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長い一日
その一
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翌日も塚原は郵便局員の格好でここ『オクトゴーヌ』にやって来る。この日は根田が外の掃き掃除をしており、小野坂ではないことにホッとしつつも少し物足りなさも感じていた。
「おはようさん」
いつものように軽妙な挨拶をすると、何も知らない根田はおはようございますと笑顔で挨拶を返す。
「毎日いらっしゃいますけど、郵便配達ってもっと忙しいんじゃないんですか?」
「そんなに暇そう? 今日はちゃんと配達物あるよぉ」
根田の言葉を受け、『オクトゴーヌ』宛の郵便物を手渡した。
「ここの人たちは本当によく働くよね」
塚原は感心したように根田の仕事振りを見てから店内に足を踏み入れ、テーブルを拭いている川瀬にも挨拶をする。
「おはようございます」
川瀬は作業の手を止めて丁寧な挨拶を返した。
「今日は濃いのが良いなぁ」
「ではエズプレッソはいかがでしょうか?」
「うん、良いね」
塚原が頷いたのを見て、川瀬は早速厨房に入る。するとベッドメイクを終えた小野坂が大量の洗濯物を抱えて客室から降りてくる。
「信まだか?」
誰にともなくそう訊ねると、堀江が先程電話があったことを伝える。
「渋滞にはまってるらしいよ」
そう。小野坂は一旦裏口にまとめ置くと、川瀬から声が掛かる。
「カフェの掃除まだ途中なんだ、あとテーブル拭くだけなんだけど。三番より窓側」
「あぁ、あとはやっとく」
小野坂はテーブル専用の布巾と除菌スプレーを持ってカフェに入る。この日の塚原はいつに無く小野坂の動きを警戒しており、小野坂もまた塚原の動向を気にしていた。お互いその事には気付いており、二人の間でピリッとした空気が流れる。
しかしそれは二人の間でだけの出来事で、表向きにはコーヒーを待つ客と拭き掃除をするペンションの従業員だった。
それからしばらくすると、鵜飼がいつもの調子でこんちわ~とやって来る。
「すみませぇん、渋滞にはまっちまってさぁ」
どことなく楽しそうに言い訳をする鵜飼に、小野坂が背中をバシッと軽く叩いた。
「いいからさっさと持って帰れ!」
「分かってますよ、したって渋滞はわちのせいでないべさ」
鵜飼は多少の文句をたれながらも大量の洗濯物を外へ運び出し、小野坂も洗濯物を抱えて後に付いて行く。
「あの郵便局の人さ、毎日のようにここに来てるしょ?」
「あぁ、それで毎度飽きもせず仁の観察してんだよ」
「へぇ、仁君惚れられてんのかい?」
鵜飼は冗談半分ながらも川瀬とは違う見方をしていた。彼は普段もっと早い時間に来るので塚原を見掛けることはほとんど無いが、それでもこの短期間の間で顔を覚えるほどの頻度となると多少気にはなるところだ。今の小野坂の心境では、たとえ的外れな見立てでもその方が平和で良いよとすら思えた。
二人はせっせと洗濯物を運び出し、クリーニング屋の営業車に詰め込む作業をしていると、塚原もエスプレッソを堪能して既に店を出ていた。作業を終えて車が走り出したタイミングを見計らって出発する支度を整えてカブにまたがり、車を見送る小野坂にゆっくりと近付いていく。
そして自身の左手を小野坂の右手にタッチさせると、一切相手を気にすることなくエンジンを掛けて仕事へ戻った。彼の右手の中には小さな紙切れが入っており、その手をエプロンのポケットに突っ込んで何事も無かったかのように店内に戻る。
昼休憩の時間になった小野坂は、この日はいつもの賄いではなくレストラン『DAIGO』へ行くことにする。
「今日は『DAIGO』で飯食うよ」
「うん、行ってらっしゃい。悌も信君とご飯食べるって言ってたから、今日は『アウローラ』の人たちに声を掛けてみるよ」
川瀬は早速嶺山に連絡を取っていた。彼を始めとしたパン屋の面々は川瀬の賄いが大好きで、時には勝手に食べに来ることもあるほどだった。それが縁で小野坂も彼らと親しくなり、閑散期のアルバイトとして仕事を手伝っている。
『DAIGO』へ向かう道すがら、一人になった小野坂はポケットから紙切れを取り出して開いてみると、仕事用か個人用かは分からない携帯番号が記されていた。
俺から何を聞き出す気なんだ? 考えたところで分からなかったが、自分たちでは手に負えない何かが起こっているような胸騒ぎがして早速その番号に通話を試みる。しかしこの時は繋がらず、夜に掛け直そうと思い直して『DAIGO』で昼食を済ませた。
この日はチェックインの業務で勤務を終えている小野坂は、『離れ』で一人くつろいでいるところにケータイの着信が鳴る。画面を見ると昼に自身が掛けた番号からだったので、迷うことなく通話ボタンを押した。
「はい」
『塚原です。昼は出られなくてごめん、今から出られない?』
「あぁ、今日は夜勤外れてるから」
