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便り

その一

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 『離れ』を出て一人暮らしを始めた川瀬は、早朝と夕方の二部構成シフトと『DAIGO』のアルバイトという二重生活を始めていた。生活のため『DAIGO』のシフトを最大限増やしているので、夜勤を含めた他のシフトに入れなくなった結果他の社員たちへの負担が大きくなっている。
「あ~オレも夜勤やりたいよぉ」
 満年齢ではまだ十七歳の義藤は、法律上誕生日を迎えるまで夜勤はできない。掛け持ちアルバイトをしていない堀江と|《カケハシ》悌で補填をしているが、それでもかなりギリギリのやりくりのため二人だけでは限界に近付いていた。
「仁さん、ボクもう少しシフト増やせますよ」
 根田が二人の負担を少しでも軽くしようとそう申し出る。
「気持ちは嬉しいけど、鵜飼さんとこ大丈夫なん?」
「ハイ。『本当に忙しい時だけ手伝ってくれたらいい』って仰ってくださってます」
「俺も月末でバイトの契約切れるんだよ、その後であればシフト増やせるぞ」
 小野坂も似たようなことを言い、『オクトゴーヌ』を優先させる考えを見せている。義藤も働く気満々でシフトが増えることを喜んでおり、今のところ川瀬を除き増員そのものは良い方向に舵取りはできていると言えた。
 長雨の時期も過ぎ、北海道では花盛りの美しい季節へと移り変わる。八月頃まではいくつかの大きな祭りも控えており、宿泊客の増加、商店街主催のイベント準備への参加など目まぐるし日々がいよいよ幕を開ける。

 六月も中旬に入ると一転して晴れの日が多くなる。この日も朝からぐんぐんと気温が上がり、午前七時の時点で既に二十五度を超えていた。そんな中義藤は鼻唄を歌いながら外の掃き掃除をしており、『アウローラ』開店前のうちに客が通る中央部分の清掃を済ませておく。
「おはようございまぁす」
 彼は開店待ちをする『アウローラ』の顧客相手に元気よく挨拶をする。朝からそのテンションかよと無視をする客もいるが、返してくれる客もいるのでクレームに繋がらない程度の挨拶活動を続けている。
「荘、この辺終わってるか?」
 この日は変則的な夜勤をしている小野坂がほうきを片手に事務所から出てきた。
「はいっ、終わってるです」
 義藤の敬語は相変わらず多少おかしいのだが、それでも最初の頃に比べるとかなり改善されてきた。
「ならそっちから裏口まで頼む。俺はこっち側掃除するから」
「はいっ」
 二人は協力しあって普段の半分以下の時間で掃き掃除を済ませると、『アウローラ』の開店時刻となって行列が動き始めた。
「いらっしゃいませ、お決まりのお客様から承ります」
 売り場スペースが手狭であるため、ここではケーキ屋で使用されているショーケースを置いて商品を陳列している。顧客から注文を聞き、接客担当の雪路と北村が取り分けて会計をするので二人は狭い空間の中縦横無尽に動き回っている。
 そんな中、紬の生地で作られた藍色のアロハシャツに破れたデニムパンツ姿の男性がふらりと現れる。日除けのためなのかテンガロン型の麦わら帽子を被っており、サラリーマン、OL、学生の多い中ではかなり浮いていた。
「結構混ろーんやー」
 彼は列の最後尾に並び、順番待ちの間手紙を読んでいた。彼の周りだけは時間の流れ方が違う、そう感じさせるほどゆったりとした雰囲気をまとわせていた。

 宿泊客用の朝食業務を終えた川瀬は、この日も『DAIGO』へと向かう。一人暮らしを始めたことで更に収入が必要になったことをオーナーの大悟に伝えると、キッチンスタッフは余剰としながらも事情は汲み取って出勤日数は増やせることになった。
『あくまで『オクトゴーヌ』優先ってこと忘れさらんでけれ』
 そう釘は刺されているが、それでも今の彼にとっては『DAIGO』の方がまだ居心地が良かった。彼らは『オクトゴーヌ』の事情をほとんど知らないので、純粋に一人暮らしを始めたからだと思っている。
 ただ、妊娠が分かった夢子のシフトが少し緩やかなものに変わって出勤日数が少し減っている。定期検診やプレママ教室を優先させているため、ここで会える機会も減ってつまらなさを感じていた。
 それもあって最近は見舞いと称して小野坂家の自宅ハイツをしばしば訪ねており、建前上夫である小野坂の在宅を狙って怪しまれないよう最低限の配慮も心得ている。
 今日は夢子さん出勤してるはず……そんなことを考えながら、事務所で着替えを済ませてから『離れ』を経由して外に出る。『DAIGO』へ行くにはペンション入口から出てしまう方が近いのだが、『アウローラ』の客足を考慮すると避けた方が良さそうに見えた。
 その道すがらで地元では見掛けない格好をした観光客丸出しの男性とすれ違ったのだが、彼は何故かニッと笑いかけて頭に乗せていた帽子を軽く浮かせた。こんな男知らないとそのまま無視したのだが、ありゃ? と声を上げられて内心びくっとする。
 誰? 気にはなったが無視した手前振り返るのが怖くなった。ひょっとしたら逆恨みされて喧嘩を売られるかも知れない……あるのか無いのかも分からない可能性に怯え、一歩でも多く離れようと歩幅を広げ速度を早める。男性は振り返って川瀬の後ろ姿を眺め、手にしていた帽子を再度頭の上に乗せた。
「忘れられとーんやー」
 彼はふっと笑みを見せ、踵を返して目的地へと歩いていった。
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