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再び

その二

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 「これが“最終試験”です。前回は俺の落ち度で曖昧なことをしてしまい申し訳ありませんでした」
 堀江はその場にいる従業員たちに頭を下げた。
「俺は全然構わんぞ、ちょうど小腹空いとったんや」
「今のうちに頂きましょう、お客様いらっしゃいませんから」
 案外平然と了承する面々に安堵したところに、カランカランと入店を報せるベルが鳴る。
「あ~お客様来ちゃいましたぁ」
 残念そうに仕事モードに入る根田を堀江が引き留めた。
「大丈夫やで、俺がお呼び立てした方やから。吾、一人前分頼むわ」
「はい、準備できてます」
 カケハシは盛り付けを済ませたナポリタンを堀江に託す。
「皆さんは残ってる分で試食してください。スナオ君、智君、あと任していい?」
「分かりました」
「あぁ」
 二人は人数分の食器を出して少量ずつのナポリタンを盛り付けていく。川瀬もその場にいるが、夕食の支度中なので敢えて声は掛けない。
「ほら、ちゃんと味見しろよ」
 小野坂は義藤にもナポリタンを手渡してやる。
「おぅよ、任せとけって」
「だから何でそんな自信満々なんだよ?」
 義藤はここでも気合十分でそれを受け取った。
「ボウズ、お前懲りひんなぁ」
「へい旦那、ご無沙汰致して……」
「ねぇ、どうして外部の方がここにいるの?」
 先程まで彼らのやり取りに背を向けていた川瀬がくるっと振り返った。
「あっ、お邪魔してすみません」
 現時点でまだ部外者と言える悌がとっさに頭を下げる。
「君じゃなくてそちらの彼、どちら様ですか?」
「義さん?」
 その冷たい言い草に根田の表情が曇る。一度会っているはずだという思いも込めていたが口には出さなかった。
「あっ……義藤荘っす。この後面接させてもらいますっ」
 義藤は相手の態度をもろともせず元気一杯に挨拶する。その勢いのまま右手を差し出そうとしたが、調理中だからマズイかと手を止めて小野坂を見上げた。
「仁の指示でここに連れてきてんだよ」
「ですよねぇ、ユキちゃんと一緒にいらしてましたもんね」
 根田は隣にいる雪路を見ながら言うと、彼女も肯定を意味して頷いた。
「そう……」
 川瀬は義藤を一瞥するような視線を向けてから再び作業に取り掛かる。その態度で空気がやや重くなる中、根田が軽やかな声でそうだと義藤の方に向き直った。
「ボク根田悌って言います」
「宜しく悌っち」
 二人は友好的に握手を交わす。
「それやめろってお前……」
「いいじゃないですかぁ、呼び方なんて何だって」
 何も気にしていない根田はそう言って笑う。それに気を良くした義藤は、『アウローラ』の従業員たちにも声を掛けていく。
「日高ミツルです」
「宜しく満っち」
 日高は性分こそ大人しいが、あまり細かいことを気にせず誰に対してもフランクに接するタイプである。
「北村実知ミチです」
「宜しくみっちゃん」
「“みっちゃん”したっけ、若返った気分だべ」
 社会人、大学生、高校生の子を持つ母である北村は嬉しそうにしていた。
「宜しくユキちゃん」
「うん、こちらこそ」
 義藤は雪路と握手を交わし、美女二人と握手できたと喜んでいる。場の雰囲気も明るくなっているので小野坂もこれ以上の注意はやめることにした。
「どうぞご贔屓に、旦那」
「俺ヤクザの親分ちゃうぞ」
 嶺山はそう言いながら義藤の右手を握り返した。そんな様子を試験中の悌は一歩引いて眺めていたが、義藤は気にせず彼にも右手を差し出した。
「一緒に採用されようなっ」
「悌吾です、そうなるといいですね」
 二人は共に面接を挑む者同士ガッチリと握手を交わした。ひとしきり挨拶を済ませた一同は、冷めぬうちにとナポリタンの試食を始めた。
「美味ぇ!」
 第一声を発したのは義藤であった。
「どう美味いんだよ?」
小野坂はパスタをフォークに巻き付けながら訊ねる。
「んっとさぁ、老舗洋食店のナポリタンみたいな感じ? とにかく“懐かしい”ってのが真っ先に浮かんだんだ」
「ん、それ分かるべ。祖母ちゃん家でまくらうのんに似てんべ」
 日高は義藤の言葉にうんうんと頷く。
「昭和のナポリタンやねん。義のんとはかなり違うけど、曜日とか限定して出したら売れる思うで」
「ハイ。実家近くのレストランよりも美味しいですよ」
 ナポリタンの評価は概ね上場で、プロの料理人である嶺山と日高の舌をも唸らせていた。
「義、それ終わってからでええから食うてみ」
 嶺山は今尚背中を向けている川瀬に声を掛ける。こういった場で一人背を向ける光景を好まない性分であるのと、好敵手の登場やでと焚きつける思惑も込めていた。
 小野坂はひと通りの意見を聞いてからナポリタンを口に入れた。次の瞬間表情が固まり、定まらぬ視線でもぐもぐと口を動かす。
「智さん、どうされました?」
「ちょっと事務所行ってくる」
 彼は皿とフォークを手にしたまま一人事務所へ入っていった。

