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怪我

その四

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『わち、目撃しとったんです』
 信原は病院の一室の床の上に正座をしたままやや早口に語り始めた。
『嶺山さん家で家事があった日の夜、わちら商店街自治会の若手でパトロールで雪かきしささることになってたんです』
 ん。パトロールメンバーに入っていた鵜飼が頷き、それを見てから話を続ける。
『その行きしなに大学生風の二人組がごみ拾いしささってたんです。そったら夜遅くにごみ拾いって変だなって思ったしたから声掛けてさ』
『ん。で、不審なとこでもあったんかい?』
『時間以外はそう思わなんだべ。逃げるでもなく挨拶返ささってもうじき帰るってこいてた、確か注意喚起を促したチラシ持ってたべ。したから敢えてその日に実行したんが未だに信じられんくてさ』
 床に正座したまま項垂れる信原に雪路が椅子を進める。まるで自分にはそんな資格など無いとばかりに立ち上がろうとしなかったが、鵜飼が彼を半ば強引に椅子に座らせた。
『したってあんたが罪を感じることかい?』
『けどささ、放火を防ぐための活動したってわちはそれを防げなんだ。あん時もっと強う帰るよう促しとったら……』
『結果は同じやったと思いますよ、ごみを集めとった時点でその日のうちに実行するつもりやったんちがいますか』
 この話題になって初めて口を開いた雪路の声に信原の肩がビクンと震える。
『それにごみ拾ってる現場を見ただけなんですよね? 時間帯はともかくこの後放火するなんて誰も分からんかったと思います。私やったら声も掛けませんし思い出しもしませんよ』
『……』
 それでも心の中で自身を責める気持ちが残っている信原はなかなか顔を上げられない。
『んだ、あんたは放火現場を見た訳でね。もしかしてそれで最近忙しなくしとったんかい?』
『ん。一遍刑事さん来たしょ、そん時は忘れとったしたから後で警察署行ったさ。結構細かく聞かれたしたっけ、まさかわちの証言が犯人逮捕に繋がるなんて思わんかったべ』
『んだな、びっくらこいたろ?』
 ん。信原は幼馴染の言葉にようやく顔を上げた。

 事件そのものは解決しても仕事はそれで終わりではない。体こそ疲れないがデスクワークがさほど得意ではない塚原は放火事件の捜査報告の作成に四苦八苦している。そんな彼の傍らにコーヒーブランドのロゴ入り紙コップがコトと置かれた。
「お疲れさん、にしても後味の悪い事件だったな」
 上司である課長の渡部も同じ紙コップを手にしている。彼は部下に雑用をさせることは無く、むしろ自身で何でもするタイプの男性である。
「えぇ、事件に関わっていないとは言え……」
「彼のメンタルケアの方が重要な気さえしてくるよ」
 犯人は信原が道すがらで出会った夜間にごみ拾いをしていた大学生だったのだが、二人組ではなく単独犯だった。ごみ問題に取り組む善行の裏でボヤ騒ぎを繰り返し、結果的に無関係の相棒を巻き込んで『アウローラ』を全焼させた。
 事件を起こした上に高見の見物を装って火災現場を撮影し、匿名でSNSに投稿してユーザーの反応を面白がっていたようだ。犯行動機を訊ねたら訊ねたで『注目されたかった』と何とも身勝手な言い分だったと取調官も呆れ返っていた。
 真相解明のためごみ拾いの相棒だった大学生にも何度か事情聴取をした。彼の証言によると拾い集めたごみはほぼ犯人が持ち帰っており、犯行当日は彼の自宅が現場からだと路面電車を利用しなければならない場所にあるので何の疑問も持たず犯人に預けたと話していた。
『自分の拾ったごみが放火に使われてたなんて……』
 彼の落胆振りは凄まじく、通っている大学を辞めるとまで言っている。そこまでの責任を感じる必要は無い気もしたが、実際その立場になると犯罪に加担した嫌な気持ちが燻るものなのだろうと感じる塚原だった。
「ひょっとしたら風評被害があったのかも知れないな」
「ニュースにはなっていませんが勘付いた人はいるでしょうね、私ら大学訪ねてますので」
 テレビでは流れなかったが新聞では報道された。今では新聞社もサイトを持っているのでそちらで知った住民も多いと考えられる。それにしても参ったな……塚原は思わぬ形で犯罪に関わってしまった大学生を案じながら捜査報告書の作成を再開させた。

 信原と別れて『離れ』に戻った嶺山を堀江が嬉しそうにお帰りなさいと出迎えた。それに若干のけぞる嶺山だったが、気を取り直してただいまと返す。
「ちょっとだけ宜しいですか?」
「おぅ、何や?」
 二人はリビング中央に鎮座するソファーに向き合って座る。
「さっき大悟さんが家に来られたんです」
「確かオーブンがどうとか言うてたな」
「えぇ。そのことなんですが、怪我が治り次第パン焼くんに使うんはどうですか?」
「現時点で場所無いぞ」
 『アウローラ』があった場所はほぼ全焼で今も焼跡の状態で残っいる。解体工事も雪解け後を目処に、今は業者の情報と見積もりを集めている段階だ。
「ペンションの厨房を使ってください」
「まぁあっこの厨房広いけど」
 嶺山自身も川瀬一人で使うには広すぎる『オクトゴーヌ』の厨房に何度か入ったことがあるが、パンを作るにはそれなりの広さが必要なのでさすがにという懸念はあった。
「義君も『半分以上使って頂いても問題無い』って。必要ならペンションの器具はオーブンも含めて好きに使うてください」
「ちょっと待って、その前にオーブン見せてくれる?」
「えぇ、ダイニングテーブルに置いてあります」
 二人はダイニングに移動し、家庭用にするには大き過ぎるオーブンと対峙した。
「やっぱり業務用なだけあるな」
「えぇ、ここに置くにはデカ過ぎるんです」
「せやな」
 嶺山は早速オーブンを開けて中をチェックする。
「コレ結構年季入っとるな、物はええけど匂いが……」
「そんなに酷いですか?」
「酷い言うか生地に匂いが移るかも知れん。惣菜パンならイケるけどプレーンを売りにするやつは無理やなぁ」
「そうですか……」
 自身の妙案に難色を示された堀江のテンションが沈みかかる。一旦は否定的な見解をした嶺山だが、物自体は気に入っているようでボタンを触ったりしながらその場に留まっている。
「う~ん、捨てるんは忍びないなぁ……ちょっと考えさして、まだやらなあかんことあるから」
「分かりました」
 嶺山は堀江の返事を聞いてから部屋に戻った。
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