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第二章 ニコタマ文芸部

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 月子と最後に文通したのはずいぶんと前のことだ。中学時代は月一ぐらいのペースで互いの近況を報告し合った。私はなんてことない日常を。彼女はほんの少しだけ満ち足りた日常を。
 月子だって気に入らないことはあると思う。彼女は母親と仲が悪かったし、クラスメイトで気に入らない相手もいたはずだ。
 それでも書面から伝わる彼女の姿はいつも輝いていた。満月のような輝き。まさに名は体を表すだと思う。
 中学二年の夏休み。私が上京して間もない頃。彼女は全国放送ののど自慢大会に出場した。当時の私はその様子をテレビで見ていた。画面に映る彼女は本当に綺麗で、まるで本物の歌手のように見えた。
 母も祖母もそんな彼女の姿を見て、いたく感激していた。まぁ、母は月子を知っているので当然だけれど、祖母も「この子本当に上手いわね」とえらく褒めていた。
 月子を褒める家族の姿に私は誇らしい気持ちになった。こんな素敵な女の子が私の親友なのだ。そう思うとたまらなく嬉しかった。……。嬉しい反面、『自分はなんて不甲斐ないんだ』とも思ったけれど。
 でも私はそんな弱い自分を筆には乗せなかった。書いたところで心配を掛けるだけ。変に気を遣わせるだけだ。まぁ、書かないことで彼女には逆に伝わったかも知れない。それぐらい私たちは心が通じていたから――。

 中間テストが終わった。終わってしまうとあっけなく感じる。あとは結果を待つだけ……。
「はぁぁ……。御堂さんの試験パスしてるといいねー」
 部活が解禁された文芸部室で浩樹は欠伸をしながらそう言った。寝不足なのか目の下にはクマがある。
「浩樹くん眠そうだね」
「うん……。ちょい寝不足だね」
 おそらく今回のテスト勉強で一番疲れたのは浩樹だろう。彼は中間試験の模擬問題を作り込み、御堂さんの苦手に特化したプリントを何枚も用意したのだ。私たちも同じように問題は作ったけれど、御堂さんの苦手分野を担当した彼は相当苦労したに違いない。
「みんなありがとうね。これ少しだけど」
 御堂さんは小さな段ボール箱を取り出すとその口を開いた。
「わぁ! すごい美味しそう!」
 箱の中にはホールのアップルパイが入っていた。綺麗なきつね色で食欲をそそる林檎の香りがする。
「これ御堂さんが?」
「うん……。あんまり上手く出来なかったけどさ」
 そんなことはない。かなりよく出来ている。御堂さんの作ったアップルパイは市販の洋菓子店の物と遜色ないと思う。
「お、いーじゃんいーじゃん。じゃあ遠慮なく」
「うん。みんな食べてー」
 それから御堂さんはアップルパイを切り分けてくれた。その切り方からも彼女の手際の良さが伝わってくる。
「御堂さん、ありがとう。せっかくだから頂くよ」
 楓子はそう言うと原稿用紙をテーブルにしまった。これはかなり珍しい。普段の彼女はクッキーを出そうが、コーヒーを煎れようが「おいといて」しか言わない。
「そういえば水貴くんは?」
「ああ、今日もおふくろさんとこだよ。最近いろいろ大変みたいでさ」
「そっか……」
 テスト期間前から水貴はちょくちょく部活を休んだ。水貴本人から聞いたわけではないけれど、彼の母親の具合が悪いらしい。
「昔からあいつは、ああだからさ。篠田さんも知ってるでしょ?」
「ああ……。そうだね。小学校のときも、よく図書委員も休んでたから」
 小学時代から。そう考えると彼の母親の容態はかなり悪いのかもしれない。
「心配だね……」
「まぁね……。でもあんまり言わないでやってね。前にも言ったけどあいつ気にするからさ」
「うん。分かってるよ」
 分かっている。理解している。そう自分に言い聞かせる。でもその反面、私に事情を話してくれない水貴に対して複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
 月並みな言い方をすれば「私たちはそんなことも話せない程度の関係なの?」という気持ちになる。
 だから浩樹や楓子が少し羨ましかった。彼らは水貴を私より、よく知っているのだ。小学時代の彼も。中学時代の彼も……。
「ま、水貴にはあとでケーキ届けとくよ。じゃあ頂まーす!」
 浩樹はおどけたように言うとアップルパイに齧り付いた。彼が囓ると「サクッ」という心地良い音がした。
「うめー! 御堂さん料理の才能あんじゃん!」
「美味しかったなら良かったよ」
 それから私と楓子も彼女のアップルパイを口にした。
「本当に! 美味しいよ。御堂さん料理上手だねー」
「川村さんまで……。こんなん誰だって作れるから……」
 謙遜する御堂さんは顔を真っ赤にしている。どうやら陸上以外で褒められるのは苦手らしい。
 彼女の私服を見たときも思ったけれど、御堂さんはとても女子っぽい女子のようだ。その顔立ちや体つき。口調からは想像出来ないくらい女性的なのだと思う。逆にその容姿から女性的に見える楓子の方が男性的な性格をしているかもしれない。
 私はアップルパイを頬張りながら水貴のことを考えていた。そして彼に無性に会いたくなった――。
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