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決意
その四
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調布が東京へ戻る当日、チェックアウトを済ませてペンションを後にしようとしたその時、夫“小宮山”が『オクトゴーヌ』に来るや否や妻の腕を掴む。
「さぁ、帰ろう」
「一人で帰れるわ」
彼女はすっと腕を抜き取り、笑顔を見せた。
「戻ったら離婚しましょ、弁護士さんはいつもの方で良いわよね?」
「勝手なこと言うな、どれだけ尽くしてやったと思ってる?」
金で繋がっているのを良い事に恩着せがましい物言いで調布に迫る“小宮山”を、フロントで立っている堀江は少し嫌そうな表情で見つめている。
「それをとても感謝しているわ、でも私が共に人生を歩みたいのはあなたじゃないの。あなただってそうなんじゃないかしら?」
調布は夫が忘れていった写真を渡す。
「何意味の分からないことを言ってる……?」
彼はそれを見て表情を変え、手の中でぐしゃぐしゃにする。
「初恋とやらで腹は脹れないんだよ!そもそもコイツを選んだところで借金が無くなったとでも思ってんのか?」
感情的になる“小宮山”は写真を投げ棄てて足で踏みつける。堀江は調布の反応を窺ってみると、案外平然としているので口を挟むのを止めることにした。
「あの当時ならそうだったかもね。でも大切なのは今の私自身の本当の気持ち、だから彼を選ぶの。過去の彼がどうだったかなんて大したことじゃないし、そんな写真にしがみつく気なんて毛頭無いわ。煮るなり焼くなり好きにしなさいよ、そんなことで人の気持ちまで変えられやしないんだから」
調布が荷物を持って夫の横を通り過ぎると、いきなり見知らぬ若い女性が勢い良く乱入した。何事や!?堀江が見たその女性は下腹部が膨らんでおり、マタニティードレスを着用している。
「“小宮山”さん……」
女性の乱入に“小宮山”の表情が変わり、一方の彼女は入店の勢いそのままで調布に詰め寄った。
「あら、まだ話着いてないの?さっさと彼と別れなさいよ」
「き、君何を言い出す……」
「今ちょうどその話をしていたところなんです、近いうちに良いお返事が出来るかと」
調布は既にこの女性の存在を知っている風で、特に表情を変える事無く笑顔で接している。えっ……?勢い良く入ってきたせいか女性の方が拍子抜けしており、調布は小さなバッグから小さな紙袋を取り出しそれを握らせた。
「お体ご自愛ください。時が来たら彼のこと、宜しくお願い致します」
「夢子、一体何を言い出すんだ?そんな女知らな……」
“小宮山”の立場は一気に悪くなり、二人の女性を前に一人狼狽えている。
「ここへ来て無かったことにするつもりなの……?」
女性は悲しそうな瞳を“小宮山”に向ける。体裁重視の態度を見せる夫に調布は半ば呆れた様に溜め息を一つ漏らす。
「あなた今更何言う気だったの?罪の無い新しい命を蔑ろにするつもり?」
「そ、それは……」
「ったく、しっかりしなさいよ。身重の女性にここまでさせておいて……本音では早く彼女と再婚したいんでしょ?」
「お前ひょっとして何もかも……」
「当然じゃない、形だけでもあなたの“妻”なのよ」
彼女は夫から堀江に視線を移し、お世話になりましたと笑顔を見せた。
「綺麗さっぱり片付けを済ませて出直してきます」
「その日を楽しみにお待ちしております、お気を付けてお帰りくださいませ」
堀江も調布に笑顔を返す。調布は堀江から女性の方に向き直り、一礼してから外へ出て行った。入口前には『オクトゴーヌ』の営業車とは別の車が停車しており、中から出てきたのは小野坂だった。彼女は迷わず車に駆け寄り、トランクの中に荷物を積み入れる。
「話は付いたのか?それよりさっきの妊婦さん……」
「うん、彼女こそ“小宮山”が共に歩むべき方なの」
「なんだ、あの男人のこと言えねぇじゃん」
小野坂は若干呆れ口調で言うと、荷物を積み終えた二人は車に乗り込み、そのまま空港へと走り去った。
女性は調布から握らされた手の中の紙袋を見ると、近所の神社で購入したと思われる安産祈願の御守りだった。それを“小宮山”に見せると、体の力が抜け切ったようにカフェのカウンター席に座り込んだ。
「俺が一番馬鹿だったってことか……」
彼の目の焦点は合っていなかったが、女性が隣に座って手を握ってきた事で少しずつ生気を取り戻し、白い手をぐっと握り返して彼女の顔を見つめる。
「“サキ”……彼女とは最初の就職先で知り合ったんだ、三期後輩でね」
「左様ですか」
堀江は“小宮山”と“サキ”の前にお冷やを置く。
「去年の二月、私の勤務先で偶然再会したんです」
“サキ”の話によると、東京のホテルでフロント業務をしている彼女の元に、たまたまホテル内の割烹料理店を利用した“小宮山”とまさにばったり会ったそうだ。
「奥様がいることも存じていましたが、ちょうど婚約破棄をされたばかりの時期で私が彼に甘えてしまったんです。言葉は悪いですが彼とのお付き合いも、結果こうなったことも後悔はありません」
“サキ”は堀江の顔を見てそう言い切った表情は、先ほどの形相とは打って変わってこれから母親になる強く美しい女性の姿だった。
「ここは飲食が出来るんだよね?何か飲み物を頂けないか?」
“小宮山”は彼女が居る事で完全に落ち着きを取り戻した様で、向かいに立っている堀江に声を掛けた。
「かしこまりました」
