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第四章 株式会社ニンヒアレコード 新宿本社

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 羽田千歳の話

 今日の放課後の話だ。私は動画撮影するために旧校舎の屋上へ向かった。同行者はクラスメイトの奥寺澪。A組の学級委員長だ。
「ごめんね澪ちん。付き合わせちゃって」
「いいよー。てか私も羽田さんの撮影に興味あったからさ。手伝えて嬉しいよ」
 澪はそう言うと上履きで廊下を「タンッ」と蹴った。そしてシャム猫みたいな伸びをすると「ま、香澄ちゃんの方が助手には向いてそうだけどね」と自嘲気味に笑った。そこには『私でごめんね』というニュアンスが込められているように感じる。
 そう言われた私は「いやいや、澪ちんだって助手向きだよ! すっげー助かるぅ」と大げさにフォローを入れた。これは本心だ。実際かなり助かる。素直にそう思う。
 そうこうしていると屋上へと続く階段に到着した。
「あれ? なんか扉開いてない?」
 不意に澪がそう言って屋上入り口の扉を指さした。彼女の指さした先を見てみると……。確かに扉が中途半端に開いているようだ。
「だね。……誰か先約いんのかな?」
「かもね……。とりあえず行ってみようか」
 それから私たちは夕日に照らされた階段をゆっくり昇っていった。そして昇りきると扉の隙間から屋上を恐る恐る覗き込んだ。隙間の先には……。一人分の伸びた影が見える。
「誰かいるね……」
 澪が小声で呟いた。
「だね」
 私は声のトーンを落としてそう答えた。こんな時間に、こんな場所で何の用事だろう? と内心不審に思う。
 私たちがそうやって様子を覗っているとその人影は屋上の柵を跨ぎ始めた。そしてモタつきながら柵の向こう側に移ると下を覗き込むような体勢になった。その様はまるでバンジージャンプを躊躇うお笑い芸人のように見える。
 私はその光景をどこか他人事のように眺めていた。あの人あんなとこで何してるんだろ? 見た感じ男子……。かな? バンジージャンプごっこでもしてるのかな? そんな悠長なことを思った。たぶん私は思考停止していたのだ。だって……。目の前で飛び降り自殺しようとする人を見るのなんて初めてだったから。
「まずい!」
 不意に澪がそう叫んだ。その声でようやく私も我に返った。あれはバンジージャンプごっこなんかじゃない。明らかに飛び降りようとしている。そのことに数秒遅れでようやく意識が追いつく。
「止めなきゃ!」
 澪は続けてそう叫ぶとものすごい勢いで柵の向こう側の誰かに向かって走り出した。そして陸上部員顔負けのスピードで柵の向こう側の男子生徒に駆け寄ると彼の左腕を掴んだ。あまりの速さに私一人だけ扉の入り口に取り残される。
「はぁはぁ……。早まらないで」
 澪はそう言うとその人を力尽くで柵のこっち側に戻そうとした。そして次の瞬間、澪の身体が柵の向こう側にググッと引っ張られる。
「澪!」
 私はそう叫んだ。そしてすぐに駆け寄って澪を後ろから羽交い締めにする。
「羽田さん……。そのままでいて……。ね!」
 澪はそう言うと身体中に力を込めてその人を柵のこっち側に引っ張り戻した。そしてその勢いのまま屋上に転がり込んだ。すごい力だ。下手な男子より腕力がある気がする。
「ふひぃ。へぇへぇ」
「大丈夫? 澪ちん?」
「はぁ……。はぁ。うん、何とか」
 澪は息絶え絶えにそう答えると引っ張り上げた男子生徒に歩み寄った。そして間髪入れずに平手打ちする。
「バッカじゃないの!? 死んだらどうすんの!?」
 澪はいつになくキツい口調で言うと「はぁ」と深いため息を吐いた。そして「キミ? B組だよね?」と続ける。
 私はそんな二人のやりとり……。いや、澪からの一方的な言葉を見ながらその男子生徒を呆然と眺めることしかできなかった。だって……。自殺未遂を起こしたその男子生徒は私のよく知る人物。藤岡翔弥だったのだから――。

 その後。私たちはフジやんを連れて保健室に向かった。どうやら無理に引っ張り上げたせいで澪もフジやんも軽く擦りむいてしまったらしい。
「奥寺さんがここに来るなんて珍しいね」
 保健室の安田先生はそう言いながら二人の擦り傷を消毒液で洗った。そしてテキパキと絆創膏を貼り付けた。意外と花高の生徒は針仕事で怪我をするのだ。だから先生も傷の手当てには慣れているのだと思う。
「すいませーん。階段濡れてて滑っちゃったんですー」
 澪は息を吐くようにそんな嘘を吐いた。まぁ当然だろう。『飛び降り自殺を止めたら二人して怪我しちゃいました』とは流石に言えないと思う。
「ほんと。二人とも気をつけなさいね。頭打ったら絆創膏どこじゃ済まないんだから」
 安田先生はそう言うと呆れたように笑った。それに対して澪は「はーい」と軽く返す。
「んじゃ。手当ても済んだし帰ろっか」
 澪はそう言うとスッと立ち上がった。そして「藤岡くんも一緒に帰ろ!」とフジやんの腕を掴んだ――。
 
