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第三章 ロイヤルヴァージン

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 奥寺澪の話

 五月中旬。私は花見川高校で開催されるデザインコンペティションの協賛依頼でロイヤルヴァージンの本社を訪ねた。場所は東京都港区北青山。明治神宮外苑の銀杏並木にほど近い場所だ。
「――では奥寺さん。理事長によろしくお伝えください」
 形式的な協賛依頼が終わると太田社長はそう言って席を立った。そして「まりあ。送っていってあげなさい」と私の隣に座るまりあに声を掛けた。まりあはそれに「はいお父様」と答える。お父様呼び。まるで貴族みたいな呼び方……。と衝撃を受ける。
 それから私はまりあに促されるまま送迎の車に乗った。そして乗り込むとすぐに「新都心帰る前に私の家寄っていかない? お茶ぐらい出すから」と誘われた。ロイヤルヴァージンの社長邸宅。正直見てみたいと思う。
「うん。せっかくだからご馳走になろうかな。ありがとね」
 私がそう答えるとまりあは嬉しそうに「フフフ、そうと決まれば……。長谷川! 家に向かって」と運転手の男性に声を掛けた。運転手の男性は「はい。お嬢様」と一つ返事で答えた。今度はお嬢様呼び……。どうやら太田家の人たちは私の感覚では理解できないくらい高貴な一族のようだ――。
 
 二〇分後。私たちは太田邸に到着した。彼女の家は予想通りの豪邸で見るからに高そうな作りをしていた。地下駐車場付きの三階建て。コンクリート打ちっぱなし。しかも広い庭まである。そんな絵に描いたようなブルジョワジーの家だ。
「すごい家だね」
「そう? まぁ……。少し大きいだけよ」
 まりあはさして興味がないように答えると口元に手を当てて小さく欠伸をした。そして運転手の男性に「千葉に戻るときまた声掛けるわ」と伝えた。運転手の男性はそれに「かしこまりました」と答えると車から降りて後部座席のドアを開けた。その所作はまるで執事みたいに見える。いや……。もしかしたら長谷川さんは本当に太田家の執事なのかも知れないのだけれど。
 車から降りるとそこには石畳の道があった。そしてその道はS字カーブのように緩やかに玄関まで伸びていた。庭には所狭しと白いチューリップが植えられている。白いチューリップ……。おそらくロイヤルヴァージンという品種だ。RVの社名の由来であるこの花はRVのロゴにも使われいる……。らしい。まぁこれはRVのホームページにそう書かれていただけなのだけれど。
「チューリップ綺麗だねぇ」
 私は何の気なしにそう呟いた。
「ね! 綺麗よね。私この花好きなのよ。だからお父様にお願いして植えて貰ったの」
 まりあは嬉しそうに言うと石畳にしゃがみ込んだ。そしてその白いチューリップを指先で軽く撫でる。
「澪にこの花見せたかったんだ。ほら、あなたお花好きだって言ってたから」
「ハハハ、そう言えばそんな話したね」
「うん。そうだ! せっかくだから花束にしてプレゼントするわ! たくさんあるから」
 まりあはそう言うと玄関に駆けていった。そしてすぐにメイド姿の女性を連れて戻ってきた。初めて見たけれどリアルのメイドらしい。どうやら秋葉原にいる類いのそれとは違うようだ。
「水原。これで花束作ってちょうだい。できるだけ綺麗にお願いね」
「はい。お嬢様」
 メイドさんはそう答えると穏やかに微笑んだ。またしてもお嬢様呼び……。そろそろ目眩がしそうだ――。

 それから私たちは太田邸のリビングでお茶会をした。そのお茶会にはまるで不思議の国のアリスに出てきそうな可愛らしいティーセットが用意されていた。カップやソーサーやティースプーン。そのひとつひとつが全てブランド品のようだ。……一客揃えるだけで数千円以上はするかな? と庶民的な感想を覚える。
「前からね。澪にはウチに遊び来て欲しかったんだ。ほら、私たちってクラス違うし委員長会ぐらいでしか話さないじゃない?」
 まりあはフレンチプレスから紅茶をティーカップに注ぐとそう言った。私はそれに「だよねー」と軽く答える。
「こう言うと失礼かもだけど……。私あんまりA組には行きたくないんだよね。何か肌に合わないっていうか……。ね」
 まりあはそう言うと一瞬眉間に皺を寄せた。そしてすぐに普段の穏やかな表情に戻った。まりあは基本的に感情が顔に出やすいのだ。特に嫌悪感を隠すのは苦手なのだと思う。
「うーん。マリー的にはそう感じるかもね。ほら、ウチのクラスってみんな個性的じゃない? それもあるんだと思うよ?」
 私はそんな風にあえてお茶を濁すように答えた。本当は彼女がA組に顔を出したくない理由はよく分かるけれど、その話題にはあまり触れない方が良いと思う。
「そうなんだよねぇ……。とは言ってもB組だってけっこうみんな個性的なんだけどね。まぁ……。とにかくA組の子たちってなんか苦手なの。あ、澪だけは別だよ!」
 まりあは弁明するように言うと軽くため息を吐いた。私はそれに「そうね」と曖昧に返した――。
 
