る魚肉ハンバーグが大好物であった。アレルギーのため精肉が食べられず、いわし肉を細かくたたいて合挽きミンチの代用にしている。
「ハンバーグなんか食わしてんのかい? ちゃんと体のこと考えてけれ」
「アンタは黙っててけれ、魚肉だべ」
 専属医はなつみの不始末にまだ腹を立てており、自然と口調も厳しくなる。この一年の間に照は自ら手伝いもするようになり、自身と過ごしていた頃よりも元気にたくましく成長していた。その後ろ姿が眩しく見えた彼女は自身の入る余地が無いことを悟り、単身で渡米することを決める。
 翌朝最後に照の意思を確認すると、数日後荷物をまとめて札幌に戻っていった。それから渡米するまでの間に親権を塚原に譲渡する形で話がまとまり、照の苗字も“塚原”に変更された。
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