 それから私たちはすぐに学校を出た。そして誰からとなく学校近くの川縁に向かった。行き先は未定。たぶん三人ともただ学校から離れたかっただけなのだと思う。
 川縁には延々と桜並木が続いていた。それらはこれから訪れる冬の準備でもするかのように葉の色を黄色に染め始めていた。もうすぐ冬が来る。それを告げるような景色だ。
 私がそんなことを考えていると澪が「ちょっと休憩」と言って河川敷に腰を下ろした。私は「だね。フジやんも休もう」と言ってフジやんにも座るよう促した。フジやんはそれに対して「うん」と返事して私の横に腰を下ろす。
「さっむ! 流石にもう夏服厳しいね。カーディガンぐらい持ってくればよかったよ」
 澪はそう言うと大げさに身震いした。
「だね。マジで夕方冷えるよ」
「そうそう! ま、来週には冬服になるし多少はマシになるだろうけどね」
 澪はお膳立てするみたいにそんな実りのない話をすると軽いため息を吐いた。そしてフジやんの方に向き直る。
「藤岡くん。そろそろ何があったか教えてくんない? ……無理に話せとは言わないけれど話せばスッキリするかも知れないよ? まぁ……。何があったのかは何となく察してるからさ」
 澪はフジやんの身を案じる風でもなく穏やかな口調で彼にそう尋ねた。フジやんはそれに「……うん」と返すとポツリポツリ語り始めた――。
 
「もう……。生きてるのに疲れたんだ」
 フジやんは始めにそう呟いた。そして「だから飛んだら楽になれるかと思った」と続ける。
「……そっか」
「うん。正直怖かったけどさ……。でもこのままあのクラスに居続けるぐらいなら死んだ方がマシだって……。そう思ったんだよね」
 フジやんはそう言うと体育座りしている膝に顔を埋めた。そして消え入りそうなため息を吐いた。もう限界。ここで消えてしまいたい。彼の丸い背中はそう語っているように見える。
 フジやんのその様子を見て澪は「ねぇ羽田さん。何で藤岡くんがここまで思い詰められたか知ってるんだよね?」と私に訊いてきた。私はそれに「うん。まぁ」と曖昧に答えた。大まかな事情は知っているけれど詳細は知らない。私だってそんな状態なのだ。
「たぶんだけど……。羽田さんと香澄ちゃんは最近このことで動いてたんだよね? やっぱりマリー絡み?」
 澪はそう言うとポケットからスマホを取り出した。そして録音アプリを起動すると「B組で何があったのか知ってることを教えて」と続けた。これじゃまるで私が刑事に尋問される犯人じゃないか……。そんな気分になる。
「ウチが知ってることなんてほとんどないよ」
「でも少なくとも私よりは事情知ってるよね? ま、流れ見れば何があったのかだいたい想像できるけど……」
 澪はそこで一旦言葉を句切った。そして「行き違いを起こしたくないんだ。だから羽田さんの知ってること教えて」と言った。その様子はまるで本物の刑事みたいだ。まぁ……。実際に澪の父親は千葉県警の刑事なのでその血なのだろうけれど。
 それから私は澪に知っていることをできうる限り詳細に話した。B組では苛烈ないじめが行われているということ。教員も黙認というカタチでそのいじめに加担しているということ。花見川高校自体が太田まりあに対して何も言えない状態だということ。それらを感情や感想を一切言わずに伝えた。正直吐き気がするほど最悪な内容だけれど仕方ない。これをきっちり精査しなければいじめ問題の解決には繋がらないだろう。
「……そっか。分かったよ」
 話が一段落すると澪は録音アプリを停止した。そして「とりあえず藤岡くんの件は私が預かるよ」と言った。預かる? どういう意味だろう?
「んっー。今日はもう遅いし帰ろっか!」
 澪は背伸びしながらそう言うとフジやんの腕を優しく掴んだ。そして「藤岡くんには悪いけど今日は私んち来てもらうよ」と言った――。
 
 その後。私は澪たちと別れた。別れ際の澪には「藤岡くんのことは任せて」と言われた。フジやんは相変わらず何も話さない。いや……。この場合は話せないと言った方が正しいだろう。フジやんの心の傷は私が思っていたよりもずっと深かったのだ。悠長に太田まりあのことを探ってた自分がバカみたい。そう思えるほどに。
 澪たちと別れてから私はしばらく海浜幕張駅前をぶらついた。その間に今日のゲーム実況配信中止の連絡をSNSで呟いた。こうして毎日やっていたゲーム配信を休むのは高校に入ってから初だと思う。
 幕張の夜が更けていく。駅前の居酒屋は多くのサラリーマンやら大学生やらで混み合っていた。今日も実に平和だ。何てことない日常。そう思うと笑えてくる。
 でも……。そんな平常運転の駅前で私は世界でひとりぼっちにされたような気がした。私ではフジやんを救えない。それが歯がゆくて歯がゆくて……。そして悔しかった。澪が助けてくれるのは嬉しい。けれど正直澪が妬ましくもあった。まぁ仕方がないのだ。だって私には……。フジやんを助けるだけのコネも頭も力もないのだから。
 そうやって私は夜が濃くなっていく街を当てなく歩き続けた。そして気がつくと香澄の家の真ん前に立っていた――。
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