 まりあがA組に来たくない理由。それは香澄ちゃんがいるからだ。私も詳しくは知らないけれど、まりあと香澄ちゃんの関係は最悪らしい。……まぁ、らしいというかこれは花見川高校の全生徒が知っている事実だ。だから『入学式であった特待生同士の言い争い』と言えばおそらく全ての生徒が「ああ、あのことね」と反応をすると思う。……かく言う私もその現場を間近で見ていた一人なわけだけれど。
 思い返すとあれはなかなか壮絶な口喧嘩だった。最初にふっかけたのはまりあ。そしてそれをコテンパンに言い負かしてしまったのが香澄ちゃんだった。香澄ちゃんはああ見えて口論となれば一歩も引かずに毅然と立ち向かう子なのだ。だから普段噛みつかれない立場のまりあは手痛いしっぺ返しを食らったのだと思う――。
 
 私がそんなことを思い出していると不意にリビングのドアがノックされた。そしてすぐにさっき庭で会ったメイドさんが「失礼いたします」と部屋に入ってきた。彼女の手にはまるで結婚式のブーケのような可愛らしい花束が握られている。
「ありがとう水原。ちょっと見せてちょうだい」
「はい、お嬢様」
「ふむふむ。完璧ね。さすが水原」
「痛み入ります」
 私は二人のそんな会話をまるで他人事のように聞いていた。テレビ越しの西洋貴族の会話。そんな風に感じる。
 その後、私たちは三〇分ほど他愛のない話をした。まりあは秋期コンペに出すモチーフの話を。私は来月の委員長会の議題を。それぞれ話した。当然のようにA組の話題は避ける。ここで無理にウチのクラスの話をしてまりあを不快にさせる必要もないだろう。
「――じゃあそろそろお暇しようかな? お茶ありがとね。すごい美味しかったよ」
 私はそう言うとソファーから立ち上がった。するとまりあは「これくらい気にしないで」と言ってから内線でどこかに連絡をした。おそらく長谷川さんに送迎の手配を頼んだのだと思う。
「じゃあ新都心まで私も行くよ。家まで送るようにお父様に言付かってるからね」
 まりあはそう言うと口元に人差し指を添えた。その仕草は……。まるで幼い子供がおねだりしているようにも見えた――。
 
 それから私たちは長谷川さんの運転で幕張新都心に向かった。運転席に長谷川さん、助手席には水原さん、そして後部座席には私とまりあ。そんな並びだ。
「水原悪いわね。付き合わせちゃって」
 まりあはそんな風に助手席の水原さんに声を掛けた。水原さんはそれに「いえ、お気になさらないでください」と丁寧に答えた。……ちなみに水原さんの服装は黒のスーツだ。外に出るときまでメイド服というわけではないらしい。
「たまには舞浜辺りぶらつきたいんだよね。ほら、私いつも送り迎えであそこらへんは通り過ぎるだけだから」
 まりあはそう言うと軽くため息を吐いた。そして「まぁ、都内から通うには遠いからね」と付け加える。
「そうだよね。花高ってまりあんちからはちょい遠いかもねぇ」
「そうなんだよー。本当なら幕張で部屋借りたかったんだけど……。お父様がダメだって。酷くない? 私だって一人暮らししたいのに……」
 まりあは不満げに言うと今度は水原さんに「私だって一人暮らしぐらいできるよね?」と話を振った。水原さんはそれに「確かにお嬢様なら一人暮らしをしても問題ないでしょう」と答えた。そして一呼吸置いてから「ですが……」と続ける。
「旦那様のお気持ちも分かります。奥様がお亡くなりになってからはお嬢様のことに心を配っておられますから。私のような者が察するのもおこがましいですが……。一人暮らしされると旦那様もお寂しいのでしょう」
 水原さんはそんな風にやたら丁寧な口調で言うとまりあに優しく微笑み掛けた。まりあはそれに「それは……。ま、分かるけどさ」と言い淀む。
「出過ぎたことを言ってしまいました。申し訳ございません。ただ……。私としてはお嬢様にも旦那様のお気持ちも汲んでいただきたいです。旦那様は強そうに見えてお嬢様のこととなると取り乱されますから」
「……分かったよ。でも! 高校出たら一人暮らしするからね!」
 水原さんに言いくるめられたのか、まりあはそう言って窓の外に首を向けた。その様子はまるで本当の母子のように見える――。
 