 「再三お呼び立てして申し訳ありません」
 堀江はカウンター席に鎮座している旦子の前に悌が作ったナポリタンを置く。幸い他に客はおらず、店内は厨房を除き二人きりの状態だ。
「なんもなんも。『暇な年寄りアゴで使え』だべよ」
「いえそれはどうでしょうか?」
「なんもなんも、その方が若返んだ」
 旦子は頂きますと手を合わせ、一口小ほどを巻き付けたパスタを口に入れた。一回二回と咀嚼した後、ふふっと声を出して目尻を下げる。
「まさかこん味がまくらえるとは思わなんだべ」
 彼女は嬉しそうに二口目をフォークに巻き付けている。
「えっ?」
「ほれ」
 それを堀江の前に差し出してきたので、迷うこと無く口に入れた。中で広がるケチャップ、具材、パスタが奏でる調律を感じて旦子の言葉の意味を知った。
「これって……」
「んだ、衛ん味だべよ」
 旦子は亡弟の面影を感じながらナポリタンを食す。堀江は口の中に広がる思い出の味を堪能していると、厨房内がにわかに騒がしくなる。
『思い出したベーっ!』
「忙しないんが来たべな」
「ちょっと様子見てきます」
 堀江は旦子を一人にして厨房を覗きに行くと、『赤岩青果店』のエプロンを着けたままの村木が乱入していた。
「どないしたん? 何思い出したん?」
「吾のナポリタンだべ! アレ衛さんの味だべ!」
「うん、せやな。ところで智君は?」
「ナポリタンを持ったまま事務所に入られてます」
 根田の返事で小野坂の行動の意を察する。村木は厨房内に漂うナポリタンの薫りに気付き、まだ残ってんのかい? と悌に訊ねた。
「いえもう無いです」
「遅かったかぁ~。ん? それは?」
「義の分や。早よ食わんと固うなるで」
「でももう少し掛かりそうなので……」
「したら礼君けえ。試食こいても口付けんと投げさるんは勿体ね」
 カフェのカウンター席にいた旦子が、空になった皿を持って厨房に入ってきた。
「ん、したら遠慮無く頂きまーす」
 村木は嬉しそうに皿を手に取って早速美味しそうに食べ始めた。旦子の声に反応した川瀬は、作業の手を止めてどうなさったんです? と言った。
「ん? キッチンスタッフの採用で意見が割れたって聞かさったからさ、腕が良ければウチに引き入れさるんもアリかと思ったんだ」
「えっ?」
 『DAIGO』は現時点で求人を出しておらず、川瀬は変な顔をする。
「したからさ、ここで雇えばいいんでないかい? 只でさえ人員不足は否めないしたからさ」
「いえしかし……」
 その必要は無いと食い下がりたかったが、旦子の視線はそれを許さなかった。
「業務にかこつけて人様の作らさった料理を無視すんでね。『オクトゴーヌ』の進退が掛かっとる事態にアンタ何しささってんだ?」
「……」
「これ以上の引き延ばしは時間の無駄だべ、オーナーの権限で仁君アンタが決め」
 堀江はその言葉に押され、怪訝な表情をしている川瀬を見ること無く悌の前に立つ。衛氏の味を出せる彼に『オクトゴーヌ』の未来を賭けてみたい、ナポリタンで全てが決まった。
「悌さん、ここの社員として採用を認めます。俺らに力を貸してください」
 堀江はすっと右手を差し出した。悌は両手でぎゅっと握り返し、宜しくお願いしますと頭を下げた。
「やったな♪」
 村木はナポリタンを頬張りながら嬉しそうにしている.『アウローラ』の従業員たちも悌を労い、根田も宜しくお願いしますと握手を交わしていた。
「やったねボス、よーしオレも続くぞーっ!」
 自身の面接はこれからだというのに、悌の採用が決まって我がごとのように喜んでいる。
「いや誰がボスなん……?」
 勝手にボス呼ばわりをされた悌は、おおよそボスに似つかわしくない呆けた表情を見せている。
「さっ、次は君やな義藤君。吾、洗い物は『離れ』のキッチン使うてくれる? 今からここ忙しなるから。それと契約書用意しとくから終わったら声掛けて」
「分かりました」
 彼は手際良く食器たちをまとめていく。
「日高、手伝うたれ」
「へい、旦那」
「お前も言うんかいな?」
 嶺山は悪ふざけする部下を軽く小突いた。
「あいたっ! すいません店長」
「終わったら北村さんと片付け頼むわ、北村さん、留守お願いします。ユキ、そろそろ病院行くぞ」
「「行ってらっしゃい」」
 調理の営業を既に終えている『アウローラ』は、接客販売のみで乗り切れる状態になっている。嶺山は雪路を連れて外へ、北村は店に出て番をする。日高は悌と共に食器をまとめていると、小野坂がようやっと事務所から姿を見せた。
「ナポリタン美味かったよ、ごちそうさま」
 小野坂は皿とフォークを悌に渡す。
「えっと小野坂さん、今後宜しくお願いします」
「智でいいよ、こちらこそ宜しくな」
 そう言って新入社員に右手を差し出した。悌は両手で握り返し、深々と頭を下げた。
「智君、こっちお願いできない?」
「うん、分かった」
 川瀬は支度が忙しくなり始めたのをいいことに新入社員には一切目もくれない。小野坂はその態度に違和を感じていたが、二人とも後片付けに気が行っているので見なかったことにした。
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