上 下
14 / 64
第一章 樹脂製の森に吹く涼しい風

14

しおりを挟む
「楓子さん!」
 翌日の放課後。私は四組に顔を出した。昨日と同じように楓子は机でイラストを描いている。
「あ、昨日の……」
「うん。あ、ごめんなさい。まだ自己紹介してなかったよね。川村栞です」
「ああ、よろしく。水貴くんと同じくクラスなんだよね?」
「うん。そうだよ」
 楓子は紙とにらめっこしながら受け答えした。たぶんこれが彼女にとっての普通なのだと思う。
「それでね。昨日言ってたやつできたから持ってきたよ。できそう?」
「ちょっと見せて」
 楓子は私からルーズリーフを受け取ると目を通し始めた。じっとりとした視線。まるで咀嚼しているようだ。
「このラフ川村さんが描いたの?」
「うん。そうだよ。汚くて見えづらいかもだけど……」
「いや……。いいと思うよ。じゃあ、これを参考に清書しちゃうね。画用紙とか持ってる?」
「え? 今ここで?」
 驚く私をよそに楓子は「そうだよ」と返した。
「ちょっと待っててね。教室から取ってくるから」
「うん。お願い。あ、川村さん……。できたらでいいんだけど美術室からコピック借りてきてくれない? 山口先生に言えば貸してくれると思うから」
「わかった!」
 本当に変わった子。私はそう思った。水貴の言うとおりつかみ所がない――。
「おまたせ!」
「ありがとう。構図見た感じだと縦だけどそれでいい?」
「うん。それで大丈夫だよ」
「了解……。一五分ぐらい待ってて」
 そう言うと楓子は画用紙に鉛筆を滑らせた。綺麗な線。女性的でかつ大胆な線。
 楓子はすごいスピードでイラストを描き上げていった。ラフを起こし、その上から線画を一気に書き上げる。
「すごいね……」
「ん? こんぐらい普通だよ」
 線画に色が乗っていく、塗りが上手いためかイラストは立体的に見える。
「はい! できたよ! 文字入れは自分たちでお願いね」
「ありがとう! 本当にすごい……」
 楓子は「そう?」とだけ言うと、私に画用紙を差し出した。
 画用紙には私が描いたラフの何倍も綺麗なイラストが描かれている。本を持った少女のイラスト。
「ねぇ楓子さん。もしよかったら文芸部入らない?」
「入らないよ。原稿忙しいし、文章は苦手なんだ」
 楓子は取り付く島もなく言うと、小さくため息を吐いた。
「そっか……」
「ごめんね。読むのは嫌いじゃないけど、書くのはあんまりでね」
「ううん。大丈夫だよ。もし気が向いたら文芸部まで遊びに来てね! きっと半井くんも喜ぶから」
「そうだね……。あとで顔出しに行くよ」
 そういうと楓子は笑った。笑顔を見たのは初めてかもしれない――。

「楓子さん文芸部入らないってさ」
「だろうね……。あの子はそういう子だよ」
 楓子のことを水貴に伝えると彼は当然だという顔でそう言った。
「ちょっと残念だな……。楓子さんとは仲良くなれそうだからさ……」
「部活やんなくても仲良くすればいいよ。あの子あんなだから友達少ないしさ。それよりやっぱり楓子の絵はすごいね。これだけは尊敬するよ」
 水貴は楓子が描いたイラストを感心したように見た。パステルカラーのかわいらしい文芸部のイラスト。
「本当だよね。きっと才能があるんだろうね」
「ハハハ、楓子がそれ聞いたら『練習すれば誰でもできる』って言いそうだね。あの子は才能とかそういうの信じないんだ。やるかやらないかだけだって本人言ってたしね」
 やるかやらないか。中学二年生が言うにしてはだいぶ達観した台詞だ。まぁ、彼女らしいと言えば彼女らしい気もする。
 すっかり片付いた図書準備室は閑散としていた。窓から差し込む光は淡いオレンジ色で秋という季節を象徴してるようだ。
 とりあえずで集めた原稿用紙。筆記用具。世界文学全集。入部届の用紙。それだけが古びた木製のテーブルに綺麗に並んでいる。まだ用をなさないのは残念だけれど。
「ま、気ままに待とう……。サッカー部終わったら浩樹も寄るって言ってたしね」
 水貴は呆けたように言うと、世界文学全集を手に取った。
 ヘルマンヘッセの”車輪の下”。ヘッセの代表作だ。
 まだまだ時間はある。私も同じように文学全集に手を伸ばす。
 私は有り余る時間を埋めるためにドストエフスキーの本を手に取った。カラマーゾフの兄弟の全員の名前でも覚えようと思う。
しおりを挟む

処理中です...