 そうこうしていると車は千葉県内に入った。あと少しで幕張新都心。私の地元に到着する。
「そういえば……。澪って『自裁の魔女』って都市伝説知ってる?」
 不意にまりあにそんな話を振られた。私はそれに「ああ」と曖昧な返事をした。一応内容は知ってはいる。その程度の話だったからだ。
「アレでしょ? ネット上にあるって噂の復讐サイト」
「そうそう! 澪はあの噂信じてる?」
「うーん……。あんま信じてないかなぁ。ってかアレが流行ったのってウチらが小学生の頃じゃん? 結構古い話な気がするけど」
 そう。『自裁の魔女』という都市伝説自体は結構古めの話なのだ。二〇一〇年代前半。それくらいの時期の話だったと思う。
「そうなんだけどさ。でも……。やっぱり気になるんだよね。アレはかなり流行ってたから」
 まりあはそう言うとスマホで『自裁の魔女』と検索した。そしてその検索結果のトップには『都市伝説はほんと? 自裁の魔女の真実』というゴシップなネット記事が表示されていた――。
 
 都市伝説『自裁の魔女』。それは私がまだ幼かった頃に流行った噂話だ。その内容は『いじめられた子供の恨みを晴らすためのウェブサイトが存在する』というもので、ある意味社会問題みたいなっていた。まぁ……。とは言ってもそれは半分眉唾みたいな話だったのだけれど。
「この話すっかり聞かなくなったよねぇ」
 私はまりあから借りたスマホに表示されている記事を読みながらそう呟いた。
「そうなの! 小学校のときはあんなに流行ったのに……。気がついたらみんな忘れちゃったみたいだよね」
「ま……。噂ってそんなもんだと思うよ? テケテケとか口裂け女とかもそんな感じだし。一瞬だけ流行ってみんな忘れちゃうんだよね」
 私はそんな当たり障りのない返答をして彼女にスマホを返した。そして「ま、私も都市伝説とか嫌いじゃないけど」と付け加える。正直に言うとオカルトだとか心霊現象だとかは結構好きなのだ。それこそホラー映画を一人で見に行くぐらいにはその手のものに傾倒していると思う。
「やっぱりね。澪はこの手の都市伝説には詳しいと思ってたんだ。ほら、前にくねくねの話したときも食いつき良かったし」
 まりあはそう言うと口元を歪めて笑った。その表情は何というか妙に歪で見ているだけで少し不安な気持ちになった。まりあはたまにこういう顔をするのだ。人形みたいに綺麗な顔が急に歪む。それはなかなか不気味だと思う。
「……私ね。もしこのサイトあったらお願いしたいことがあるんだ」
 不意にまりあがそう呟いた。
「お願いって……。復讐したい人がいるってこと?」
「うん。まぁ……。そうだね」
 まりあはそう返すと首を横に振った。そして「なんてね」とさっき言ったことを取り繕うように戯けて見せた――。
 
 その後、私は無事自宅前に到着した。
「今日はありがとね。お茶ご馳走様でした」
「いえいえ。こっちこそ都内まで来させちゃってごめんね。……また遊び来てね」
 まりあはそう言うと長谷川さんに「じゃあ行こうか」と言った。長谷川さんはそれに「はい、お嬢様」と答えると私に会釈してから車を発進させる。
 少しずつまりあの車が遠ざかっていく。そして車はカーブを曲がると加速して浦安方面に走り去っていった。これで今日の予定は終わり。やっと解放された。そんな気分だ。
 それから私は貰った白いチューリップの花束を持って自宅に帰った。そして帰ると母に「それどうしたの?」と訊かれた。学校の用事で外出してきた娘が大きな花束を持って帰ってきたのだ。当然の疑問だと思う。
「太田さんがくれたんだ」
「へー。綺麗じゃない! ……それに良い香り」
 母はそう言うと私から花束を受け取った。そしてどこからか花瓶を持ってきて手早くそれを生けた。母はこの手の生花が好きなのだ。思えばウチの玄関にはいつも何かしら花が飾られている気がする。
「ふんふん。良い感じじゃない! あとで太田さんにお礼しなきゃね」
 母は鼻歌交じりにそう言うと生けたばかりのチューリップをスマホで撮影した。そして「やっぱり季節の花は綺麗ねぇ」とおばさんっぽいことを言った。いや……。実際四〇過ぎなのでおばさんではあるのだけれど。
 そうこうしているとまりあからLINEが入った。内容は『今日はありがとね』というシンプルなもので、私はそれに『こちらこそありがとね』と返した。これといって特別な返事はしない。
 でも……。そんな私の思いとは裏腹にまりあから『自裁の魔女の話は聞かなかったことにしてね』と流れを無視するようなメッセージが届いた。私はそれに『分かったよ』と短く返した――。
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