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命を宿す

その四

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 それから少し経ってから、雪路が約束通り『オクトゴーヌ』にやって来る。
「こんにちはぁ、お待たせしました」
「いらっしゃいませ」
 堀江は客である雪路に声を掛けた。彼女は迷わずまどかの隣のカウンター席に腰掛ける。
「オムライスくださいな」
「かしこまりました」
 堀江は雪路の分のお冷やを用意するため厨房に引っ込む。
「ちょっと遅くなってしまいました」
「全然大丈夫です。ここってオムライスが美味しいんですか?」
 メニュー選びに悩んでいるまどかは、常連客である雪路に訊ねる。
「美味しいんはそれだけやないですよ、私の好みなだけ。ここのシェフの洋食メニューは絶品ですよ」
 彼女の返答にまどかは口元をニンマリとさせる。彼女は二十五歳になる今尚子供の好きな食べ物を好む傾向にあり、所謂レストランメニューは大好物だった。
「ハンバーグかエビフライのプレートで悩んでるんです。ハンバーグはソースが選べるし、エビフライは大好物なんですよね~」
「アンタこういうの決めるん遅いしたから……」
「したってさぁ~」
 まどかがまだ悩んでいる隣で、雪路がじゃんけんで決めませんか?と持ち掛けた。
「じゃんけんで?」
「はい。まどかさんが勝ったらエビフライ、私が勝ったらハンバーグでいかがですか? 二度と来れない訳でもないですし、負けた方を次回召し上がるいうことで」
 彼女の提案に一瞬戸惑いを見せたまどかだったが、いつまでも悩んで待たせるよりはとそれに乗ることにした。二人は早速じゃんけんを始める。最初はグー! と雪路が音頭を取ると、勝負は一回であっさりと決まった。
「あっ、エビフライだ」
 傍で見ていた香世子が笑う。
「負けてもうた……」
 雪路は右手をチョキにしたままの状態で少し悲しそうな表情を見せていた。一方のまどかはじゃんけんに勝った事が嬉しくてつい右手のグーを突き上げていると、別の男性従業員が小さなドアから顔を出した。
「いらっしゃいませ、ユキちゃんいらしてたんですね。香世子さんはしばらく振りですね」
 彼は親しそうに雪路と香世子に挨拶をする。話し口調こそ舌っ足らずで幼い印象を与えるのだが、丁寧に話している態度に育ちの良さが伺えた。
「……ところで、そちらの方は?」
 彼はまどかを見て不思議そうな顔をしているが、少し考えてからあぁと声を上げた。
「ん、姪っ子だべさ」
「そうですよね? 初めまして、根田悌と申します。結構似てらっしゃいますね」
 根田は屈託のない笑顔を見せる。犬みたいな子だな……堀江とは打って変わって幼さの残る彼に笑い返した。
「村木まどかです。根田さんは訛りが全然無いんですね、ご出身はどちらですか?」
「横浜です。ここの従業員は北海道出身じゃないんですよ、しかも全員バラバラで」
「そうなんですか? したらどうやって集まったんですか?」
 まどかは率直な疑問を根田にぶつけるが、それを香世子が一旦阻止して先に注文しようと窘めた。
「ユキちゃん仕事の合間したから。悌君、この子にはエビフライプレート、私はアスパラとベーコンのパスタをお願いします。飲み物は……ホットストレートティーで良い?」
「うん」
 まどかが頷くと香世子がそれを伝える。
「かしこまりました」
 根田は二人の注文を聞いて一礼すると奥ヘと引っ込み、入れ替わる様に堀江が雪路のオムライスを持ってカフェに入った。
「今日は休憩交代が終わったら上がりなんです、夕方から病院に行くのでそれまでは暇なんです」
「日曜日に開いてる病院ってあるんですね」
 まどかはどう見ても健康的に見える雪路のどこに悪いところがあるのだろうか?と思ったのだが、そこはさすがに聞いてはいけないような気がして掘り下げるのをやめる。
「えぇ、そこは水曜日がお休みなんです。私六月にとある事件の被害に遭って、警察の方に治療を勧められたんです。後々トラウマにならんようにって」
 意外にも彼女の方からあっさりと事情を説明し、一時期はさすがに眠れなかったと言った。
「そうだったんですか……したら嶺山さん、私らこれから街中をブラ付く予定なんですが、宜しければ一緒に行きませんか? カヨちゃんだとどうしてもオバサン嗜好に……」
「悪かったね、オバサン嗜好でさ」
 香世子は無礼な発言をする姪っ子を軽く睨み付け、まどかも失言なのはさすがに分かった様で隣の叔母をチラッと見て手で口を塞いだ。そのやり取りを見ていたユキジは笑い出し、じゃあと誘いに乗った。
「香世子さんはオバサンやないですよ、実は本屋さんに行こう思てとこやったんで。それと私の事は『ユキ』って呼んでください」
 雪路は食事の前にケータイを取り出して、連絡先を交換しようと持ちかけた。まどかも嬉しそうにケータイを手にし、二人は赤外線通信で連絡先を交換した。
「お先に頂くね、冷めんうちに」
 雪路は二人に断りを入れてからオムライスを頬張り始め、とても美味しそうにそれを食している。彼女の食べっぷりを見ていたまどかは、この後やって来るエビフライプレートに期待を膨らませていた。

 この出来事がきっかけでまどかの行動範囲は一気に広がった。雪路が車の運転を嗜む事で、ずっと行きたかった大型書店にも行ける様になり、胎教のためとばかりクラシック音楽や朗読絵本のCDを聴かせたり、彼女自身もお腹の子供に絵本を読んでやったりして日々母親としての自覚も出てきている。
「最近のまどか、顔色が良くなってきてるべ。私の取り越し苦労だったかも」
「んだな、礼にくっちゃってたら余計な混乱招いてたかも知んね」
 本来社交的な性格なので、恐らく妊娠した事で行動範囲が狭まってしまったストレスだろうか……赤岩夫妻は少しずつ元気を取り戻していく姪っ子一安心したように見守っていた。
 彼女は『オクトゴーヌ』の面々とも親しくなり、このところ一人で出掛けるようにもなってそれなりに充実した毎日を過ごしている。
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