そう言って早速外に出ようとしたところで夕食の賄いを持った根田と鉢合わせ、通話状態のままケータイをポケットにねじ込む。
「どこ行くんです?」
普段勤務後にはほぼ出歩かない小野坂を不思議そうに見る。
「ちょっと散歩してくる」
「珍しいですね」
「たまには良いだろ? あんま遅くならないから」
根田に変な気を持たせないようわざとゆっくりめの動作で『離れ』から出て行くと、しばらく歩いて距離を取ってからそのままにしていたケータイを取り出した。
「すみません、お待たせして」
『構わないよ、全部聞こえてから。それより『セクレ』ってバー、分かる?』
塚原が指定してきたバーは警察署から一番近い酒場で、雑居ビルの地下にある比較的古いカウンターバーである。小野坂が大学生の頃には既にあったので、最低でも十年は営業している。
「分かるけど、ちょっと時間掛かるぞ」
その店はここからだと路面電車かバスを利用する必要がある距離なので、警察署方面に向かう交通機関を利用するため、まずは駅方向へと歩いていった。
「今日は何事も無くて良かったぁ」
最近夜の日課となっているパトロールに参加していた鵜飼は、手に大量の鯛焼きを持って一人『オクトゴーヌ』付近を歩いていた。先日チンピラに絡まれた居酒屋の女の子からお礼として手渡され、折角だから皆で食べようと『離れ』へと向かっていた。
そこに先日対峙したチンピラの主犯がペンションの前をうろついているのを見掛け、物陰に隠れて様子を伺うことにする。警察を呼ぶ?には距離が近くて最悪聞かれてしまうとその方が厄介だと思い、静観を決め込んだ。
男はケータイで誰かと話をしている。内容までは聞こえないが関西弁を使用していた。立ち去る様子が無いのでそのまま動かずにいると、ペンションから堀江が出てきた。二人は何やら言葉を交わしており、彼はいつもと違う冷たい口調で話しているので多少なりとも動揺する。
あの二人知り合いなのかい? そう考えている間に堀江は素っ気ない態度でペンションに戻り、取り残された男は舌打ちをしてどこかへ消えていった。
あれに鉢合わせるのはまずい。鵜飼は回り道をして裏口から川瀬を探すが、既に夕食時間は終わっている様子で姿が見当たらない。そのまま『離れ』へ移動すると灯りが点いていたので、努めて明るくこんちわ~と中へ入る。
「どうしたの? こんな時間に」
運良く川瀬がダイニングテーブルで夕食を食べており、早速鯛焼きをテーブルに置いて向かいの椅子に座る。
「差し入れ。それよりこの前のチンピラ覚えてるかい?」
「顔はあまり覚えてないけど、それがどうかした?」
いまいち話が見えていない川瀬に構わず、鵜飼は先程見た光景を話して聞かせた。
「おはようさん」
いつものように軽妙な挨拶をすると、何も知らない根田はおはようございますと笑顔で挨拶を返す。
「毎日いらっしゃいますけど、郵便配達ってもっと忙しいんじゃないんですか?」
「そんなに暇そう? 今日はちゃんと配達物あるよぉ」
根田の言葉を受け、『オクトゴーヌ』宛の郵便物を手渡した。
「ここの人たちは本当によく働くよね」
塚原は感心したように根田の仕事振りを見てから店内に足を踏み入れ、テーブルを拭いている川瀬にも挨拶をする。
「おはようございます」
川瀬は作業の手を止めて丁寧な挨拶を返した。
「今日は濃いのが良いなぁ」
「ではエズプレッソはいかがでしょうか?」
「うん、良いね」
塚原が頷いたのを見て、川瀬は早速厨房に入る。するとベッドメイクを終えた小野坂が大量の洗濯物を抱えて客室から降りてくる。
「信まだか?」
誰にともなくそう訊ねると、堀江が先程電話があったことを伝える。
「渋滞にはまってるらしいよ」
そう。小野坂は一旦裏口にまとめ置くと、川瀬から声が掛かる。
「カフェの掃除まだ途中なんだ、あとテーブル拭くだけなんだけど。三番より窓側」
「あぁ、あとはやっとく」
小野坂はテーブル専用の布巾と除菌スプレーを持ってカフェに入る。この日の塚原はいつに無く小野坂の動きを警戒しており、小野坂もまた塚原の動向を気にしていた。お互いその事には気付いており、二人の間でピリッとした空気が流れる。
しかしそれは二人の間でだけの出来事で、表向きにはコーヒーを待つ客と拭き掃除をするペンションの従業員だった。
それからしばらくすると、鵜飼がいつもの調子でこんちわ~とやって来る。
「すみませぇん、渋滞にはまっちまってさぁ」
どことなく楽しそうに言い訳をする鵜飼に、小野坂が背中をバシッと軽く叩いた。
「いいからさっさと持って帰れ!」
「分かってますよ、したって渋滞はわちのせいでないべさ」
鵜飼は多少の文句をたれながらも大量の洗濯物を外へ運び出し、小野坂も洗濯物を抱えて後に付いて行く。
「あの郵便局の人さ、毎日のようにここに来てるしょ?」
「あぁ、それで毎度飽きもせず仁の観察してんだよ」
「へぇ、仁君惚れられてんのかい?」
