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第十一章 成田国際空港 北ウイング

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 翌日、私は再び成田空港を訪れていた。理由は魔法少女の興行と出雲社長との面会。まぁ後者に関しては昨日の夜に私が無理を言ってアポを取ったのだけれど。
 私が連絡すると出雲社長は『いいわ。時間作りましょう』と快く応じてくれた。そして『私もあなたとサシで話してみたかったの』とも言った。その口ぶりから察するにどうやら弥生さんは社長に私のことをあれこれ話していたらしい。
 だから私は母にお願いして朝のうちに成田空港へ前乗りした。他の三人は後から逢川さんと一緒に来ると思う――。

 成田空港に着くと私は北ウイング内にあるタリーズコーヒーに向かった。そして店内に入ると奥の席に出雲社長の姿を見つけた。どうやら彼女の方が先に到着していたらしい。
「お疲れ様です! 遅くなってすみません」
「お疲れ様です。大丈夫よ。私もついさっき来たとこだから」
 彼女はそう言うと広げていたノートPCを閉じた。そして「好きな飲み物買ってきて」と言って私にクレジットカードを差し出した。黒色のクレジットカード。初めて見たけれどおそらくブラックカードっていうものだと思う。
 それから私は彼女の厚意に甘えて飲み物をご馳走になった。五五〇円のカフェラテ。ブラックカードで買うにはあまりにもチープな飲み物だと思う。
「春日さんから話は聞いてるよ。随分と頑張ってくれてるみたいだね」
 出雲社長はそう言うとコーヒーを一口啜った。
「いえいえ。私なんかまだまだです……。本当に弥生さんには迷惑掛けっぱなしで」
「フッ……。そっか。じゃあこれからはもっと頑張って貰わなきゃね。逢川くんから訊いてるかも知れないけれど今後は仕事の幅も増えてくるだろうからね」
 出雲社長は嬉しそうに言うと船を漕ぐように頷いた。そして髪留めを外すと長い髪に手ぐしを掛けた。その仕草はどことなく弥生さんに似ている。姿形は違ってもやはりこの人が弥生さんの実質的な母親なのだ。少なくとも昨日会った本物の母親よりはずっと母親らしいと思う。
「それで? 今日はどうしたの? もしかして待遇面で何か不満あった?」
「いえ。待遇には何の不満もないです。むしろ二万円も貰って恐縮してるぐらいなので……」
「そう? なら良かったわ。拘束時間長すぎるかなぁっ思ってたんだけど……」
 私の返答が予想外だったのか出雲社長はそう言うと一瞬だけ怪訝な顔をした。そして「じゃあ何かな?」と続ける。
「はい。今日お呼びだてしたのは弥生さんのことなんです」
「あの子の?」
「はい。実は昨日のリハーサルで弥生さんの芸能界復帰の話を聞きまして」
「そう……。まったくあの子は。本決まりになるまで黙ってるように言ったのに」
 出雲社長はさして怒ってる様子でもなくそう言うと「夏木さんこの件はオフレコね」と付け加えた。そして天井を見上げると深いため息を吐く。
「あの子には才能があるの。それはあなたにも分かるでしょ? だから正直に言えば弥生ちゃんをこのままエキストラに毛の生えた程度のアルバイトを続けさせたくはないのよね。だってあの子はこのままいけば日本を代表する女優になるのも夢じゃないんだから」
 出雲社長はそこまで話すと目尻を親指と人差し指で摘まんだ。そして「まぁ……。だからそう遠くないうち魔法少女は辞めることになるかな」と続ける。
「そうですか。じゃあそのときは私たちも引退するって感じですか?」
「うーん。今のところは魔法少女ビジネスをやめる気はない……かな? 実際けっこう人気なのよ? 福祉施設での公演なんかは地方紙にも取り上げられたしね。まぁ、だから基本は続けると思うわ。そのときは三人体制になるだろうけど」
「……わかりました。それが聞けてちょっと安心しました。こう言うと卑しいかもですが私もお金が必要なので」
「ハハハ、そうよね。一〇〇万円だっけ? 必要な予算は?」
 彼女はそう言うと指を折って私の今までの勤務日数を数えた。そして「あと八六万円ねぇ。先は長いね」と続ける。
「ええ。そうなんです。先は長いですが……。でもやるって決めたので」
「フッ……。それにしてもあなたのお母様が羨ましいわ。良い意味で普通の感性を持ってないのよね。あなたって」
 出雲社長はそう言うとニッコリと優しい笑顔になった。そして「まぁ頑張りなさい」と続ける。
 私たちがそんな話をしていると空港内のアナウンスが聞こえた。そしてそれに混じって聞き覚えのあるクラシックの曲が耳に入った。確かこの曲は……。シューマンのトライメライだったと思う――。
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