早速二人にメニューを手渡すと、肩を寄せ合ってそれを広げて楽しそうにしている。この組合わせの方がしっくりくるやん……堀江はそう思いながら新たなカップルを微笑ましく見つめていた。
「さぁ、帰ろう」
「一人で帰れるわ」
彼女はすっと腕を抜き取り、笑顔を見せた。
「戻ったら離婚しましょ、弁護士さんはいつもの方で良いわよね?」
「勝手なこと言うな、どれだけ尽くしてやったと思ってる?」
金で繋がっているのを良い事に恩着せがましい物言いで調布に迫る“小宮山”を、フロントで立っている堀江は少し嫌そうな表情で見つめている。
「それをとても感謝しているわ、でも私が共に人生を歩みたいのはあなたじゃないの。あなただってそうなんじゃないかしら?」
調布は夫が忘れていった写真を渡す。
「何意味の分からないことを言ってる……?」
彼はそれを見て表情を変え、手の中でぐしゃぐしゃにする。
「初恋とやらで腹は脹れないんだよ!そもそもコイツを選んだところで借金が無くなったとでも思ってんのか?」
感情的になる“小宮山”は写真を投げ棄てて足で踏みつける。堀江は調布の反応を窺ってみると、案外平然としているので口を挟むのを止めることにした。
「あの当時ならそうだったかもね。でも大切なのは今の私自身の本当の気持ち、だから彼を選ぶの。過去の彼がどうだったかなんて大したことじゃないし、そんな写真にしがみつく気なんて毛頭無いわ。煮るなり焼くなり好きにしなさいよ、そんなことで人の気持ちまで変えられやしないんだから」
調布が荷物を持って夫の横を通り過ぎると、いきなり見知らぬ若い女性が勢い良く乱入した。何事や!?堀江が見たその女性は下腹部が膨らんでおり、マタニティードレスを着用している。
「“小宮山”さん……」
女性の乱入に“小宮山”の表情が変わり、一方の彼女は入店の勢いそのままで調布に詰め寄った。
「あら、まだ話着いてないの?さっさと彼と別れなさいよ」
「き、君何を言い出す……」
「今ちょうどその話をしていたところなんです、近いうちに良いお返事が出来るかと」
調布は既にこの女性の存在を知っている風で、特に表情を変える事無く笑顔で接している。えっ……?勢い良く入ってきたせいか女性の方が拍子抜けしており、調布は小さなバッグから小さな紙袋を取り出しそれを握らせた。
「お体ご自愛ください。時が来たら彼のこと、宜しくお願い致します」
「夢子、一体何を言い出すんだ?そんな女知らな……」
“小宮山”の立場は一気に悪くなり、二人の女性を前に一人狼狽えている。
「ここへ来て無かったことにするつもりなの……?」
女性は悲しそうな瞳を“小宮山”に向ける。体裁重視の態度を見せる夫に調布は半ば呆れた様に溜め息を一つ漏らす。
「あなた今更何言う気だったの?罪の無い新しい命を蔑ろにするつもり?」
「そ、それは……」
「ったく、しっかりしなさいよ。身重の女性にここまでさせておいて……本音では早く彼女と再婚したいんでしょ?」
「お前ひょっとして何もかも……」
「当然じゃない、形だけでもあなたの“妻”なのよ」
彼女は夫から堀江に視線を移し、お世話になりましたと笑顔を見せた。
「綺麗さっぱり片付けを済ませて出直してきます」
「その日を楽しみにお待ちしております、お気を付けてお帰りくださいませ」
堀江も調布に笑顔を返す。調布は堀江から女性の方に向き直り、一礼してから外へ出て行った。入口前には『オクトゴーヌ』の営業車とは別の車が停車しており、中から出てきたのは小野坂だった。彼女は迷わず車に駆け寄り、トランクの中に荷物を積み入れる。
「話は付いたのか?それよりさっきの妊婦さん……」
「うん、彼女こそ“小宮山”が共に歩むべき方なの」
「なんだ、あの男人のこと言えねぇじゃん」
小野坂は若干呆れ口調で言うと、荷物を積み終えた二人は車に乗り込み、そのまま空港へと走り去った。
女性は調布から握らされた手の中の紙袋を見ると、近所の神社で購入したと思われる安産祈願の御守りだった。それを“小宮山”に見せると、体の力が抜け切ったようにカフェのカウンター席に座り込んだ。
「俺が一番馬鹿だったってことか……」
彼の目の焦点は合っていなかったが、女性が隣に座って手を握ってきた事で少しずつ生気を取り戻し、白い手をぐっと握り返して彼女の顔を見つめる。
「“サキ”……彼女とは最初の就職先で知り合ったんだ、三期後輩でね」
「左様ですか」
堀江は“小宮山”と“サキ”の前にお冷やを置く。
「去年の二月、私の勤務先で偶然再会したんです」
“サキ”の話によると、東京のホテルでフロント業務をしている彼女の元に、たまたまホテル内の割烹料理店を利用した“小宮山”とまさにばったり会ったそうだ。
「奥様がいることも存じていましたが、ちょうど婚約破棄をされたばかりの時期で私が彼に甘えてしまったんです。言葉は悪いですが彼とのお付き合いも、結果こうなったことも後悔はありません」
“サキ”は堀江の顔を見てそう言い切った表情は、先ほどの形相とは打って変わってこれから母親になる強く美しい女性の姿だった。
「ここは飲食が出来るんだよね?何か飲み物を頂けないか?」
“小宮山”は彼女が居る事で完全に落ち着きを取り戻した様で、向かいに立っている堀江に声を掛けた。
「かしこまりました」
早速二人にメニューを手渡すと、肩を寄せ合ってそれを広げて楽しそうにしている。この組合わせの方がしっくりくるやん……堀江はそう思いながら新たなカップルを微笑ましく見つめていた。
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