鵜飼は冗談半分ながらも川瀬とは違う見方をしていた。彼は普段もっと早い時間に来るので塚原を見掛けることはほとんど無いが、それでもこの短期間の間で顔を覚えるほどの頻度となると多少気にはなるところだ。今の小野坂の心境では、たとえ的外れな見立てでもその方が平和で良いよとすら思えた。
二人はせっせと洗濯物を運び出し、クリーニング屋の営業車に詰め込む作業をしていると、塚原もエスプレッソを堪能して既に店を出ていた。作業を終えて車が走り出したタイミングを見計らって出発する支度を整えてカブにまたがり、車を見送る小野坂にゆっくりと近付いていく。
そして自身の左手を小野坂の右手にタッチさせると、一切相手を気にすることなくエンジンを掛けて仕事へ戻った。彼の右手の中には小さな紙切れが入っており、その手をエプロンのポケットに突っ込んで何事も無かったかのように店内に戻る。
昼休憩の時間になった小野坂は、この日はいつもの賄いではなくレストラン『DAIGO』へ行くことにする。
「今日は『DAIGO』で飯食うよ」
「うん、行ってらっしゃい。悌も信君とご飯食べるって言ってたから、今日は『アウローラ』の人たちに声を掛けてみるよ」
川瀬は早速嶺山に連絡を取っていた。彼を始めとしたパン屋の面々は川瀬の賄いが大好きで、時には勝手に食べに来ることもあるほどだった。それが縁で小野坂も彼らと親しくなり、閑散期のアルバイトとして仕事を手伝っている。
『DAIGO』へ向かう道すがら、一人になった小野坂はポケットから紙切れを取り出して開いてみると、仕事用か個人用かは分からない携帯番号が記されていた。
俺から何を聞き出す気なんだ? 考えたところで分からなかったが、自分たちでは手に負えない何かが起こっているような胸騒ぎがして早速その番号に通話を試みる。しかしこの時は繋がらず、夜に掛け直そうと思い直して『DAIGO』で昼食を済ませた。
この日はチェックインの業務で勤務を終えている小野坂は、『離れ』で一人くつろいでいるところにケータイの着信が鳴る。画面を見ると昼に自身が掛けた番号からだったので、迷うことなく通話ボタンを押した。
「はい」
『塚原です。昼は出られなくてごめん、今から出られない?』
「あぁ、今日は夜勤外れてるから」
そう言って早速外に出ようとしたところで夕食の賄いを持った根田と鉢合わせ、通話状態のままケータイをポケットにねじ込む。
「どこ行くんです?」
普段勤務後にはほぼ出歩かない小野坂を不思議そうに見る。
「ちょっと散歩してくる」
「珍しいですね」
「たまには良いだろ? あんま遅くならないから」
根田に変な気を持たせないようわざとゆっくりめの動作で『離れ』から出て行くと、しばらく歩いて距離を取ってからそのままにしていたケータイを取り出した。
「すみません、お待たせして」
『構わないよ、全部聞こえてから。それより『セクレ』ってバー、分かる?』
塚原が指定してきたバーは警察署から一番近い酒場で、雑居ビルの地下にある比較的古いカウンターバーである。小野坂が大学生の頃には既にあったので、最低でも十年は営業している。
「分かるけど、ちょっと時間掛かるぞ」
その店はここからだと路面電車かバスを利用する必要がある距離なので、警察署方面に向かう交通機関を利用するため、まずは駅方向へと歩いていった。
「今日は何事も無くて良かったぁ」
最近夜の日課となっているパトロールに参加していた鵜飼は、手に大量の鯛焼きを持って一人『オクトゴーヌ』付近を歩いていた。先日チンピラに絡まれた居酒屋の女の子からお礼として手渡され、折角だから皆で食べようと『離れ』へと向かっていた。
そこに先日対峙したチンピラの主犯がペンションの前をうろついているのを見掛け、物陰に隠れて様子を伺うことにする。警察を呼ぶ?には距離が近くて最悪聞かれてしまうとその方が厄介だと思い、静観を決め込んだ。
男はケータイで誰かと話をしている。内容までは聞こえないが関西弁を使用していた。立ち去る様子が無いのでそのまま動かずにいると、ペンションから堀江が出てきた。二人は何やら言葉を交わしており、彼はいつもと違う冷たい口調で話しているので多少なりとも動揺する。
あの二人知り合いなのかい? そう考えている間に堀江は素っ気ない態度でペンションに戻り、取り残された男は舌打ちをしてどこかへ消えていった。
あれに鉢合わせるのはまずい。鵜飼は回り道をして裏口から川瀬を探すが、既に夕食時間は終わっている様子で姿が見当たらない。そのまま『離れ』へ移動すると灯りが点いていたので、努めて明るくこんちわ~と中へ入る。
「どうしたの? こんな時間に」
運良く川瀬がダイニングテーブルで夕食を食べており、早速鯛焼きをテーブルに置いて向かいの椅子に座る。
「差し入れ。それよりこの前のチンピラ覚えてるかい?」
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